おじいさん、あなたの声をおもいだせない。
それどころか、あなたが話している姿を、おもいだせない。
小学校5年までは、近くで一緒に住むも同然だったのに。
あなたは、山深いところから養子に来られ、本当に黙々と、野山、田畑で働きつづけた。
僕たち子供が田んぼに行ったとき、遠くから手を振ってくれたけど、仕事を止めなかった。
畦道小道で遊んでいて、ふと気がつくと、泥の海に整然と緑の苗が並んでいた。
田んぼの近くに、大きな柿の木がありましたね。
僕が登っていたとき、大きな枝が折れ、見事に、かなり稲の育った田んぼに落っこちた。
一緒に来ていた弟と妹が、びっくりして泣き出す中を、あなたは、急いで走ってきた。
心配そうに身体を触った後、ほっとした眼で、ごつい固い手を差し伸べて起こしてくれた。そのままおぶってもらって、家に帰った。
その時、太陽に焼けたあなたの熱い背中にいる僕に、あなたは確かになにか話し掛けてくれたんですよね?
その言葉で、僕は痛みと、弟達へのかっこ悪さが消えたんだ。
小道を分け入った小さな谷の、池の近くに、かっての隠し田があった。
緑の木々が見つめている中で働くおじいさんは、本当に生き生きとしていた。
僕たちは、春そこで牛と戯れ、夏は手拭から出されたカブトムシに驚き、その後争奪戦に移った。次の日には、ちゃんと人数分そろえてくれましたよね。
そして秋、手招きして、頭の上の木々からぶら下がっているアケビの実を指差した。
それを採ることができたのは、たしか背中へ向かって指示されるとおりに登っていったからだったはず。
拍手をうけ、得意になって降りてゆくと、もうあなたは刈り入れの準備作業に戻っていた。
あのアケビは小学校にも持っていって、見せびらかしたんですよ。
おじいさんは、相撲が好きだったね。
急に病気がちになった小学校4年生のとき、父母が是非といったので、神社の奉納相撲大会に出場した。
僕は、裸にまわしなんて全然好きじゃなかったけど。
氏子総代だったおじいさんが、紋付袴を着て正面で見守る中、一回戦も敗者復活戦も簡単に負けてしまった。
だって背が高かったから、6年生と取組まされてしまったんだもの。
だけどあなたは、がっかりした素振りも見せず、両側の人の話し掛けに相槌を打ちながらも、じっとこちらを静かに見ていた。
母が後で、「相撲大会に出られるほど、大きく強くなったんだなって喜んでいたよ。」と話してくれた。
「強く」と言うのが恥ずかしかったけど、うれしかった。
これが、最後の、そして唯一のおじいさん孝行だった。
その後入院したら、ずっと病院を出られなくなった。そして半年ぐらいたって家に帰ってきたら、まもなく亡くなってしまった。
おじいさん、子供の頃はずっとおじいさんの静かな透き通った眼が守っている範囲で、生きてきたように思う。
そこにいた親族の中でもっともごつい硬い手、太陽のエネルギーをたっぷりと蓄えた広い背中、そして、黙々と働く姿、…・いろんなことが思い出されます。
しかし、口。食いしばっていたり、少し微笑んでいたり、 大笑いはまるっきりなかったな、そして、今にも言葉を生み出すかのような口。
だけど思い出の中では、動かない。 とても優しい、そしてりんとした語り口だったはずなのに。
おじいさん、あなたの言葉を、声を探している。
いつの日にか、きっと記憶の中から見つけ出す。
だけど私は、おじいさんのあんな静かな眼を持つことが出来るのだろうか。
さる消滅したSNSからの再掲載