道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

トリュフの豚

2022年07月19日 | 自然観察

私の生物好きは、小児の頃からのものだが、植物、特に野草への目を開かせてくれたのは妻である。

高校で理科クラブだった妻に、住宅周辺の雑草からひとつひとつ教えて貰った。街育ち(妻も同じだが)の私は、それまでワラビもハルジョオンも知らないほどに、野草に疎かった。

山野に足を運び、図鑑を見ては現物と対照することが10年も20年も続いた。その結果、夫婦で山野草を観に出かけると、私は妻の知らない植物を即答できるまでになった。
尊大になった私は、「師を超えた」とか「これからは、野外では先生と呼びなさい」などと言って、妻の顰蹙を買うようになった。

それでも妻が、山中で植物を見つける素早さにはまったく敵わない。目敏いのである。
珍種・貴重種・希少種などは、彼女と共にいなければ殆ど見つけられなかっただろう。

近視で視力の劣る私が、ある時彼女を「トリュフ採りの豚」に喩えたら、酷く憎まれ、怨みを買ってしまった。
豚のキノコへの嗅覚の鋭さと妻の草花への目敏さと、卓越した能力で比肩し得ると褒めたつもりだったが、誤解された。ちょうど体型も丸みを増す年頃だったので、当人は豚そのものに擬えられたと、深く根にもったに違いない。

多年夫婦で観察した植物は数えきれない。齢をとると、人の名前同様、植物の名前が思い出せないことがある。なるべく野外に出て、昔馴染みの植物の名を慥かめるよう努めている。咄嗟に思い出せなくても、思い出そうとしていると、名前が甦ることが多い。人も植物も、接し続けていれば、忘れないだろう。
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