人が喧騒を好むのは、考えたくないからではないかと思う。
人間は集団や喧騒の中に入ると、思考力が低下するのが普通である。
孤独と静けさは、否応なく人に何ごとかを考えさせる。思考には静寂が必要だ。いくら考えたところで、良い考えが泛かぶとは限らないが、困ったことに頭というものは、静かになると自動的に作動し始めるもの。物事を考えたくない時には、喧騒の中に身を置くのが一番確実だろう。
都会で暮らす人間は、日常うんざりするほど現実に追い回されている。都市の生活者には、できる限り現実から遠ざかりたい願望が常にあるのだろう。皆が現実を忘れたいのである。
喧騒は現実に対する思い煩いを忘れさせてくれる・・・
深まりゆく秋の、虫の音が聞こえる静かな夜は、人を物想いに沈潜させるもの。
静けさは老人たちにこそ相応しいが、若く健康な人々には禁物である。
秋の夜長に、人生経験の乏しい彼ら彼女らがあれこれ考えると、夢想や妄想が次と湧き、現実が厭わしく思えたり、家族を疎ましく感じたり、社会や政治を悪んだり、時には自分の存在さえ否定したくなったりして碌なことがない。
静かさは、若者には時に禍いをもたらし剣吞なものとなることがある。
人には成長過程のある時期、喧騒に埋没していたい時期が必ず訪れる。ある種通過儀礼に近いものと言えるかも知れない。
未熟な若者には、考えるより多勢で集まって騒ぐことこそ似つかわしい。
その意味で私は、ハロウィンの喧騒を、肯定的に受けとめている。無秩序だから、無意義だから、若者たちは集まる。彼らは秋の夜長を、喧騒と混乱のうちに過ごし楽しむ。
外国の習俗だろうと宗教行事だろうと、人種・民族を超えて騒げるなら、それはある種の祭りで、結構なことである。
神社ごとの、氏子集団が単位の日本の祭りは、各地域住民の伝統行事でもあり、誰もがその神事(喧騒)に参加できる性質のものではない。
氏子でもなく、共同体の一員でもなく、国籍も民族も雑多な東京に住む若者たちが、神祇と無関係に集団で騒ぐことができるのは、ハロウィンぐらいしかないだろう。渋谷のスクランブル交差点に若者が大勢集まり騒ぐのは、スケールの大きな一種の祭りと見ることができるのではないか?現代日本ならではの祭りである。
中には不心得者が紛れ込んでいて、商店や警備をする側に迷惑をかけることも頻発するかも知れない。犯罪が発生することもあるだろう。それは何処の祭りにも多かれ少なかれ発生するもので、事件性が大きい場合は問題になる。行政の責任者には頭の痛いことだろう。だが、行政も合理性だけでは喧騒を鎮められない。
かつては警備当局の警察官の粋な対応が評判になったこともある。治安の面からすれば、大衆の集団行動は危険を孕んでいるが、区長がスクランブル交差点に来ないで欲しいと呼びかけるのは、少し行き過ぎではないか?
脱法行為への警戒を手抜かりなく、警備が万全で監視の眼が効いていれば、集団の喧騒は一夜で収束するはずである。集団が解散すれば秩序は戻る。
余談になるが、ゲルマン民族の故地は、ヨーロッパの平地の深い森だった。森を原郷としたゲルマン民族(アングル族・サクソン族を含む)は、東方ステップの遊牧民フン族に追われ、心ならずも故地を捨て、西方や北方の平野や山地または島嶼に進出した。今でもドイツやイギリスの人々が、静かな深い森の中を好むのは、原郷への回帰願望があるからだろう。ゲルマン民族は、どちらかと言うと、静けさと思索を好む民族であるのかも知れない。
他方ギリシャ・ローマの民族は、森林の乏しい乾燥地を原郷としている。乾燥地帯の民族は、常に人と羊とが共に濃密に暮らしていたので、生活圏は羊の鳴き声が姦しい。その結果ラテン民族は喧騒に慣れた人々である。どちらかと言うと、賑やかさを好む民族であるらしい。
神道の神は、その元は山や島だった。その神が人と交流する場を、岩や滝・樹木などに特定し、そこを神の宿るところ、依代(よりしろ)と考えた。幽玄で静謐が支配する環境である。
そこで、人々は神と接し、シャーマン(女性)を介して神と語らう。このシャーマンと神との交信は、きっと姦しかったことだろう。
草創の頃の神社そのものは、静謐に包まれた環境だったようだ。
ユダヤ教からキリスト教が分かれた頃の生活環境は、城壁で囲まれた街の街路を馬車が往来し、牛馬や羊の群れが姦しく鳴き騒ぎ、バザールに集う住民や兵士たちに商人たちがうるさく声をかける喧騒そのものの環境だった。
そんな喧騒の巷で、イエス・キリストは人々に教えを垂れていた。イエスは
人々に静かな処で神に祈ることを求めた。キリスト教の神は喧騒を好まない。人が考えなくなるからである。
西欧でも、キリスト教以前には土着の俗神が居た。
キリスト教が、俗神を追放してしまったので、古代の神と人との関係は、その名残をキリスト教(カトリック)の行事にのみ形を留めている。
俗神は、喧騒が何よりも好きだったようだ。ハロウィンは、西欧のキリスト教化以前の俗神の時代の祭りがルーツだという。
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