てんちゃんのビックリ箱

~ 想いを沈め、それを掘り起こし、それを磨き、あらためて気づき驚く ブログってビックリ箱です ~ 

40年前の大学派遣時のある経験

2021-02-16 07:09:30 | 日記

 会社に入って暫くたってからのこと。今を基準とすると40年くらい前。大学に派遣された時の思い出を書きます。この時に東南アジアのある国における民族差別の状況を経験しました。ミャンマーのロンヒギャの差別を見て、その国は改善されたかと確認したらまだ不十分な状況のようです。


 所属していた会社がある大学と連携し、そこから技術を習得することとなり、ある研究室へ暫く派遣された。
その研究室の教授は、国際協力に熱心で海外(東南アジア、アラビア、アフリカ等)の技術者に対する教育を実施していた。特に実践教育を重視して座学だけでなく大学内の実験実施、関連企業への派遣し、そこでの委託による現場教育を実施させていた。
 その教授は学会でも実力のある人だったが、非常に厳しい人で、そこにいた助手が逃げ出し、新しく雇われた助手(現在の助教)も精神的に参って、出てこなくなった。
 海外の技術者への教育システムは、そこの助教授(現在の准教授)と助手で運営していたので当然ながら滞ってしまった。

 教授は慌てて、自分も手をだしたり卒業生に頼んだりとやっていたが、カバーしきれず、私にも手伝いを頼んできた。これは当然私の会社からすればルール違反である。会社内の理解のある上司と話し、何か起こっても人身事故にならない範囲で手伝おうということになった。会社基準からすれば、大学の機械的実験や化学的実験は危険とされるものがあったからであり、万一発生した場合の大事を避けるためである。
 結局座学と派遣企業への案内(相手の説明不十分な場合の追加説明含む)主体としたが、学内での機器を使った計測実験は一応安全だろうということで請け負うことにした。しかしこの実験が難物で、教授が書いた日本語のテキストを英訳することが教授から助手に指示され、助手が逃げ出す主要因となっていた。

 中途半端に進行中の日本語文と英訳を見ると、日本語文自体が英訳に適してない文体で難しいことがわかった。しかしあまり時間がない。
 会社のほうである程度外国規格の知識を得ていたので、米国もしくは欧州でそれを計測する似た規格から記載方法を持ってくることを考え、会社と図書館で適切なものを見つけた。また機器の英文の取り扱い説明書も入手して、それらを適当に切り張りして、教授の作成文とはずれるけれども、より世界標準に近いはずのものを作り了解を得た。

 その実験は、3~4人を対象に座学と実験を組み合わせて一日がかり。3グループ?に対して実施した。
 最後のグループが3人で、ある東南アジアの同一国からの2人とアフリカの1人の組み合わせ。履歴書を見ると全員が大学卒業生だった。特に東南アジアの一人が欧州の有名な学歴を持っていたので、なぜこんな研修に来たのかと不思議におもった。なお彼らはすべて私よりやや年上。

 午前に座学開始。
 最初の挨拶で、高学歴の人は(今後Aとする)非常にきれいな英語を使った。背が高くなかなか見栄えもよかった。その後の講義中も鷹揚に手を前に組んでそこに顎を乗せて聞いている。彼にとっては簡単なことだろうなと思い、また私の英語が下手で申し訳ないと恥じた。その他の2人は熱心にノートを取っている。
 まずおやっと思ったのは、その後の実験から得られた結果を処理することを想定した練習問題。Aは自分では手を動かさずに同一国からの研修生が計算しているのを、あれこれ指さして話している。三角関数を利用した計算なのに説明がわかりづらかったかなと考えた。その相手(今後Bとする)はこじんまりしてやや浅黒い人で、年齢はAより2歳年上。

 その後食事となり、別々のところで食べた。その後部屋に戻ってきたが、様子を見ていると、Aに対して、Bがお茶の準備などいろいろ世話を焼いている。
 これが2回目のおやっ。

 実験実習の準備。
 それぞれに個別の実験計測対象を準備する。まずその内容を説明。
続いて計測機器の説明。操作パネル全体の説明と、計測手順の説明を彼らとは別のサンプルで見本を示した。そのさいちゃんと計測するための機器のバランスのとりかたやキャリブレーションの方法を丁寧に説明した。また少しは危ない操作、装置を壊さないための注意を行った。
 手順についてはちゃんと箇条書きにして、配布していた。3人ともそれなりに興味を持って聞いていると思った。

 機器は一つしかないので、実験は3人が順番に一人で実施。機器はバランスやキャリブレーションをとっていない状態から開始。まずアフリカ人、そしてBが、箇条書きと自分のメモを見て計測完了。特にBは非常にポイントをついた確認をしてきて、非常に優秀と思った。

 そしてAの番となった。彼はBが機器をセッティングした状態で始めようとしたので、慌てて制止。スィッチをオフしラフに計器のダイヤルを動かした。これで最初からちゃんと始めなければいけない。これはBが実施した時、アフリカの人のセッティングを崩したのを見ているからわかっているはずと思っていた。

 彼はじろっと睨んだ。Bは心配そうな顔をした。 
でもAにやってくださいというと、箇条書きを見て、時々Bと話しながら、何とか機器をセッティングし、一応計測をやり終えた。機器の説明をちゃんと聞いていず、また先行する2人状況をちゃんと見ていなかったことが分かった。そして計測にちょっとしたミスがあったが、これは後で話すこととした。

 続いて3人の計測結果をもとに、データを処理し解釈するステップ。
 Aの手が動かない。ほかの二人は合格。Aはなんとベクトルと三角関数があやふやだったのだ。午前の座学はそれらを前提としていたので、要するに全然わかっていなかったということ。
 慌てて三角関数の基本を説明し、なんとか正解までたどりつかせた。なお先ほど言った計測ミスというのは、三角関数の特性から答えが2つ出るので、どちらかを消去するために、
実験操作が必要だったこと。

 一応これで実験は終わったが、Aがブスっとした雰囲気だったので、これではまずいとおまけすることにした。それは機器をちゃんとセッティングしていないととんでもないデータでも取れてしまうという実演。
「貴方達は国に帰ったらマネージャになるのだから、部下にごまかされないように。」と言って、機器のセッティングを狂わせ、計測値がかなり変化することを示した。そして三角関数や引き算などがデータ解析式にある場合、とんでもない誤差が生じることがあることの実例を示した。
「マネージャになったら、重要なデータについては、時には実験室に行って機器の操作具合をみたり、データを自分で確認したりすることが必要です。」
彼らは、私がほぼ狙った通りにデータをシフトさせたことにかなり興味を持ち、面白がった。そしてBがいい追加質問をしてきたので、丁寧に答えた。基本的にフラットに対応したつもりだったが、積極的な人Bに好意的と見られたかもしれない。

 2~3日経ってから、助教授が話に来た。
 にやにや笑いながら「Aに厳しくやったそうだな。」
「厳しいかどうかは別として、ちゃんと教えました。」
「彼はその国では支配階級のお坊ちゃんで、今回は箔付けに来ているのだ。帰って新しい機関ができると、かなり偉い人になることになっているらしい。Bはそのお付きの人で、山岳民族出身の人だ。簡単には国籍登録もされないけれども、優秀なので国籍を持っている。」

 彼等の国内ではその山岳民族は徹底的に差別されていて、坊ちゃんの所属する階級や民族には絶対服従ということになっている。その差別の状態で坊ちゃんの面倒を見る配下としてBは来ている。日本の立場はそれにかかわらないが、両者の国内での関係をあまり刺激するようなことはやってはいけないとのこと。
 そしてお坊ちゃんが大学卒業の時、Bがヨーロッパに派遣されて、お坊ちゃんの卒業論文を手伝ったというお話もあるとのこと。それで2人の関係、能力の状況はだいたいわかった。
 講義のあと、暫くたって彼等を企業へ連れていくことがあったが、お坊ちゃんのほうは慇懃に挨拶した。それに対して小さな人は非常にニコニコして挨拶してきた。

 2年後に助教授に聞いたら、そのお坊ちゃんは帰国後暫くして予定通り新しい機関の長になったとのこと。それで教授は向こうに招待され、重要なアドバイスができる役割になったそうだ。それは同時にそこへ進出するとか市場を得ようとする日本の国内企業にとっても有用なことで、教授は学会や産業内で一層権威を高めたとのこと。

 今は知らないが、その頃に日本にその国から派遣されてきた技術研修者には、その国の将来にとって重要人物が混ざっていて、帰国したらとんでもない地位に就くことがあること、またそれを認識していた日本の受け入れ者側には、それを利用して独自の権威を得ることを狙っている人がいることがその時わかった。
 それとともに海外に出た場合、もしくは国内で海外の人と対応する場合、もしかするとその国での基本的な差別というものがあって、自分の行為がそれを擾乱することになってないかということを少しは気に掛けるようになった。

 その時はそれよりも、欧州の有名大学でもまさか三角関数が使えないのかと、その時本当に驚いた。でもその後そんなことがあっても珍しくないなと驚かなくなった。大学だって卒業生をちゃんとチェックしてない。また私だって若い人にとっては常識だが面倒くさいパソコン操作などは、ほったらかしにしている。

 この国とはその後も縁があって、その10年ほど後に企業の私の先輩が国の機関から依頼されて、向こうのある団体の技術顧問として派遣された。立派な部屋で背景にその国と日本の国旗を並べて執務している写真を送ってきた。
 びっくりしたことにその受け入れ機関の長がBで、挨拶の際私によろしくお伝えくださいと言ったそうである。その民族として破格の出世とのことだった。この人の能力を認めていただけに、ほっとした。

東南アジアではないけれども、中国の桂林に行った時も漢民族のその他の少数民族への差別を見た。アメリカ、ヨーロッパにも民族差別はあるけれども、アジアの民族差別はミャンマーのロンヒギャにみられるように寧ろシビアなのではと思う。


 このテーマ関連で、その国の写真はないけれども中国桂林に行った時の漓江下りで見た民族格差にかかわる写真(2006年)を示す。
漓江下りの途中にそこに住んでいる少数民族の村がある。この時は冬だったが、川岸に子供が並び観光船に声をかけて川へ銭を投げてもらう。それを潜って拾っている。裸の人がその人達。ガイドの話では、家族で年収10万円のオーダーの人々とのことだった。



コメント (2)
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