私たち日本人の腸内には、善玉菌と日和見菌そして悪玉菌と呼ばれる細菌群が、2:7:1の割合で生息しているらしい。これらの細菌群は、腸壁に腸内フローラと呼ばれる細菌叢をつくり、拮抗を保って生活しているそうだ。善玉菌の仲間には3種類があって、その酸素要求度に従って生育に好適な腸内の特定の場所に別れて棲み、腸内を通過する食物に働きかけ、消化と吸収の両面で寄与しているらしい。「小腸上部」には酸素が無いと繁殖 . . . 本文を読む
若い頃から見ると、身のこなしが相当ぎこちなくなって来た。加齢で身体のあちこちが固いからそうなるのだろう。老化とは、感覚が鈍麻し、身体の活動が鈍重になることである。つまり鈍×鈍、鈍の二乗である。しかしそれは自然の摂理に由るものであるから避けられない。天理に抗うことはできない。抗おうとするから、サプリメント業界の好いカモになるのである。「鈍の二乗」世代は、サプリメント業界から見れば絶好の見込み客層であ . . . 本文を読む
今秋は未だホトトギスを観ていなかったので、浜松フラワーパークへ行った。この公園に山野草園はないが、植栽域でない斜面を縫う小径には、野草が多く自生している。フラワーパークに来て野草を観察するのも、園内に自然が残っていればこその楽しみ、決して酔狂を衒っているわけではない。三連休の翌日の園内は人も疎らだった。当てずっぽうにスロープカーと呼ばれる斜面モノレールに乗り、谷地の底に降り立った。園路を辿り、ホト . . . 本文を読む
私たちの理解や判断は、学習と体験で得られた知識を頻繁に参照することによって成り立っている。記憶の保存と検索の能力がこれをたしかなものにしている。一般に人はある段階で学習を修了せざるを得ないが、寝ている時以外は活動をしているので、体験は生涯を通じて已むことがない。体験は人の理解力や判断力を高め、人を琢磨し続けるものである。大工さんが毎日ノミやカンナを研ぐように、私たちは日々自分自身を体験という砥石に . . . 本文を読む
万葉の森公園の草花に、目を惹くものはめっきり少なくなった。ヨメナが咲いていた。最近は野山を歩かないので、目にすることが減っている。何年ぶりだろう。人も花も、心ときめいた対象に邂逅するのは、幾つになっても嬉しい。ノギクの仲間では、昔からヨメナに最も惹かれていた。花弁が離れていることと、花色の淡い色が好ましかった。五葉アケビの実が成っていた。美味しいものではないのだが、この実を見ると、なぜか嬉しくなる . . . 本文を読む