リニアモーター中央新幹線飯田駅の建設が具体化して以来、地元の期待はリニアの方に熱を帯びつつある。飯田ー浜松間のアクセス時間の短縮は、先に延びるかも知れない。
秋から初冬にかけ、晴天の日の朝は地域一帯がすっぽり霧に包まれる。それがこの伊那谷の気象の特徴らしい。この霧は、天竜川から立ち昇る水蒸気が、両岸の山地から明け方に降る冷たい空気に触れて発生する。
かつて木曽駒ケ岳の小屋に泊まり翌朝山頂に登ったとき、南アルプスの前衛伊那山地と足下の木曽山脈との間の伊那谷を、大河のように埋めつくす雲の帯を、ご来光以上に感動して眺めたことを思い出した。
霧は物の色を消し、形を模糊とさせる。霧を通して見る景色は、全体がくすんでおぼろに映る。至る所で、ロマンチックな光景が展開する。 私は中学生の頃に、日光の白樺林の中で初めて朝霧を体験し、情景に感動した憶えがある。 以来、陽が昇り空気が温まれば消えてしまう束の間の景観に、特別の感興を催すようになった。
霧がつくりだす光景に魅せられた日本の画家がいる。豊田市(旧挙母村)出身の画家、 牧野義雄は、1897年(明治40年)から1942年(昭和17年)まで英国ロンドンに住み、ロンドンの霧の風景を数多く描いて好評を博した。「霧の画家」「霧のマキノ」と呼ばれ、多くの英国人に高く評価されたという。 数年前に豊田市美術館の作品展で初めてこの人の作品に触れ、その後エッセイを読んで感銘を受けた。
霧が薄れ始めたころ、風越山(1535m)の登山口に着いた。飯田駅から望見できるこの山は、飯田市民に「市民の山」として親しまれている。
モミの森の中をしばらく登ると、伊那谷と南アルプスを一望にする展望台に出た。赤石岳以北の頂稜が白雪を戴いて輝いている・・・
この山の登山道は、古くから山頂直下に在る白山神社への信仰の道であり、また、伊那飯田と木曽上松を結ぶ物資輸送(中馬)の路でもあった。往時飯田宿は中馬の根拠地だったというから、荷駄の往来で賑わったことだろう。堅く踏み固められた広い道の脇に点在する道祖神が、それを物語っている。
山頂部は平坦で笹に覆われていた。笹をかき分け小径を辿ると、山頂標識と三角点があった。標識がなければそれとわからない、何の変哲もない頂だった。
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