『もし我が国がこの戦争に敗北していたら、私は戦争犯罪人として処罰されていただろう。幸運なことに、我々は勝者になった』
このカーティスルメイの言葉にあるように戦争犯罪者とは無差別爆撃や原爆投下などの行為を指揮、指導した責任者であることがわかる。
一方東京裁判に於いて原爆の問題を取り上げたブレイクニー弁護士によって裁判は紛糾し翻訳もされなかったが、
「戦争は犯罪ではない。戦争法規があることが戦争の合法性を示す証拠である。戦争の開始、通告、戦闘の方法、終結を決める法規も戦争自体が非合法なら全く無意味である。国際法は、国家利益追及の為に行う戦争をこれまでに非合法と見做したことはない」
からもこの裁判が勝者の勝手な論理によって単なる見せしめ的に行われた茶番劇であることがわかる。
しかしながら日本の現在の平和はこの茶番劇を受け入れることで講和し成り立ってしまっている。
つまり今更不平を言ったところで何も始まらないのである。
昭和天皇も『敵側の所謂戦争犯罪人、殊に所謂責任者は何れも嘗ては只管忠誠を尽くしたる人々なるに、之を天皇の名に於いて処断するは不忍ところなる故、再考の余地はなきや』と日本側で処罰
することはなかった。
以上のことから米国が戦犯としたものは犯罪者ではなく、責任者、人柱、果ては生贄、スケープゴートであると言える。それは日本にとっても同じことであり、戦争の被害全般に関する責任の生贄として処刑されたのである。
それは耐え難きものであり、また忍び難きことでもあったが日本国民はそれに堪て日本を存続させたのだ。

『日本の首相の靖国神社参拝は、私が絶対に我慢できないことである。』という耐え難きを耐えていない人物がいる。
渡邉恒雄、ナベツネである。
彼は2006年までの在任中参拝し続けた小泉純一郎を『愚かな総理大臣』と痛烈に批判した。
2007年
『今後誰が首相となるかを問わず、いずれも靖国神社を参拝しないことを約束しなければならず、これは最も重要な原則である。…もしその他の人が首相になるなら、私もその人が靖国神社を参拝しないと約束するよう求めなければならない。さもなければ、私は発行部数1000数万部の『読売新聞』の力で、それを倒す』
『安倍さんとは歴史観が違うんだ。僕は少年時代から反戦でね。A級戦犯が合祀されている靖国には参拝しない。彼は戦争を知らないから、仕方ないけどね』
2013年安倍晋三靖国参拝については
『あれにはオレも失望した』ともらした。
『読売新聞主筆たる私自身は今年八十歳であるが、あの戦争の最後の陸軍二等兵として、残酷な軍隊体験は忘れられないし、被害を受けた隣国の怨念も理解できる。』
この私怨の塊が彼の間違った原動力であると推察できる。
また個人的メモリアルとして【検証 戦争責任】なる書籍まで出版して私怨を大放出している。
『「東京裁判」とは別に、詳細で適切な日本国民自身による戦争責任検証が不可欠である。』
としながら誰もやらない検証、やる必要のない検証を得意げに語るのである。
その冒頭に次のような一文がある。
『一九二八年、第一次大戦にいたる帝国主義戦争に疲弊した先進諸国を中心に「ケロッグ・ブリアン条約」とも呼ばれるパリ不戦条約(戦争放棄に関する条約)が調印された。日本も調印し、翌年これを批准した。
ところが日本はその後、間もなく満州侵略を始めた。一九三一年九月十八日の柳条湖事件を発端とし、満州事変、日中戦争、日米戦争へと、破滅への戦争を拡大させ、四五年の敗戦に至った。』
ところが日本はその後、間もなく満州侵略を始めた。一九三一年九月十八日の柳条湖事件を発端とし、満州事変、日中戦争、日米戦争へと、破滅への戦争を拡大させ、四五年の敗戦に至った。』
大雑把な戦争観だが、これを昭和戦争と命名している。なんと呼ぼうが勝手だが、満州侵略とは畏れ入る。おそらく不戦条約違反と言いたいのだろうが、満州鉄道の警備は関東軍にとって正当なもので作戦自体は極めてグレーなマッチポンプではあったもののこれを侵略戦争とするには戦後の反省でしか出来ないことでもある。
別にナベツネの考え方を否定するつもりはないが、全ては『あの戦争の最後の陸軍二等兵として、残酷な軍隊体験は忘れられないし、被害を受けた隣国の怨念も理解できる。』この私怨の歴史認識があたえた反日的視点を中韓がコピーして共有し、靖国神社に注がれることとなるのだ。
同じような反日的視点で教科書裁判の家永三郎がいるが、日本軍の行動を暗く残忍に描く行き過ぎた反省が彼の死後その大部分の蔵書は中国の南開大学へ寄付されている。
旧日本軍の行動を暴走と捉えるものが多いが、私にはこの両名の行動こそが戦後の反省の暴走といえる。
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