現代アート、芸術の是非を論じたり、問うたりするつもりは毛頭ない。アーティスト集団チンポムについても同様である。
広島に黒い花火を上げようが、ピカッと空に描こうがそれを見たものの中で一人でも思うところがあれば害悪とは感じない。
殊更それを取り上げて被爆者への配慮が足りないとも思わないし、ましてや中止しろとも思わない。
彼等の表現の自由は保障されるべきであり、また彼等を批判することもまた認められるべきであろう。
そんなバカッター、ユーチュバー的アーティスト集団の仕掛人が会田誠であるが、彼は大人であり、話が変わってくる。
この日本兵を冒涜したような作品は芸術の範疇を超えた政治的、イデオロギー的で極めて不快な作品だ。
しかしながらこれも表現の自由の範囲内であり、不快なら見なければ良いのである。
基本的にトリエンナーレ不自由展と同類で公金投入に疑義が発生するのであり、私費で行う分に於いてなんら問題はないのてある。
ところが会田誠の次のような作品が150年オーストリア日本友好のイベントで展示されたようだ。

問題はその内容である。

『近隣諸国を植民地化し侵略戦争を始めました』
2015年に外務省HPから「侵略」「植民地支配」は削除されており、政府見解に追随したものと理解出来る。
従ってこのような一芸術家の分際で日本の首相に扮し間違った見解を公表することが如何に国益を毀損しているかは計り知ることは出来ないのである。
広島に黒い花火を上げようが、ピカッと空に描こうがそれを見たものの中で一人でも思うところがあれば害悪とは感じない。
殊更それを取り上げて被爆者への配慮が足りないとも思わないし、ましてや中止しろとも思わない。
彼等の表現の自由は保障されるべきであり、また彼等を批判することもまた認められるべきであろう。
そんなバカッター、ユーチュバー的アーティスト集団の仕掛人が会田誠であるが、彼は大人であり、話が変わってくる。

この日本兵を冒涜したような作品は芸術の範疇を超えた政治的、イデオロギー的で極めて不快な作品だ。
しかしながらこれも表現の自由の範囲内であり、不快なら見なければ良いのである。
基本的にトリエンナーレ不自由展と同類で公金投入に疑義が発生するのであり、私費で行う分に於いてなんら問題はないのてある。
ところが会田誠の次のような作品が150年オーストリア日本友好のイベントで展示されたようだ。

問題はその内容である。

『近隣諸国を植民地化し侵略戦争を始めました』
2015年に外務省HPから「侵略」「植民地支配」は削除されており、政府見解に追随したものと理解出来る。
従ってこのような一芸術家の分際で日本の首相に扮し間違った見解を公表することが如何に国益を毀損しているかは計り知ることは出来ないのである。