川の土手、道路の分離帯、農道脇など、どこにでも生えるこのイネ科の草の穂は、季節が夏に移ったことを告げている。
春先に地震と津波の規模が想定外だったのではなく、原発が全電源を喪失し、炉心冷却系が機能しなくなる事態を想定していなかったのだから、事故直後は当事者の誰もがどう対処してよいかわからなかったに違いない。技術的盲点に対する処置というものは、場当たり的な、試行錯誤の繰り返しとならざるを得ない。
難題が次から次へと起こるモグラたたきの様相を、この2ヶ月半の間、テレビで嫌と言うほど見せられてきた。収束を図る工程計画なるものも、作業の各要素に未経験の事柄が多すぎるため、着実な進行は難しいと見る専門家が多い。この状況を、責任を持って適切に指揮指導出来る人間などいるはずがない。
戦前から日本に住んで居た中国人実業家の某氏(故人)が、日本人の多くに観察される特徴的な性向を、「三ム」だと言ったことがある。「三ム」とは、ムチャをする、ムリをする、ムキになるの頭文字とか。当否はともかく、長く日本人とつきあい、日中戦争、太平洋戦争を体験した在日外国人の率直な感想なのだろう。云われてみれば思い当たるふしもある。
よくよく考えてみると、蛋白質源の大半を海産の魚介に依存する魚食民族が、地震の頻発する狭小な断層列島の海岸に原発を54基も建設して運用するのは、そもそもムチャなことではなかったのだろうか?また、原子炉の構造には、工学的なムリが潜在していて、それが国内全ての原発で故障が頻発してきた原因であり、毎年定期検査を欠かせない理由ではないのか?そして、そのムリとムチャを知りながら原発を運転し続け、新たな原発の建設を推進するには、ムキになって安全性を強調し、危険を否定し続けるしかなかったのではあるまいか?
いったんムキになって合理的な判断が失われると、新たなムチャやムリが生じる。政府や東電がムキになれば、自衛隊や消防、警察、原発現場の作業員、そして被災住民、最終的には国民全体にムリやムチャが押しつけられるだろう。当局は努めてムキにならず冷静に事に当たって欲しい。野党やマスコミも、ムキになって政府を貶したり誹ったり、世論を煽ったりするのは厳に慎んで貰いたい。優れた政治が行われるためには、ムキにならない冷静な国民性が不可欠であることを、歴史は教えている。
この未曾有の窮状をうまく処理できる人間など誰ひとりとしていない。拙劣であっても、批判は歴史に委ね、3.11当日に当局者であった者が最善を尽くせるよう、国民挙って支援するほかないと思われるのだが・・・。
地震・津波による被害と放射能汚染被害とは、発生において関連はあるものの、その被害の質はまったく異なる。前者にはまだ復興という未来への希望があるが、後者は、たとえ当面の事態が収束できたとしても、避難住民の帰宅はかなわず、被曝した人々の将来の健康への不安は払拭されない。廃炉となった原発は永久に放射能を出し続け、これを環境から隔絶するためには莫大な費用が発生する。要するに、後々までも被害が継続し続け、被災した人々の未来への希望を奪う。
私たちには、受け入れ難い事柄を念頭から除外したり度外視し、これに対する探究や備えを疎かにする心理的機制のようなものが生まれつき具わっているのではあるまいか?もし発生したら対応できないことは、あってはならぬ事として思考から排除する。原発が壊れたら万事休す、打つ手はない。これでは科学技術に背馳するから、確率に依拠して自ら安心を得、それを他に納得させようとする。これは、原発を推進した側と、またそれを受け入れてきた側の双方に共通する心情であったのではなかろうか。
政府が原子力発電を推進したことが、国家の存続繁栄、国民の幸福を願っての発想であったのは間違いない。一部に、核兵器を保有するためだったという穿った見方があるが、それが主目的であったとは考えられない。
原子力エネルギーの利用なくしてこの国に未来はないという考えは、半世紀前の輝かしい経済成長の途上にあったこの国を覆い尽くしていた。当時の私なども、原発に何の不安も疑いも抱かず、科学技術の成果と考えていた。16年ほど前に読んだ本で、初めて原発には、回復不能の危険が潜在することを知ったに過ぎない。
良い考えであっても、事の運び方が悪ければ所期の成果はもたらされない。構想が優れていても、柔軟で堅実なシステムを構築できなければ事はうまく運ばない。
原子力発電の工学的な構造に変わりはなくとも、運用のシステムと危機管理の態勢には、この国と他の国とでは大きな違いがあるように思う。欠けているのは技術力でなく、人間の幸福をどうとらえるかの哲学だ。明治に西欧の学問を導入した際、実用学に偏重して哲学を軽んじたツケが、今の世になって顕れて来たと思う。
そのように考えるようになった契機は、5月27日にIAEA(国際原子力機関)の調査団20人が福島原発を視察したときの映像や画像を見たことによる。全員が、果敢にサイト内の高レベル放射能汚染区域に立ち入り、自らの目で事態を確かめていた。その姿からは、事実を検証するための、意欲と勇気が感じられた。
私たちは、事故の発生直後から今日まで、原子力安全委員会や原子力安全・保安院のメンバーが調査チームを編成し、防護服とマスクを着けて原発サイト内に入った映像や画像を、テレビや新聞で見たことがあっただろうか?Nobles Obligeという西欧先進国の常識は、この国では通用しないものなのだろうか?
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