
昭和59年夏、日本遺族会青壮年部が靖国神社の能楽堂において50時間の断食運動を行ったことはあまり知られていない。
これは、遺族会が首相の8月15日公式参拝を熱望するあまりに取った行動である。
しかしながらこの59年に於いて中曽根総理は年頭、春秋の例大祭、そして8月15日の計4回も参拝を行なっている。
“戦後政治の総決算”を掲げた中曽根は教育基本法や戦後歴史教育の見直し、防衛費1%枠撤廃といった強い復古調姿勢の為左派勢力から猛反発を買い「軍国主義者者」のレッテルを貼られていた。
靖国神社"公式参拝"もその流れにそった念願であったのだろう。
つまり60年8月15日の公式参拝はそれまでの形骸化した参拝を公式として国家行事化する為の第一歩となるものと遺族会と共に確信していたのだろう。
それは藤波官房長官戦後40年談話からも見て取れる。
戦後体制の脱却と日本を取り戻すとした安倍総理に安倍の葬式はうちが出すとまで言い放った朝日新聞が軍国主義者とまでレッテルを貼って公式参拝を批判したことを中国が見過ごすはずはないだろう。
翌年田中派の流れをくむ後藤田官房長官は戦後41年談話で中国への配慮を表明し公式参拝を取りやめた。
『遺族が一番考えているのは天皇陛下がいつ参拝してくれるかだ。首相ではなく、天皇陛下が参拝できるようにするのが首相の大きな仕事だ』とものべている。開いた口が塞がらない。
何のために遺族会は断食をしたのか、英霊と共に嘆いているに違いない。