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『日の丸』
作詞:Yojiro Noda
風にたなびくあの旗に
古(いにしえ)よりはためく旗に
意味もなく懐かしくなり
こみ上げるこの気持ちはなに
胸に手をあて見上げれば
高鳴る血潮、誇り高く
この身体に流れゆくは
気高きこの御国の御霊
さぁいざゆかん
日出づる国の 御名の下に
どれだけ強き風吹けど
遥か高き波がくれど
僕らの燃ゆる御霊は
挫けなどしない
胸に優しき母の声
背中に強き父の教え
受け継がれし歴史を手に
恐れるものがあるだろうか
ひと時とて忘れやしない
帰るべきあなたのことを
たとえこの身が滅ぶとて
幾々千代に さぁ咲き誇れ
さぁいざゆかん
守るべきものが 今はある
どれだけ強き風吹けど
遥か高き波がくれど
僕らの沸(たぎ)る決意は
揺らぎなどしない
どれだけ強き風吹けど
遥か高き波がくれど
僕らの燃ゆる御霊は
挫(くじ)けなどしない
僕らの沸(たぎ)る決意は
揺らぎなどしない
謝罪文
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ジャーナリスト志葉令のツイート
『貴方が暴力や戦争を嫌っていることくらい、これまでの歌聴いてりゃわかるよ。だけど、だからこそ、暴力や戦争に「愛国心」が常に利用されてきたことは、頭のいい貴方ならわからないはずないだろ。言い訳するな。思いっきり反省しろ。そしてまたやり直せ。』
『「愛国心を持って何が悪い」というコメントが結構多いのだが。国家(政府)と、アイデンティティーとしての風土と文化・社会・人々との関係とは異なるもの。国家=個人でもない。それを全部一緒くたにし、帰属と忠誠を強いるナショナリズム的な「愛国心」は、多様な価値観の否定や排外主義、』
『歴史修正主義や全体主義につながりがち。ネトウヨが政権批判に対し、すぐ「じゃあ、日本から出ていけ」と罵ることが象徴的だね。また、日の丸と先の侵略戦争との関係性を野田さんも知らないわけでもないだろうに、それで「みんなが一つになれる」と思い込むのは、無垢であると共に暴力的でもあるなと。』
『イラク戦争に参加した米兵達も、そのほとんどが「愛国者」だった。家族を愛し、隣人を愛し、国家のために尽くそうとしていた。でも、米国政府の喧伝する「愛国心」を何も疑わなかった結果、家族や仕事、自身の腕や足、あるいは最終的に自らの命をも失った』
『愛国心を包丁に例える人もいた。料理もできれば、人も殺せると。日の丸と先の侵略戦争との関係は深い。包丁でいうなら、それは人を刺した包丁であり、それを無批判に有難がることはやはりおかしいこと。国家ではなく人々のことを歌いたかったのなら、日の丸をテーマにすべきではなかった。』
『他方、パトリオティズムのように、国家に従属する「愛国心」ではなく、自由と民主主義の理想に基づいた「愛国心」の在り方もある(それはそれで時に危ういかもしれないのだが)。その様な文脈でも、やはり日の丸はその歴史的経緯から主題として不適格ではないか、と思う。』
『これまでの野田さんの表現に敬意を持っていた反動で、言葉が乱暴になった非礼はお詫びしたい。戦場ジャーナリストとして、「狭心症」のMVと歌詞は胸に来るものがあった。稀有な才能の持ち主であることは間違いないので、原点を忘れず頑張って下さい。』
『日の丸と先の侵略戦争との関係性を知らないわけでもないだろうに、それで「みんなが一つになれる」と思い込むのは、無垢であると共に暴力的でもあるなーと。悪気がないのだとしたら、よけいにタチが悪いかも。 』
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愛知県トリエンナーレの大村知事と津田大輔でラットイップスの日の丸を思い出したので今更だがこの問題を取り上げてみたい。
野田洋二郎と志葉令、この両者は基本的には似ているのかもしれないが、暴力を否定しているという点では野田氏の方が圧倒的に表現者としては優っているように感じる。
つまり志葉令は戦場ジャーナリストとして敢えて暴力の只中に、身を置いておりその感覚からであろうがあまりにも過敏になり、歴史認識が偏重していると言える。
それが最後の『日の丸と先の侵略戦争との関係性を知らないわけでもないだろうに』からも読み取れそれが志葉令の言論封殺にも思えるクレームの柱になっている。
志葉令も言っている【自由と民主主義の理想に基づいた「愛国心」】を野田氏は標準的にもっておりおそらく日本人の大半はこのタイプにカテゴライズされるのではないだろうか。
これを志葉令は時に危ういと言っているが、この否定こそ左翼に蔓延する共産主義思想の現れであり、全体主義へ繋がる危惧されるべき点である。
このように日本的なものへの攻撃こそ戦後のナショナリズム否定が生み出した歪な表現の自由なのだ。