天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

226事件北一輝が書いた決起趣意書

2015-10-23 13:23:43 | 歴史
北一輝が書いたとされる決起趣意書です。
この事件についての昭和天皇の発言も集めました
不思議とこれを読めば事件の真相が理解出来ると思います。

226事件とは陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが1,483名の下士官兵を率いて起こしたクーデター未遂事件ですが、自分達は天皇の軍隊であり
天皇が頂点に政治をすべきであるとの主張です。

一見この時代においては正統な論理ですが、北一輝が関与している時点で皇室否定の共産主義思想
を皇室と皇軍を利用した国家転覆であるといえます。

つまり陸軍内部にもっともらしい思想を持ち込み疲弊する青年将校の意識をマインドコントロールし、クーデターへと導いた事件であったと言えます。

日本人は情報戦に弱い、その原因は日本だけが万世一系の皇室をいただく純粋な国民であるという
美徳は国外の不安定で極めて緻密な企みや謀略性には弱点と成り得るということでしょう。

それを見抜いておられた昭和天皇がここまで強硬な政治判断をなさったのも今思えば自然であり、
まさに自然の猛威の様な国體を守ろうとする底知れぬ力をだされたと考えるのが極めて当然であり、

三島由紀夫が神格であるべき天皇が個人の意志を語ってしまっている事を批判していますが、混沌とした時代であるが故の共産主義にほんの僅か傾倒してしまったといえる批判であるのです。

青年将校に同情的な意見も当時から見られますが明らかに騙され操られていたことを考えますと、憎むべきは共産主義思想であることが殊更に肝に銘じることと、皇室、皇統を利用してはならないと言うことでしょう。



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蹶起趣意書(二・二六事件)

(昭和十一年二月二六日)



 謹んで惟るに我が神洲たる所以は万世一系たる天皇陛下御統帥の下に挙国一体生成化育を遂げ遂に八紘一宇を完うするの国体に存す。此の国体の尊厳秀絶は天祖肇国神武建国より明治維新を経て益々体制を整へ今や方に万邦に向つて開顕進展を遂ぐべきの秋なり。

 然るに頃来遂に不逞凶悪の徒簇出して私心我慾を恣にし至尊絶対の尊厳を藐視し僭上之れ働き万民の生成化育を阻碍して塗炭の痛苦を呻吟せしめ随つて外侮外患日を逐うて激化す。所謂元老、重臣、軍閥、財閥、官僚、政党等はこの国体破壊の元兇なり。倫敦軍縮条約、並に教育総監更迭に於ける統帥権干犯至尊兵馬大権の僭窃を図りたる三月事件、或は学匪共匪大逆教団等の利害相結んで陰謀至らざるなき等は最も著しき事例にして、その滔天の罪悪は流血憤怒真に譬へ難き所なり。中岡、佐郷屋、血盟団の先駆捨身、五・一五事件の憤騰、相沢中佐の閃発となる寔に故なきに非ず、而も幾度か頸血を濺ぎ来つて今尚些かも懺悔反省なく然も依然として私権自慾に居つて苟且偸安を事とせり。露、支、英、米との間一触即発して祖宗遺垂の此の神洲を一擲破滅に堕らしむる、火を見るより明かなり。内外真に重大危急今にして国体破壊の不義不臣を誅戮し稜威を遮り御維新を阻止し来れる奸賊を芟除するに非ずして皇謨を一空せん。

 恰も第一師団出動の大命渙発せられ年来御維新翼賛を誓ひ殉死捨身の奉公を期し来りし帝都衛戍の我等同志は、将に万里征途に登らんとして而も省みて内の亡状憂心転々禁ずる能はず。君側の奸臣軍賊を斬除して彼の中枢を粉砕するは我等の任として能くなすべし。

 臣子たり股肱たるの絶対道を今にして尽さずんば破滅沈淪を翻すに由なし、茲に同憂同志機を一にして蹶起し奸賊を誅滅して大義を正し国体の擁護開顕に肝脳を竭し以つて神州赤子の微衷を献ぜんとす。

 皇祖皇宗の神霊、冀くば照覧冥助を垂れ給はんことを。

昭和十一年二月二十六日

陸軍歩兵大尉 野中四郎
外 同志一同

《現代語訳》
決起趣意書
昭和11年2月26日

日本は、万世一系の天皇陛下の下に、挙国一体となって八紘一宇をまっとうするという国家です。
日本は、神武天皇の建国から明治維新を経由して、ますます体制を整え、今や日本の精神風土は、世界万民に開かれようとしています。

しかるに私利私欲にまみれた不逞のヤカラが政財界を牛耳り、私心や我欲によって陛下を軽んじ、民衆の生活をとたんの苦しみに追いつめているのみか、昨今では外国にまで侮られるという事態を招いています。
いわゆる元老、重臣、軍閥、財閥、官僚、政党等は、この国体破壊の元凶です。

ロンドン軍縮条約、ならびに教育総監更迭における統帥権干犯問題は、陛下の大権を奪い取ろうというたくらみでした。
三月事件、あるいは学匪共匪大逆教団等は、政財界と利害関係を結んでこの国を滅ぼそうとするものです。
最早、彼らの罪は万死に値する。

中岡、佐郷屋、血盟団の先駆者たちの捨身の戦い、五・一五事件、相沢中佐の閃発など、彼ら佞臣に反省を促す動きは、これまで幾度もありました。
けれど売国奴たちには、いささかの懺悔も反省もなく、依然として私利私欲をほしいままにしています。
このままでは、日本は完全に破滅に追い込まれてしまう。

いま、内外に重大な危急があるときです。
私たちは、日本破壊を阻止するために、日本国破壊の不義不臣を誅殺しました。
君側の奸を、斬りたおすのは、我等の任だからです。

私たちは、同憂の同志たちと機を一にして決起し、奸賊を誅殺して大義を正し、日本を守ります。
皇祖皇宗の神霊、こい願わくば、照覧冥助を垂れ給わんことを。

昭和11年2月26日
陸軍歩兵大尉 野中四郎
外 同志一同


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《昭和天皇の御発言》



【甘露寺受長侍従に対し】

「差し支えない。ここで聞く」

「とうとうやったか。自分の不徳の致すところだ…」

「暴徒はどの方面に向かったか分からないのか? 他にも襲撃された者は居ないのか?」

「そうしてくれ。私はすぐ支度をして、表に出るから」



【侍従武官長の本庄繁大将に対し】

「早く事件を終息せしめ、禍を転じて福となすように」



【宮内大臣が「速やかに鎮圧することと、暫定内閣を設けないこと」を奏上に対し】

「私もそのように考えていた」


【川島陸軍大臣に対し】

「今回のことは、精神の如何を問わず、不本意である。速やかに事件を鎮定するように」


【後藤文夫首相臨時代理に対し】

「暴徒は全力を挙げて、これを鎮圧せよ。閣僚はよろしく協力一致して時局の安定を図るように。それまでは辞表を暫らく預かりおくことにする」


【杉山元中将に対し】

「徹底的に始末せよ。戒厳令を悪用するなかれ」


【本庄武官長に対し】

「(決起部隊は)私の股肱の老臣を殺戮したのである。このような凶暴な将校などは、その精神に於いても、どうして許すべきものがあろうか。私が最も信頼していた老臣をことごとく倒すのは、真綿にて私の首を絞めるに等しい行為である」


「それはただ私利私欲がないというだけのことではないのか」


「朕、自らが近衛師団を率いて、その鎮圧に当たらん」

「自殺するならば勝手にさせればいい。斯くの如きものに勅使などもってのほかの事である。また、師団長が積極的に出られていないと言っているのは、自分の責任が何であるか解せざるものだ。ただちに鎮定するよう厳達せよ」


【杉山参謀次長に対し】

「皇軍が相撃たざるを得なくなったことには、いかにも同情するが、経済界、外交界の不評は高まっている。とにかく、鎮定を速やかにせよ。また、軍が奉勅命令に服さないのは、残忍の行いなのである。それを直ちに第一師団が実行できないというのは、それ程、陸軍が一つにまとまることが困難だったという事なのか? 外国に笑われることではないのか」

【本庄武官長に対し】

「ともかく、速やかに事態を収拾すべく、取り計らえ」



「比較的早く事件が片付き、さしたる影響もなかった。本当によかった」





事件の翌年、1937年(昭和12年)の夏、昭和天皇は中島鉄蔵侍従武官に提灯を所望したという。中島侍従武官が幾つ、用意したら良いのかと尋ねると、「15個ほど用意するように」と仰せつかったという。そして、15個の提灯は御盆に人目の付かない軒先に吊るされていたと証言している。






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