てんちゃんのビックリ箱

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私の初めての海外出張 (その1) 背景および旅立ち

2021-02-22 22:19:21 | 昔話・思い出

 今から40年くらい前の私の初めての海外出張。私の現在にかなりの影響を与えていると思っています。でも既に忘れつつあるし、きっとそれが加速していくだろうと思います。
そこで現段階で記憶の中にあることを、ここに書き残しておくことにしました。4~5回に分けて書きます。

1.背景説明

 私が大学卒業後就職したのは、企業の研究機関であった。
 事業部支援や独自研究、先日の大学派遣等をしつつ仕事を進めてきたが、数年後に初めての海外出張の機会を得た。これがのんびりとシビアを組み合わせてものだった。

 シビアな方は、事業部依頼である技術開発を進めていたが必要な設備詳細を知るためにイギリス企業出張が必要になったこと。この役割を事業部から私に依頼された。のんびりのほうは、ヨーロッパの国際会議や見本市に合わせて産業界の技術調査団が派遣されることになり、所属の誰かがそれに参加することになったこと。
後者は本来なら部課長クラスを想定したゆっくりした調査団であり、私の所属の部長補佐が行くはずだったが、都合で(ゴルフのやりすぎで腰を痛めて)キャンセルではなく代理が必要になった。3週間弱の長期なものであり、それだけを開けても組織上大丈夫な人ということで押し付け合いが行われ、仕事の穴を嫌がる上司間の協議で、気の弱い私の上司が押し付けられた。

そのため私の海外出張が、イギリス4日間とんぼ返りから、いきなり3週間弱の長期出張となった。下記の早急な対応が必要だった。
① 部外者に、私がやや贅沢な調査団に参加する理由を作ること
② ①に関連して、私が行くのなら国際会議での発表を行うこと
③ 3か月後に半月以上いなくても大丈夫な状況を整備すること

 ①は、監査時の説得に必要な根拠資料作り
②が大変で、外部の人とやっている仕事を一気に英文化し、その会議でその分野の主査になっている先生に会議での発表の了解を得た。日本の論文が増えるということで先生も喜んだ。
③は実はとんでもなく大変で、私の上司が関係の事業部門のプロジェクト進行状況を知らずに読み誤っていた。かなり私が準備しておいたが、出張中は代理でだいぶ苦労したようだった。

2.全体計画
 旅行の全体計画は20日弱であり以下のようなものだった。調査団は全体で30名。添乗員付きでヨーロッパ各都市を回り、調査団本来の技術調査の仕事と観光が組み合わされたある意味優雅なものだった。私は最後の4日間単独行動で、もともと事業部門から要請のあった企業調整を実施した。実施時期は9月。
 ・日本→イギリス
    イギリスにて研究所訪問、ロンドン観光(調査もしくは移動という名目)
 ・イギリス→ドイツ
    ドイツにて国際見本市調査、研究所訪問
 ・ドイツ→スペイン→ポルトガル
    スペインのマドリッドにて観光、企業調査
    ポルトガルのリスボンにて観光
    オポルトにて国際シンポジウム参加 (論文 発表) 
・ポルトガル→フランス
    パリの観光 および企業調査
 ・フランス→イギリス
    イングランド地方都市にてシビアな企業交渉 (単独行 4日間)
   (調査団の皆さんは、フランス内で観光および調査後、ロンドンへ)
 ・イギリス→日本
    ロンドンで調査団と合流、日本へ。

3.旅行の過程
 強く印象に残っていることを書いていきます。

(1)日本からヨーロッパへ
①成田集合
 20日もの出張は初めてだった。しかし配偶者は卒業旅行でそれぐらいの期間南欧旅行をしていた。その経験に基づき、大きなキャリーケースいっぱいの荷物を作った。女性ではないので衣服は少ないが、国際会議発表のための資料と、最後に陣取る企業調整のための紙の資料を収めた。
その大きなキャリーケースを持って、調査団の集合地の成田まで新幹線で移動した。
 集まると、学会等で見かける人が集まっていた。挨拶していくと皆さん肩書を持っていて、長が付かないのは私だけだった。年齢も最も若そうなことがすぐ分かった。業界の人は、うちの会社がなぜこんな若造を参加させたのかといぶかしんでいるようだった。
添乗員は若い人だったが、ヨーロッパの各種言語をかなりしゃべることができるという人。私の年齢に近い若い人でてきぱきとしていて、心強く思った。

②ヨーロッパへ
 JALで多分アンカレジ経由(多分)でヨーロッパ、ロンドンへ。初めてのヨーロッパなので興奮した。席はぎっしりだったが窓際に座ることができた。
 北極圏飛行時は強制的に真っ暗にされるが外は明るいので、時々細く開けて海氷の状況を楽しんだ。
真っ暗な中でスチュワーデス(その頃の呼び方)が何かを配っているので、手をあげると洋酒のミニボトルだった。並んでいた人がトイレに行っていたので、自分の分と彼等の分ということで3本もらい、そしてまず飲んだのが、瓶が変わった形のチョコレートリキュール。甘くて非常においしかった。残りの2本は違うものだったが、独占して後日飲むことにした。なおその後は一度もこのサービスは経験していない。



<飛行機の窓から見た北極海の海氷>


③ロンドン ほぼタッチアンドゴー
 ロンドン上空に達すると、厚い雲が立ち込めていた。機内放送ではそれは地上まで続き、空港は霧の中ということで、暫く旋回するということだった。外を見ると所々に機体が見え同様に待機中だなと思った。「そのうち可能性が出てきたので着陸を試みます。」という放送がなされた。
 そして下降していったが、ずっと外はミルク色のまま。機体角度が緩やかになり速度がやや落ちて着陸しそうでなという状況になって、地面がやっと見えた。
 滑走路が少し向こうに見える・・・ということはこの機体の下に滑走路はない! 
飛行機が一気に加速を始めた。そして急角度で上昇を始めた。機内にすごい緊張感、ミルク色の世界を抜けた時はほっとした。そしてまた旋回飛行。いきなり斜め下から45°以上の角度で旅客機が飛び出してきた、まるで風呂に沈めたピンポン玉が飛び出すように。我々の飛行機もあんな感じだったのだろうと思った。
暫くすると、この飛行機のもう一つの目的地パリへ向かいますとのアナウンスがあった。

③パリ待機からロンドンへ
 イギリスを離れたあたりから快晴で、パリの空港には素直に到着。
 そこからトランジットでロンドンへの代替便をひたすら待った。30人の団体なのでなかなかうまく嵌まらないとのこと。イギリスはお預けかという人も出てきた頃に、飛行機が準備され、ロンドンに行くことができた。
入国審査で、添乗員がトラブル。なんと別室に連れていかれ暫く出てこられなかった。開放された後聞いてみると、パスポートで、最近短期間に非常に多くの国を訪問したことになっているので、怪しまれたとのこと。



<パリ到着時の空港のトランジットの様子、JALから降りてきた日本人でいっぱい>


④ロンドン市内観光経由 ロンドンのホテル到着
 本来なら到着が早朝だからその日に研究所見学をして、次の日にロンドン市内をのんびり見学というスケジュールになっていたが、次の日に研究所見学をして、この日の短時間にバスの中から名所めぐりをすることになった。ビッグベンやトラファルガー広場・・・ バスの中だから全然面白くない。
 かなり疲れてホテルに到着。部屋割で気難しいと評判の有名教授と一緒になり、びっくりした。この教授との話は別途書きます。
 そのホテルのメインダイニングでの夕食だったが、それほど美味しくなかったしワインをこぼして散々だった。



<バスの中から見た トラファルガー広場のライオン>


コメント
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