てんちゃんのビックリ箱

~ 想いを沈め、それを掘り起こし、それを磨き、あらためて気づき驚く ブログってビックリ箱です ~ 

神戸製鋼等の不祥事に想う

2017-10-25 10:21:33 | 日記

 これは別のところのディスカッション内容に 説明を加えたものです。
 一般の人にも公開してもいいと思ったので、とても固い話ですが 私関係では読者の多いここにも掲載します。


 東芝は文系の不祥事だったが、日産自動車、神戸製鋼所と続いて理系の不祥事が相次いだ。神戸製鋼に関しては私もお付き合いがあったが、なかなか家族的な雰囲気があり、また技術者を大事にしている雰囲気はあった。でも判断が濁っていたんだね。
私も理科系であり、こういった不祥事への対応等を考えていたことがある。

 現在多くの企業は、企業内においてコンプライアンス重視(法律や社会通念を守ること)としており、企業内でなにか法律的に問題があるようなら、企業内でその部門に連絡するような体制を作っている。神戸製鋼もISO9000の取得者だし、下記のような立派な企業倫理綱領を持っている。
http://www.kobelco.co.jp/about_kob...

 しかし、それでもこんな馬鹿な不祥事が継続していた。
 私はこれまでの経験から、こういったことが日本の企業で起こってもしょうがないと思っている。
 そして企業で変なことがなされた場合、企業内だけでなく積極的に公の場にも、明らかにされ対応する体制ができていなければならないと思っている。そのために実施すべき2点について述べる。

1.高校生レベルからの、公的機関の機能の教育。
その中で、就職先等が異常なことをやっている場合の公的訴状先の教育

2.米国のプロフェッショナルエンジニア(PE)活動内容の導入
(なおPE活動については、具体例を知らない。むしろ航空機関連の後述するDER活動は具体例を知っているので、その考え方の導入といってもいい。)

1.について
 神戸製鋼では、ISO9000の内部品質監査、社内の技術士(本来は公共優先のはず)、労働組合など、ブレーキをかけるべき組織や人がいたにも関わらず、品質の欺瞞が長期間継続してきた。たぶん関係者も非常に多く蓄積してしまったであろう。

 これの理由としては、下記が考えられる。品質保証部門は、むしろ品質欺瞞部門になってしまっている。

(1)家族的過ぎて、周りを傷つけないことが優先される。品質よりも、納期や利益が優先されている。そして過去やっていた人が既に偉くなっていて、そんなもんかと思っている。
(2)国の法律自体が、交通法規の例に見られるように取り締まりがいい加減であり、恣意的と考えている。その中で社会規範が崩れてきて、眼の前の品質管理もいい加減に考えている。
(3)米国のクリティカル度が高いものを対象にした規格を、日本は真似して取り入れているが、日本国内の場合には、適用対象のクリティカル度が低いので、材料がややいい加減でも実際に大丈夫と、舐めている
(4)社内では、訴えること自体が不利。公的機関に課題を伝えたいとおもっても、どこに伝えるべきなのか、わからない。また、訴えた人が守られているのかがわからない。

 私は若い人の社会規範が崩れてきているのが最も不安である。 そして大学のアルバイトから収入第一と、詐欺まがいの会社でアルバイトをやっている状況があることを知っている。
 
 これは政治家等の見本に問題があり、社会的にリーダーシップをとって動いている人たちは、法律よりも厳しい規範を自ら設定して明示し、それに基づいて活動している姿を示すべきである。
(政治家や高級官僚なんか、法律基準で合法なんぞと言ってはいけない。それは自分はプロでないと言っていることである。法律で合法でも規範を外れている場合は、政治家等は辞めるべきである。)
 
 また教育の方向に問題がある。
 米国と比較すると、米国は自立する人を育てるということで「私は・・・」で始まるが、 日本は組織に従属する人へと教育するため「みんなで・・・」ということになる。そして米国は自立のために、例えば会社設立のための手続きの仕方、各種申請先や問題が起こった時の役所の使い方を教える。日本ではあの総合学習で教える対象であったがうまくいかず、結果として、ほとんどの人は役所の使い方もわからずに実社会に出て、税金がどう使われているかの具体的見本を見ていない。

 ここを改善し、もし自分の会社が「悪」を行っていると感じたら、個人で訴える公的機関を教えるべきである。それとともに、それが企業内で不利益ならないように、法規を整備すべきである。

2.について
 これについては、航空機の設計保証に関わるDERの存在を教わったことに基づいている。
   DER Designated. Engineering Representative

 DERとは、アメリカ航空局の委託を受けて航空機の設計の妥当性を審査する役割の人である。アメリカ航空局は人員の制約があるため、民間で能力が高いとされる人に審査を委託する。その際審査される会社の人も指名される。例えばボーイング社がB787を設計する中で、ボーイング社の有能な社員も指名される。B787設計チーム内の人もいる。

 そうすると通常はボーイング社側の職制の指示のもとに、B787の設計を実施している。しかし航空局から審査開始の指令が入ると、ボーイング社を一時離脱し、「公共の利益」を最優先として、その人の観点からボーイング社の設計内容を審査する。
 ボーイング社内でその人が指示されていた設計方針を問題視してもいいし、ボーイング社の上層部を追求しても構わない。そして審査期間が終了しボーイング社に復帰後は、DER期間中の活動がボーイング社内の立場に不利益にならないように扱われる。

 非常にこのシステムは面白いので、来日していたDERの人(マクダネル社から独立してコンサルタントをやっている人)に確認したらその通りと言ってもらった。そしてむしろ自立できる人として、企業内で優遇されるとのこと。

 その際、アメリカではプロフェッショナルエンジニア(PE)も一般産業において、同様な役割を持っていると聞いた。日本の技術士と同様なイメージを持っていたので驚いた。
 すると、PEも所属する社内において、技術に対しては「公共」を最優先とする役割(所属企業ではない)を持っていて、その企業が異常なことをやっていたら、公的に訴える役割を持っているとのこと。そして重要な契約等に関しては、PEの参加が要求されているとのこと。
 そして、PEの活動については各州から査問を受け場合によっては資格を取り上げられる。日本の技術士に対しては、査問等はないはずである。

 このようにアメリカでは、自立した個人を作り、会社等が異常なことをやれば、個人が公へと訴えるやり方を教育している。また企業内に、企業ではなく社会を優先する人を作り、その人たちからの情報を得ることで、社会の安全を確保しようとしている。

 日本もこういったやり方を取り入れるべきである。
・・・・とあっさりとは書くことができない。社会の基本構造から変えていく必要がある。

 日本は、ちゃんとした組織の塊を信頼しようというのに対して、アメリカは外から見て信頼できる個人が参加している組織を信頼しようということである。
 そうすると組織と個人の関係がガラッと変わる。職制に関わらずPEがサインしない図面は動かなくなる。またPEは外に見える技術者であるから、他企業へ有利な契約を求めて移動することになる。PEだけでなくそれを目指す予備軍も同様となる。その結果、人の流動性について覚悟しなければならない。よって技術者と企業との関係が変わる。

 それとともに、選ばれた技術者の判断の責任の取らせ方が変わってくる。技術に対して問題が発生した場合、その判断をした技術者が社会に明示される可能性がある。その判断が、悪意があった場合とか納得できないご都合主義であった場合は、その個人が当然糾弾される。

 しかし、悪意がなくそして判断をした時にその技術者が予見できない環境にあった場合は、それを当事者が説明できれば免罪される。このことは航空機のDERの人に聞いたことで、航空機では将来への技術的進展を期待してそうなっているとのことである。
 だから航空機事故が起こった時、関係者は率先して自分の判断した経緯に関わるデータを調査団に提出するとのことである。(日本の隠蔽体質とは違う。)たぶんその他産業においても、同様な扱いになっていると考えられる。

 日本ではいざ事故が起こった場合、その判断に対して原因に関わらず無限責任がかかってくる。そうすると個人では支えきれず組織でぼんやりと責任を分担することになる。それとともに新しい技術に対して、その時見えない要因による事故の将来リスクを恐れて、適用を逡巡することになる。
 このような個人の免責の考え方について、日本の社会がどう考えるのかが課題である。

 多分日本の将来を考えるうえで、個人と組織(会社)との関係をちゃんと考える時期に来ているとおもう。
 そしてそれぞれの個人は、仕事のプロ意識への考えと、プロであるためのモラルの持ち方について考えていくことになるだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする