私の小学校の頃 運動会は春と秋 2回だった。
春は小学生のみの紅白対抗の運動会。
何かいつも雨がしょぼしょぼ降る中で、粛々と競技が進んでいった感じで、あまりいい思い出がない。
それに対し秋の運動会は、大人も一緒になった地区対抗運動会。
秋晴れの中、小学校の校庭がぎっしりと人であふれ、ものすごく盛り上がった。農家の取入れが終わった後で、秋祭りの一環みたいなものだったと思う。
まともな徒競走や綱引き、リレーとともに、パンくい競争や借り物競争、そして自転車遅乗り競争など、愉快な種目が実施された。
そこで、両親はじめ近所の大人たちが、大活躍するのを楽しんで見ることができた。
大人の徒競走やリレーは大迫力。一月ぐらい練習する人もいるとのことだった。 リレーなんか気合を入れた声を出し合って、接触したらケンカが始まるのではと思うくらいの剣幕だった。
競う大人達を見て、その凄さ、力強さを感じた。
特に大人の綱引き。それと較べて子供のひ弱さ、チームプレーの重要さや作戦の大切さを学んだ。ともかく勝った時には、後で大人が、子供達に戦略をとうとうとしゃべってくれた。
それとともに、私達が走っている時の声援が凄く、大人の子供への優しさとともに、子供であってもチームの勝負に参加することの厳しさを意識させた。
昼食の時は大家族で集まるとか、近所の人と一緒になって重箱を囲んだ。子供達は、ここあそこの輪の中の食べ物をパパパッと眺め比較し、それぞれの輪に所属する子とガンを飛ばしあった。
母は、隣の家の子供のいない夫婦を、いつもうちの輪の中に誘っていた。
母の料理は、離れたところから来たこともあるが、地域の伝統のおかずだけでなく、その地域にないものも入って見栄えがしており、僕達兄弟の誇りとするところだった。
その年は、本家を継いだおじさんが初めて運動会に参加していた。
子供がいないこと、また運動が苦手と自称していたこともあり、それまでは来たことがなかった。しかし、妹に加え弟も小学校に入り、その2人が強くねだったためである。
いつものように妹を膝に乗せ、ニコニコしながら食事をしつつ、ぎこちなく廻りの人に会釈していた。
外で作業する人の多い中で、日に焼けていないおじさんは、そのぴんと背筋を伸ばした姿勢もあり、やや場違いな感じがした。
午後先ず父が出場。
パンくい競争だったか、煙草吸い競争だったか忘れたが、ともかく口に何かをくわえた状態で、ダンプカーのごとくゴールに大差のトップで走りこんだ。
小学校に入ったばかりの弟は、飛び上がって喜んだ。そして、応援席に帰ってきた後口にくわえた状態で走るのは息が出来ないから苦しいんだと話す父に、まとわりつつどんなもんだいって感じで同級生達を見回した。
煙草吸い競争と言うのは ぶら下げられた蚊取り線香の火で、くわえた煙草へ手を使わずに火をつけるというもの。今は当然競技から追放されているだろう。
またパンくい競争も最近見てがっくり、袋に入れたままぶら下げている。なにか迫力ないなあ。
次は母、おたまの中にピンポン球を入れて運ぶ競技。
スポーツの苦手な母は、スタートで出遅れ、その後も引き離されたけれど、ピンポン球を入れてから早くなった。上位が球を落としたこともあり、2等賞。従来実績から期待していなかった応援団が非常に喜んだ。
はにかんだ笑顔で帰ってきた母が、僕達にこそっと言った。
「今年は、ちょっと練習したのよ。いつも申し訳ないから。」
夜に家の前の街灯の下で、しゃもじを持ってピンポン球と戯れていたのであろう若い母を、今イメージすると、微笑ましくなる。しかしその時は、母の見えない努力を本当に尊敬した。
確か最後のリレーの前が、おじさんの参加する競技、餅食い競争だった。
浅い箱に入った白い粉の中に餅が隠れており、手を使わずに、粉を息で吹き飛ばしたりして探し、口でくわえてゴールに走りこむ競技。やると顔が真っ白になる。
おじさんは何も出場しないつもりだったが、妹がねだるのをもてあまして、最後に1枠開いていたこの競技にエントリーしたのだ。
多分お洒落なおじさんとしては葛藤があったのだろうが、何も知らない残酷な子供の願いには、負けてしまう。
走り出した途端、応援団がエーッとなった。ともかくものすごく早いのだ。一番に箱にたどり着き、白い噴煙を上げて、餅を探しくわえた。そして一気に独走でゴール。
物静かなおじさんの私のイメージが一変した。周りの応援団、即ち地域の人も同様だったらしく、ゴールのさいワーッと言う声と、意外というため息がもれた。
通常は、その後顔を洗いに水場に行き、それから帰ってくるはずであった。
しかしゴールに近い応援団席だったから、興奮した妹と弟が走っていって両手にぶら下がり、応援席まで連れてこられてしまった。
顔半分、そして眉毛が真っ白だった。きっと子供達だけに向けられた、照れたようなだけど誇らしい笑顔だった。
「○○さん、すごかったよ」 「来年にはリレーに出てもらおう。」 皆が口々に言った。
子供と応援席を一周した後、顔を洗いに行き、いつもの澄ましたおじさんが帰ってきた。
最後は子供と大人の混合リレー。同学年の代表は先週から夕方に大人に呼び出され、バトンの練習をさせられていた。
大歓声の中で走り終わったチームのメンバーは、年齢に関わらずわいわい言いあっていて、なにか羨ましかった。
子供達は、閉会式で終わりだったが、大人たちは家へ帰った後、反省会ということで、ぞろぞろ出かけていった。
興奮覚めやらぬ妹と弟も、家に帰るや否やおじさんの家に出かけていった。
そして、おじさんに甘えるとともに、一緒に住んでいるおばさんそしておばあさんに、おじさんってほんとにすごかったんだよって口々に言った。
おばあさんは、その場はニコニコ聞いていたそうだ。
しかし、息子がかっこ悪いことをするのを非常に嫌っていたから、その後の近所の話も聞いて、おじさんにもう運動会は出るなと言い渡したそうだ。
おじさんも気がやさしいからその約束を守り、次の年以降いくら僕達が誘っても、運動会に出ることはなかった。
考えてみるに、秋の運動会で大人たち、特に男の競う逞しい姿を見ることが出来たのは、非常に幸せだった。
子供としてかなわない部分をはっきりと感じるとともに、どういった努力をしていかなければいけないかもわかった。
そして、大人たちも、子供に同じ目的を持たせて活動する中で、伝えなければいけないことをちゃんと伝えようと一生懸命だったのだろうとおもう。
私は残念ながら、高等学校でその地を離れたため、伝える側になることはできなかった。
同級生達は、がんばっているのだろうか。
そして、この地縁意識の弱い都会の郊外で、淡々と進む運動会。大人の役割は、来てチャンと見てあげているよっていう程度。
激しく競い合うパワーを見せつけることが出来ず、ただ優しさだけしか感じさせない大人を、子供はどこまで頼りになると思うのだろうか。