道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

二人の時代小説家

2018年11月29日 | 人文考察
私はある時期、池波正太郎の時代小説やエッセイを愛読していたことがあった。同時代の作家のなかでは、人間の理解、とりわけ女性の本性・本質への理解が抜きん出て深く、男女の関係の機微を描くのが上手い作家だと思った。業と謂われる女の悪と、それに翻弄される男の様々な組み合わせを描いて飽きさせない。彼の小説の登場人物たちからは、人間の生の息遣いが伝わってくるように感じられていた。
 
同じ時代小説の作家であっても、藤沢周平は、人間理解の間口と奥行において、池波と甚だ懸隔があるように思う。物語としては、池波作品に遜色なく面白いのだが、登場人物の個性がやや型に嵌りがち、しかも主人公の行動に現実性が乏しい。作者の精神性が高くロマンチストである
ところから来るものだろうか。主人公に作者の理想が固着しているように感じられる。しかもこの作家は女性を見る目が優しい。NHKに好まれドラマ化される所以はそのあたりにあるのかも知れない。彼の時代小説は、山本周五郎同様女性に好まれる。
 
片や江戸っ子、株屋(戦前)の番頭や兵隊の経験の後に長谷川伸の弟子になり、薫陶を受けた新国劇の座付作者。片や東北人、高校の教師を務めている時に胸を病み、闘病生活の後に世に出た作家とか。社会経験の濃淡の違いは作品に出る。藤沢も闘病体験によって人間理解を深めた人に違いないが、池波の深さと幅には及ばない。しかし藤沢作品には、人間愛という理想がベースがある。ふたりに、煎餅(池波)と最中(藤沢)の違いを感ずるのは、独断に過ぎるだろうか?
 
池波が生まれ育った下町浅草という環境と、芝居好きの元職人の祖父の感化は、幼小期の池波に多大な影響を与え、それが作家になる基盤を醸成したかと思われる。下情に通じている点では、右に出る者はいないだろう。
 
彼は作品の中で、女が男に対してもっている絶対的な優位性を強調する。女の蠱惑性、誘引力、言わば魔力のようなものの男に及ぼす作用を、知悉していた作家ではないだろうか。また、男女双方の間に横たわる、埋めようとして埋まらない深い溝、本能の性差に因る懸隔を、知り抜いていたようにも思える。私には、藤沢はその面での体験が乏しかったと感じられてならない。

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