昭和54年4月にA級戦犯の合祀が公になってから60年年7月までの6年4月間、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘が首相就任中に計21回参拝をしているが、60年8月に中曽根が参拝するまでは、非難はされていなかった。
60年の参拝に対して、同年8月7日の朝日新聞が、『靖国問題』を報道。
一週間後の8月14日、中国共産党政府が史上初めて公式に靖国神社の参拝への非難を表明した。
その同日の談話と翌61年の談話を以下に示し中曽根総理の靖国参拝への功罪を考えたい。
昭和60年8.14
藤波内閣官房長官40年談話
これは、国民や遺族の方々の多くが、靖国神社を我が国の戦没者追悼の中心的施設であるとし、同神社において公式参拝が実施されることを強く望んでいるという事情を踏まえたものであり、その目的は、あくまでも、祖国や同胞等を守るために尊い一命を捧げられた戦没者の追悼を行うことにあり、それはまた、併せて我が国と世界の平和への決意を新たにすることでもある。
靖国神社公式参拝については、憲法のいわゆる政教分離原則の規定との関係が問題とされようが、その点については、政府としても強く留意しているところであり、この公式参拝が宗教的意義を有しないものであることをその方式等の面で客観的に明らかにしつつ、靖国神社を援助、助長する等の結果とならないよう十分配慮するつもりである。
また、公式参拝に関しては、一部に、戦前の国家神道及び軍国主義の復活に結び付くのではないかとの意見があるが、政府としては、そのような懸念を招くことのないよう十分配慮してまいりたいと考えている。
さらに、国際関係の面では、我が国は、過去において、アジアの国々を中心とする多数の人々に多大の苦痛と損害を与えたことを深く自覚し、このようなことを二度と繰り返してはならないとの反省と決意の上に立って平和国家としての道を歩んで来ているが、]今般の公式参拝の実施に際しても、その姿勢にはいささかの変化もなく、戦没者の追悼とともに国際平和を深く念ずるものである旨、諸外国の理解を得るよう十分努力してまいりたい。
なお、靖国神社公式参拝に関する従来の政府の統一見解としては、昭和55年11月17日に、公式参拝の憲法適合性についてはいろいろな考え方があり、政府としては違憲とも合憲とも断定していないが、このような参拝が違憲ではないかとの疑いをなお否定できないので、事柄の性質上慎重な立場をとり、差し控えることを一貫した方針としてきたところである旨表明したところである。それは、この問題が国民意識と深くかかわるものであって、憲法の禁止する宗教的活動に該当するか否かを的確に判断するためには社会通念を見定める必要があるが、これを把握するに至らなかったためであった。
しかし、このたび、「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」の報告書を参考として、慎重に検討した結果、今回のような方式によるならば、公式参拝を行っても、社会通念上、憲法が禁止する宗教的活動に該当しないと判断した。したがって、今回の公式参拝の実施は、その限りにおいて、従来の政府統一見解を変更するものである。
各閣僚は、内閣総理大臣と気持ちを同じくして公式参拝に参加しようとする場合には、内閣総理大臣と同様に本殿において一礼する方式、又は、社頭において一礼するような方式で参拝することとなろうが、言うまでもなく、従来どおり、私的資格で参拝することなども差し支えない。靖国神社へ参拝することは、憲法第20条の信教の自由とも関係があるので、各閣僚自らの判断に待つべきものであり、各閣僚に対して参拝を義務付けるものでないことは当然である。』
昭和61年8.14
後藤田内閣官房長官41年談話
1.戦後40年という歴史の節目に当たる昨年8月15日の「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に、内閣総理大臣は、気持ちを同じくする国務大臣とともに、靖国神社にいわゆる公式参拝を行った。これは、国民や遺族の長年にわたる強い要望に応えて実施したものであり、その目的は、靖国神社が合祀している個々の祭神と関係なく、あくまで、祖国や同胞等のために犠牲となった戦没者一般を追悼し、併せて、我が国と世界の平和への決意を新たにすることであった。これに関する昨年8月14日の内閣官房長官談話は現在も存続しており、同談話において政府が表明した見解には何らの変更もない。
しかしながら、靖国神社がいわゆるA級戦犯を合祀していること等もあって、昨年実施した公式参拝は、過去における我が国の行為により多大の苦痛と損害を蒙った近隣諸国の国民の間に、そのような我が国の行為に責任を有するA級戦犯に対して礼拝したのではないかとの批判を生み、ひいては、我が国が様々な機会に表明してきた過般の戦争への反省とその上に立った平和友好への決意に対する誤解と不信さえ生まれるおそれがある。それは、諸国民との友好増進を念願する我が国の国益にも、そしてまた、戦没者の究極の願いにも副う所以ではない。
3.もとより、公式参拝の実施を願う国民や遺族の感情を尊重することは、政治を行う者の当然の責務であるが、他方、我が国が平和国家として、国際社会の平和と繁栄のためにいよいよ重い責務を担うべき立場にあることを考えれば、国際関係を重視し、近隣諸国の国民感情にも適切に配慮しなければならない。
4.政府としては、これら諸般の事情を総合的に考慮し、慎重かつ自主的に検討した結果、明8月15日には、内閣総理大臣の靖国神社への公式参拝は差し控えることとした。
5.繰り返し明らかにしてきたように、公式参拝は制度化されたものではなく、その都度、実施すべきか否かを判断すべきものであるから、今回の措置が、公式参拝自体を否定ないし廃止しようとするものでないことは当然である。政府は引き続き良好な国際関係を維持しつつ、事態の改善のために最大限の努力を傾注するつもりである。
各国務大臣の公式参拝については、各国務大臣において、以上述べた諸点に十分配慮して、適切に判断されるものと考えている。
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40年談話
内閣総理大臣としての資格で参拝を行う。
その目的は、祖国や同胞等を守るために尊い一命を捧げられた戦没者の追悼
その目的は、祖国や同胞等を守るために尊い一命を捧げられた戦没者の追悼
世界の平和への決意
公式参拝が宗教的意義を有しない
アジアの国々を中心とする多数の人々に多大の苦痛と損害を与えたことを深く自覚
公式参拝が宗教的意義を有しない
アジアの国々を中心とする多数の人々に多大の苦痛と損害を与えたことを深く自覚
諸外国の理解を得るよう十分努力してまいりたい。
従来の政府の統一見解
従来の政府の統一見解
公式参拝の憲法適合性
政府としては違憲とも合憲とも断定していない
「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」
社会通念上、憲法が禁止する宗教的活動に該当しない
従来の政府統一見解を変更するもの
41年談話
国民や遺族の長年にわたる強い要望
何らの変更もない。
しかしながら、靖国神社がいわゆるA級戦犯を合祀していること等もあって、昨年実施した公式参拝は、過去における我が国の行為により多大の苦痛と損害を蒙った近隣諸国の国民の間に、そのような我が国の行為に責任を有するA級戦犯に対して礼拝したのではないかとの批判を生み、ひいては、我が国が様々な機会に表明してきた過般の戦争への反省とその上に立った平和友好への決意に対する誤解と不信さえ生まれるおそれがある。
政治を行う者の当然の責務
しかしながら、靖国神社がいわゆるA級戦犯を合祀していること等もあって、昨年実施した公式参拝は、過去における我が国の行為により多大の苦痛と損害を蒙った近隣諸国の国民の間に、そのような我が国の行為に責任を有するA級戦犯に対して礼拝したのではないかとの批判を生み、ひいては、我が国が様々な機会に表明してきた過般の戦争への反省とその上に立った平和友好への決意に対する誤解と不信さえ生まれるおそれがある。
政治を行う者の当然の責務
近隣諸国の国民感情にも適切に配慮
内閣総理大臣の靖国神社への公式参拝は差し控えることとした。
公式参拝は制度化されたものではなく、
内閣総理大臣の靖国神社への公式参拝は差し控えることとした。
公式参拝は制度化されたものではなく、
公式参拝自体を否定ないし廃止しようとするものでない
以上のように、40年の談話ではA級戦犯には触れていない。
三木首相が昭和50年8月15日、総理として初めて終戦記念日に参拝した際に、私的参拝4条件(公用車不使用、玉串料を私費で支出、肩書きを付けない、公職者を随行させない)の「私人」としての参拝。
神社本庁、英霊の声に答える会などからの公式参拝を要望する声が高まる背景からそれに答えるかたちで公式参拝が宗教的意義を有しないと懇談会での社会通念上宗教的活動に該当しないという根拠のない自信から違憲合憲の判断をせずに参拝した。
つまり、憲法上の政教分離しか念頭においていなかったのだ。つづく41年談話ではA級戦犯、近隣諸国の国民感情に配慮とある。
玉串料を公費で支出、SP同行した中曽根総理は平成4年の2つの高等裁判所判決で憲法の定める政教分離原則に反する公式参拝と認定され、これらが判例として確定、明確に違憲とされている。
これらのことからも、首相参拝にA級云々は無関係であることがわかるであろう。結果的に公費で宗教法人に支出し、問題となると戦犯合祀のせいにして参拝を取りやめたのである。
したがって公用車でSPを付けて肩書きを総理としても玉串料のみを私費で支出すれば何の問題もなく公式参拝できるのである。
勿論A級戦犯への配慮は無用だ。