道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

気象庁、「モーレツ」を使い過ぎ

2014年07月10日 | 人文考察
台風8号のテレビ予報を視ていて、苦笑を禁じ得なかった。気象庁予報課の会見をはじめとして、テレビ各局の気象予報士やニュースアナウンサーまでが、「猛烈な」をオウムのように連発していたからだ。「猛烈」の濫用と言ってよいだろう。
 
濫用するのは、災害が発生した場合に、前もって最大の警告をしたおいたという、保身のための言い訳の意図があるからである。本来役所というものは、民心を不安に陥れるような表現はなるべく控え、不安を鎮める役割に徹する立場にある。いつの時代でもお上は騒擾を避ける役目が重い。それが、自己保身を真っ先に図り、カケスのように騒ぎ立てるのはいただけない。
 

「猛烈」とか「物凄い」とかの最大級の言辞は、直接にそのような災害を体験した人々にして初めて使える言葉である。それを使うためには、その場に居合わせ体験した者しか語れない表現だ。そうでない部外者が使うと、オーバーで空疎な響きに感じられる。顔青ざめ、唇をわななかせて語るから聴く者は戦く。部外者はそれを黙って冷静に聴くことで被災者を慰め落ち着かせるしかない。

何ごとであれ、大袈裟な表現は知性・理性の欠如を示す。「モーレツな」は、子供達が「モノ凄い」をやたらと使い、ギャル達が「チョー」を連発することとまったく変わらない。人生の平坦でないことを知る大人が、まして公共に携わる機関がやたらと使う言葉ではない。

机上で予測したり、推測したりするに過ぎない人間は、努めて客観的で科学的な表現を採るべきで、情緒的な表現は有害でさえある。被害の当事者になる懼れのない者が、自分たちにしか知り得ない知見・情報に基づいて徒に誇大な表現を用いるのは、情報に疎い人々を脅かし、不安を煽ることになる。厳に慎まなければならない。予報はあくまでも主観の混じらない冷静で客観的な表現を用いるべきで、「モーレツ」などという最大級の誇張表現は断じて使うべきでない。育つ過程が恵まれ過ぎていたので、些細なことにも驚き怯える人達が増えているのだから・・・。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 新一年生 | トップ | 8月を前に »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿