天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

ひろゆきをまた糺す

2021-09-16 22:30:00 | 時事







側室制度を復活することも難しい。
男が生まれ続ける確率は低いので、いずれ女系天皇にしなければ天皇制は続けられない。 頭の悪い人で女系天皇反対で、天皇制維持っていう人は見かけるんですよ。男の子が生まれる確率とか全然考えない頭の悪い人っていうのが世の中にいて。 そういうバカが言っているのはわかるんですけど、ちゃんと頭の回る人で、天皇制を維持しつつ、女系天皇がダメだって言っている人が存在するのか分からない
ひろゆきは"バカ"と"頭の回る人"を使って対比しているが、バカを女系反対で皇室維持、頭の回る人も女系反対で皇室維持とどちらも同じことを言っているに過ぎない。

つまり、女系天皇に反対している人々がどうして反対しているかが全く理解できていない状態だ。皇室の歴史や伝統を全く学んでいない、関心すらない、納税もしない、自分の事にしか関心のないバカであるか、
或いは共産党からのステマ案件でわざと炎上を狙って発言しているかのどちらかであろう。

ひろゆきひとりがいなくても男系は安泰に続いていくことだろう。だから別に今回は糺すといったが、放置することとする。

2分で解る安倍談話

2021-09-16 21:32:00 | 政治








70年談話(2分で読めるバージョン)

終戦七十年を迎えるにあたり、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなけれ ばならないと考えます。

百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。

その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。 アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。
日露戦争は、植民地支配の もとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争であ りました。

人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。 戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。

当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地 経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。 その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となって、進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

 そして七十年前。日本は、敗戦しました。

戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の 念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。

先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せ を願いながら、戦陣に散った方々。

終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあ って、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各 都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

中国、東南 アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、 多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。

戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけら れた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。
一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、 愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、 断腸の念を禁じ得ません。

これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。
 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。

いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、 もう二度と用いてはならない。

先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。

七十年間に及 ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。
我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの 気持ちを表明してきました。インドネシア、フィリピ ンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。

私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命 を背負わせてはなりません。しかし、私たち日本人は、世代を超えて、過 去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、 未来へと引き渡す責任があります。

そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く 胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。

我が国は、二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀と するため、世界をリードしてまいります。

私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。

私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。

価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の日本を、国民の皆様と共に創 り上げていく、決意であります。

平成二十七年八月十四日 
内閣総理大臣 安倍 晋三

靖國神社と靖国神社

2021-09-16 00:08:00 | 靖国








靖國の國が旧字であることは説明不要だろう。或の戈は矛であり、いくさ、戦争を表している。





戦後昭和24年にいくさが取り外され国に変わったのは何も旧字の字画が多いからということだけはないようにも感じる。

戦争から解放された国民がこの変化をしっかりと意識していたかはおそらくその様な余裕などなかったであろう。

したがって現在でも國の表記が残る靖國神社を靖国と表記することには多少なりとも複雑な戸惑いを感じるのだ。

安倍元総理が靖國神社で英霊に尊崇の念を表し、不戦の誓いをしたが、本来靖國神社は不戦の誓いをする場所ではない。おそらく保守派の中には首を傾げる者もいるだろう。

少なくとも靖國神社有志の会の見解は英霊の慰霊、鎮魂、顕彰する場であり、一旦緩急あれば私も國を守る為に戦います、と英霊に誓うことが本来の正しい参拝だ。

恐らく安倍元総理は口には出さずともその核心部分は心の中に持っていると思われる。何故ならそれが大和魂だからである。

戦後、昭和天皇がまだ御親拝されていた頃までは時の首相も靖国神社としてとくに慣習的に粛々と参拝していたのだろう。

橋下、百田の靖国談義も依然平行線のままであるが、この二人の対立はある意味二分する国民の縮図にも感じる。
つまり分祀を主張する派と騒がずその時期を待つ派に別れるだろう。

A級戦犯や分祀という死語や造語が反対派のキーワードとなって未だにその主張を変えることができない病は國を国に変え戦争の記憶をも捨て去りたいとする拒絶によってもたらされたアレルギー反応のようなものともいえるのだ。

このような状況下に於いて高市早苗議員が総裁選に出馬したが、勿論一人の日本人としてこれまでもそしてこれからも靖國神社へは参拝すると明言している。

過去、高市議員は以下❶〜❸の小沢一郎議員の発言を取り上げてその一つずつにわかりやすく反論の形で説明を付けていたので次に貼っておく。

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❶「(靖国神社は)戦闘で死亡した殉難者だけを祭神とするのが原則なのに、戦犯として処刑された者までも『戦争で倒れた』という解釈で合祇している」

①靖国神社には、戦犯処刑者以外にも、疎開船「津島丸」の学童やシベリア抑留中の死没者など、戦闘中の死亡者ではない方々も数多く合祀されており、明らかな事実誤認です。

❷「当時の国家指導者たちは日本国民に対して戦争を指導した重大な政治責任を負っている。このことを強く訴えたい」「この人たちは靖国神社に祀られるべき人々ではない。彼らは英霊に値しないと考えている」

②小沢代議士が「日本国民に対して大きな責任がある戦争指導者」=「東京裁判におけるいわゆるA級戦犯処刑者」だという整理をされているように読み取れますが、小沢代議士は、同じ原稿の中で、「僕は基本的に、戦勝国側が一方的に敗戦国を裁いて下した『戦犯』というものは受け入れられない。東京裁判は、不当な報復裁判である」とも書いておられ、矛盾を感じます。
 仮に「東京裁判による『戦犯』なるものは認めないが、『当時の国家指導者』は分祀すべき」というお考えであるならば、日本人自らが「当時の国家指導者」「戦争指導者」なるものが誰であるのかを改めて検証し直す必要が出てきます。
 また、東京裁判以前の戦闘中の死亡者であっても、指導者とされる方については合祀資格を問い直さねばならないこととなります。

❸「靖国神社は『一度、合祀した御霊は分祀できない』と主張しているらしいが、霊璽簿に名前を記載するだけで祭神とされるのだから、単に抹消すればいい」
 
靖国神社における合祀とは、「霊璽簿に記載されたご祭神の御霊を神社のご神体(御鏡と御剣)に鎮め祀ること」なのだそうです。よって、合祀が完了した後にご神体ではない霊璽簿から御名前を消したところで、分祀できるというものではないということです。
 
〈中略〉

昭和34年に最初の戦犯合祀が行なわれましたが、靖国神社は、国会の決定による政府の措置に基づいて、いわゆる「戦犯」と呼ばれた死亡者も「昭和殉難者」として合祀したのです(厚生省が「援護法」適用を受ける範囲の人を「公務死」とした為、いわゆる「戦犯」も含まれました)。


 首相の靖国神社参拝についても、「中国から抗議されたから」という理由で止めるべき性格の事柄ではないと思っています。
 講和条約締結後、吉田首相が靖国神社参拝を再開されて以降、歴代首相は、春秋の例祭などに合わせて「公式参拝」をしてこられました。
首相や閣僚の靖国神社公式参拝を合憲とした政府見解(昭和60年)も変更されてはいません。
 昭和50年に、三木首相が「私的参拝」と言い出されましたが、それでも、昭和53年にいわゆる「A級戦犯」が合祀された後も、大平首相、鈴木首相、中曽根首相が靖国神社に参拝されています。
 昭和60年に、中曽根首相が中国から抗議されて参拝を取り止めたことで「外交問題化」してしまいましたが、それまでは「A級戦犯合祀」を理由とした中国からの抗議も無かったのです。
 そもそもサンフランシスコ講和条約は、「この条約はここに定義された連合国の1国でないいずれの国に対しても、いかなる権利、権限または利益を与えるものではない」としており、中国は講和条約(11条の戦犯の扱いなど)に基づいて発言する「法的資格」を持ちません。
 
 また、政府主催の「全国戦没者追悼式」には、当初から「戦犯」とされた方々のご遺族も招待されています。
 つまり、いわゆる「戦犯」も慰霊している行事に、歴代首相が主催者として参列しているわけで、ことさら靖国参拝のみを取り上げて批判するのも、変ではないでしょうか。

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高市議員のように靖國神社に対してまともな認識と主張を持っている議員は少ない。
騒ぎ立てるマスコミ、分祀を主張する勢力は恐らく"高市総理"の参拝にあらゆる手段で攻撃するだろう。
次期総理には臆する事なく英霊に尊崇の念を表して欲しい。