天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

靖国神社に街宣右翼がいる訳

2015-01-15 12:46:38 | 歴史
国民の愛国心を低下させる目的という事は皆さんは薄々感じておられると思いますが

今回は街宣右翼について深く掘り下げたいと思います。




8月15日 終戦記念日、靖国神社は謹んで哀悼の誠を捧げる日に大音量で軍歌を流し、拡声器で怒鳴る

ミスマッチを通り越して不謹慎であると感じることでしょう。

中には正統派の団体もいるのでしょうが、一般人にその判別は困難でしょう。

右翼とは保守、愛国心、国粋主義的な思想の傾向を指し一般に、伝統的な社会秩序や価値の維持や、

伝統的に形成された社会的地位や身分などの社会的
成層への支持を表すために使われます。

私は日本人であればほぼ右翼となるのですが左翼、リベラルのレッテル貼りで造られた"ネトウヨ"が
この街宣右翼とほぼ同じ役割をはたしており、

右翼はもはや怖い、五月蝿い、危ないの代名詞として定着したと感じてしまいます。

ですから右翼の代わりに保守を名乗る団体が増えたのも街宣右翼に原因の一端があるのです。

写真にもあるように自民党安倍総理を批判したり
韓国と友好など本質は極左集団の右翼が発生するのです。

左翼、リベラルは靖国を戦争神社、総理が参拝すれば軍国主義復活の恐怖と靖国を支那、朝鮮と同調し攻撃します。

まさに劇団街宣右翼が目に見える軍国主義とばかりに恐怖を扇ぎます。

それはまるで左翼から資金を得て街宣活動しているのか?と疑いたくなります。

更に、尊皇と書いて菊の紋まで入っていますが、その内容があまりに不透明で伝わってきません。

靖国で何をしているか不明なのです。

なにしろ900以上の団体が存在し様々な政治的主張をしているので分類することすら儘なりません。

日本の右翼団体は、

通常は観念右翼、正統右翼、仁侠右翼、革新右翼、

街宣右翼、

宗教右翼、新右翼(民族派)、行動する保守などに分類されます。

右翼の元祖大日本愛国党の赤尾敏は反共と尊皇を支柱に活動していましたが、彼がインタビューされた記事をコピペ


 《昭和天皇に対して、どんなお気持ちを抱いているのですか?
 「わからんよ」
 は?
 「よくわからんよ。そんな難しいこと。まあ、天皇陛下はあまり魅力ないと思ってるね。先祖から受けついだ国をアメリカに占領されちゃったんだもん。こんなことにしてしまった天皇陛下がどうして偉いか。だけどそんなこと言ったらミもフタもないから、こっちはかばってんだ。守っているんだよ」
 それでは、崩御のときの気持ちは?
 「さびしいとは思わんね。見たこともないし、会ったこともないし。泣く人もいるが、泣かん人もいるだろう。泣かないのが本当かもしれんよ。泣く人がちょっとおかしいかもしれん。ものごとは深く考えればみんな難しいよ。だからみんないいかげんなことやってるんだよ……。明日は日本人として、敬意を表するのが、礼儀だから。日本の伝統ある天皇家なんだから、昔の人がわけもわからず尊敬したように僕も敬愛の対象としてね……」》

少々失礼ですが、こんな程度なのです。

任侠右翼の日本青年社は1978年には尖閣諸島魚釣島に灯台を建立。以後27年にわたる保守点検と実効支配。

愛知県西尾市三ヶ根山頂上にある殉国七士廟の奉賛活動を行うなどもしている行動派ですが、

皇室に敬称を付けなかった者を襲撃するなど過激な行動にでてしまうのは、尊皇なのか判断が難しいところです。

靖国=軍国主義=恐怖=街宣右翼=騒ぐ

靖国=慰霊=国体=右翼=騒がない

靖国にいる街宣右翼を見て恐怖感や騒いでうるさいと感じたらそれはもう街宣工作員です。

目的はあくまで軍国主義と靖国を恐怖心で結び付け右翼のイメージを低下させる事なのです。

さらにその多くは思想信条などないアルバイトなのです。

結論として何故彼等は靖国にいるのか?

わずかばかりの日当と、かっこイイからです。

ですからあの様なものたちが周りにいる靖国には行けない、ではなく

彼等は雰囲気作りをしているテキ屋さんなんだ、ぐらいに見て

臆することなく英霊に対し感謝と鎮魂を捧げに参りましょう。



歴史観が齎すモノ

2015-01-15 09:12:46 | 歴史


東大教授高橋哲哉は靖国神社を総じて『感情の錬金術』と表現した。

戦没者遺族の被害者感情を過度に受信し耳触りの良いフレーズに変え敗戦国の国策を痛烈に批判しているに過ぎない。

最愛の子供を戦火で亡くし悲しみに暮れている感情が、靖国に招かれ天皇陛下の御親拝を仰ぎ見た瞬間から歓喜の涙に変化した遺族の感情を知り創作したフレーズだ。

時代を錯誤し日本人との立場をも捨て、まるで戦勝国の立場ともとれる高みから論評しているに過ぎない。

それは戦没者そしてその遺族を可哀想、哀れ、犬死、国の被害者、悲惨、としか捉えていない無責任な錯誤者に他ならない。

まさに、戦争を知らない子供達の癌なのだ。

あろうことか、彼はその言葉の定義すら曖昧にも関わらず満州事変から太平洋戦争を『侵略戦争』と断言している。

東大教授という影響力のある立場から捻じ曲げられた歴史観を拡散しているのだ。

唯一の救い、彼は歴史家ではなく哲学者なのだ、しかしそれを凌ぐ東大教授というブランドが与える影響は計り知れない。

彼の靖国にたいする論評に違和感を感じない方は申し訳ないが歴史観が捻じ曲がっている。

ウォーギルトインフォメーションを忠実に表現した彼の歴史観が齎すモノ

自虐史観であり、日本の衰退に他ならない。