夫婦も半世紀の間生活を共にしていると、しかもその大半を日頃顔つき合わせて暮らしていたとなると、「忍の一字」の大切さが身に沁みる。
それを、当事者の一方として虚心坦懐に述懐したつもりだが、向こう気の強いわが伴侶は笑止千万と斬り捨てる。「お前様が『忍』とは片腹痛い」と鼻先で嗤う。「若い頃から好き放題をやって来て、何を戯けたことを言う、この大酒呑みが!耐えて来たのは100%ワタシひとりじゃ!」
「ご尤も!」
これでは、互いに苦楽を共にした仲と讃え合うのは土台無理というものだ。我々夫婦は、千歳飴の袋の翁・嫗の絵姿のようには成れないのか・・?
当ブログ「惻隠の情」に書いたが、女性に惻隠の心は期待できない。それ故定年後の男性は、たまに仲間で飲み会を催し、互いに家庭での不遇をかこち合う。
夫に不満があって忍耐している妻たちは、自分たちにも至らぬ点があり、夫たちもさぞかし同じ程度の我慢をしていることだろうとは毫も思わない。女性から想像力というものを奪った造物主の所為だ。
確かに男女には、想像力という点で明らかに差があると見て間違いなさそうだ。経験的には、凡ゆる点で有能な女性でも、この能力には疑問符が付くことが多々あった。男性の側にも、女性の側から指弾される男ならではの欠陥があるが。
女性に歴史好きが少ないことも、想像力と関係しているのではないか?リケジョは年々増加の傾向にあるが、レキジョ(歴女)はどうだろう?
卑近な家庭の事情からの類推で、甚だ僭越との不興を蒙りそうだが、男女には想像力において較差があるように思える。これが男女間の、永遠に繰り返される諍いの根本原因ではないだろうか?
男と女は最初から分かり合うことができない作りになっていると思います。
だから、お互いが努力しなかったら、永遠に分かりあえないまま終わると思います。
それは、私が半世紀、結婚生活を送って学んだ結論です。
仰るとおり努力が大切ですね。
有難うございました。