道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

健康周期

2022年10月27日 | 健康管理
これは自身の経験に照らして感じていることだが、どうも体の総合的な健康というものは、一年のうちで2回ほど周期的な波動を繰り返しているように思える。

冬に好調の山があると、春から夏にかけて不調の谷があり、夏が好調だと秋から冬にかけて不調の底が来る。落差は微小で、それと気づかないことも多い。この波動を正確に掴むことができるなら、先手を打って対処し、より健康な生活を維持できるはずだが、波動は微妙に波長と振幅の変化とズレを伴い、規則性を的確に掴むことは叶わない。体調不良になって初めて、周期の底に入ったと知るしかない。

私の場合は、今年は当月が底だったようだ。滅多に医療機関に行かない私が、2つの医院を掛け持ちする羽目になり、行楽絶好期を虚しく家で過ごしている。健康波動は、年ごとに周期が短く振幅は大きくなるものだろう。

健康は体力・精神力・免疫力・食事・睡眠・運動・気象などの要因の総合だから、この波動にはそれらの因子が複雑に絡み合い影響し合っているに違いない。とても人知の及ぶところではない。

かつてバイオリズムというものが、注目されたことがあった。人には生まれた日時で週単位の健康周期が定まっていて、それは年齢を経ても変わらないというものだったと記憶している。
科学的でない迷信に近いものだったので、今では人の口に上らない。迷信というものは、気を付けていないと知らぬ間に蔓延るから油断ならない。
現代は科学を装った迷信が、テレビを介してあっという間に広がる。
サプリメントの宣伝などがそれで、深くテレビCMと結びついて猖獗を極めている。知名人を広告塔にした映像は、絶大な効果があるようだ。

私が昔山歩きをしていた頃に、幾度か訪れた標高1500mを超える高地集落の人々は、自動車道が整備される戦後まで、永く医療絶無の環境にあった。
ごく限られた伝承の民間薬を頼りに、人々は健康を維持していたのである。その不安に恬淡とした潔さに驚嘆を覚えたことがある。人は生老病死の不安に対処するには、潔さしかないと思った。

そこに住む人々は、縄文の大昔から代々それをあたり前の生活条件として受け入れ、不安を払い厳しい暮らしを生き抜いて来たのである。現代なら救えた命が、どれほど失われたか、想像を絶する。

現代人の健康不安は、手近に医療機関が在り、メディアが病気を教え、ネットでその内容を伝えるから発生するのである。もし医療に縋れない状況を想定するなら、健康不安というものは、雲散霧消してしまうことだろう。もちろん、不安がないことが健康とは言えないが・・・


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