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PRESIDENT Online➖➖➖➖➖➖➖➖➖
橋下徹"公立学校で黒髪強要が起きる理由"
知事・市長も手出しできない
一見明白な人権侵害のようだが現実的な悩みもあるんだ
(略)
さて、大阪において、少しニュースで話題になっている事件が発生した。大阪府立懐風館高等学校における生徒の「髪染め強要」事件である。
元々地毛が茶色の生徒が、校則によれば茶髪は厳禁ということで、学校の指導によって黒く染めさせられたというもの。生徒側は地毛だと主張したが、学校側は何度も黒く染めさせ、そのことによって生徒の頭皮もあれてしまい、生徒は不登校になったというもの。
当然、一斉に「こんな学校はとんでもない!」「校則がおかしい!」「生まれながらの髪の色を変えさせるのはおかしい!」「金髪の外国人の生徒も黒髪に染めさせるのか!」「多様性に反する!」「人権侵害だ!」などなどと批判の嵐が吹き荒れている。
この件は大阪府立の高校での事件だから、元知事の僕にも批判が寄せられた。橋下は何をしていたんだ! 橋下が知事だったからこんな学校になったんだ!とかね。
「生まれつきの髪の色は、そのまま認めるべき」「生まれつきのものを変えさせるのは無神経極まりない」「これは人権侵害だ」と指摘するのは当然だし、【僕も原則そう思う。】
さらに僕は学校生活くらいのことだったら、髪型も髪の色も、それこそ服装も自由にすればいいと思っている。でも現実の行政を預かるとそうは簡単に言えない事情が色々あることを知る。この現実に対する悩みをしっかりと考えて乗り越えた上で、結論を出すのがまさにこれからの時代に求められる問題解決能力なんだ。現実を顧みず頭の中での抽象論、きれいごとだけで結論を出すのは、問題解決にはクソの役にも立たない自称インテリの思考方法だね。
一見誰もが当たり前だと感じるようなことであっても、その奥底には色々な現実的な悩みがあるんだよ。そこを悩まない結論は、実際には使い物にならない。自称インテリの見解が、現実の政治行政でほとんど使い物にならないのは、この現実的な悩みを経ていないからなんだ。
知事・市長は教育現場に口出しできない!
まずは知事、市長の苦悩。今の教育委員会制度においては、知事、市長は、教育現場における個別具体的な教育的指導については口出し・介入はできない。僕がちょっと教育に口を挟めば、教育の政治的中立性を害する! と批判されまくった例のやつだよ。
頭髪指導なんて超具体的な教育的指導であって知事、市長は原則こんなことに口出し・介入はできない。僕は散々大騒ぎしながら、大阪において教育基本条例を制定した。この条例によって知事、市長は教育の大きな方針については一定関与することができるようになった。
この大阪の教育基本条例であっても、知事、市長は教育委員を任命して、教育の大きな方向性や一般的な制度設計に関与して、予算を付けるところまでが仕事。実際の教育現場における個別具体的な教育的指導には口出し・介入することはできない。
(略)
こんな教育委員会制度の下では、教育現場における髪の色の指導についてまで知事、市長が具体的な指揮命令などできるはずがない。知事、市長が指揮命令権を持っていない以上、個別具体的な報告も上がってこない。知事、市長にとっては是正しようにも何もできないのが現実なんだ。言ってみれば、教育現場における個別具体的な教育的指導については教員、学校、ひいては教育委員の責任で知事、市長には責任はない。
そう言うと今度は、そんな委員を選んだ知事、市長の任命責任はどうなんだ? と必ず指摘される。任命責任って、よく大臣が不祥事を起こしたときに首相の任命責任が問われるけど、その責任とは、本来はダメな人材の首を替えること。国会では首相も辞任せよ! という趣旨でよく使われているけど、あれは間違い。そもそも知事、市長は教育委員に指示はできないのだから、委員の責任をそのまま知事、市長が負わされる理由はない。加えて教育委員を替えるというのは、教育の政治的中立性を守るために、そうは簡単にはできないことになっている。
知事、市長は教育委員を任命するまでが仕事で、その後の教育行政については全ては教育委員会の責任というのが法律の建前なのに、実際、教育委員はお飾り職になって、無責任体質。
ではどこが教育行政をやっているのかと言えば、究極的には責任を負わない教育委員会事務局という官僚機構なんだよね。
ところが、教育現場での不祥事が起きると、すぐに「知事や市長の責任だ!」となる。なんとなく知事や市長が全権限と全責任を持っているような感じがするし、知事や市長を批判するのは分かり易いからね。
このように今の教育員会制度は責任の所在があいまいなんだよ。知事や市長の責任はすぐに問われるのに、権限がない。法律上の責任者である教育委員はお飾り職になっていることが多い。実際に権限を行使している教育委員会事務局は法律上の責任がない。
今回の府立懐風館高校の事件についても、僕も含めて知事の責任を問う声もあるけど、【責任を負わされるなら権限も与えてもらわないとダメだよね。】知事が権限を持つということは、これすなわち教育への政治介入なんだよ。政治家に教育行政の責任を負わせるなら、政治介入を認めなければならない。反対に教育への政治介入を拒否するなら、政治家に責任を負わせることはできない。
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なんでもかんでも知事や市長の責任にされては堪らないという一文だが、茶髪繋がりで弁護士時代のイメージが学生に影響を少なからず与えていたこと、若気の至りの弁解にも聞こえ結局はどっち付かずの弁護士らしい文章は問題の本質に近づく事なく「だから?」という茶髪の生徒が大半であろう。
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中高で金髪デビューするのが通例であろうが、難関の司法試験に合格して弁護士の道を選んだ時点でそんな外見に関するお洒落への感心は皆無であったか、意図的に捨てていたのだろう。
いつの世も髪の色を染めるのは不良の入り口であり、そんな事には感心は無かったのだろう。
この時代にしてはごく普通の高校生に見える。
つまり、弁護士で金髪という相容れない物を合わせたギャップでテレビデビューしたことが戦略として成功したのだ。
従って校則が人権侵害であろうがなかろうが、俺は知らないが結論であり、政治から距離を置こうとする学校側の細かい問題は教育行政とは何ら関係無い、言われる筋合いはないが本音であろう。
橋下氏の事はこれくらいにして、生まれながらの茶髪を黒髪に染めさせる行為は学校側の人権侵害か否かを考えたい。
伝統を保守するのか多様性を尊重するのかの問題は何も公立学校だけの問題ではなく、日本がまさに現在抱えている問題であることは承知の通りである。
戦後教育は軍国主義を否定することから始まっており、日教組のスローガンである"教え子を戦場に送らない"のもとに国歌君が代と国旗日の丸にその憎悪を可視化して否定することで活動してきた。
この事がそれまでの軍国主義の伝統だけを破壊し、多様性を認める訳でもないことが問題の根本にある。
つまり、学校の憲法である校則には一切触れずに国家の伝統は破壊し、皇室の尊崇まで一切教えない学校は一体何人を育て教育してきたのであろうか。
そんな日本人の農業は衰退し、海外に労働力を求める企業は増える。日本を知らない日本人を量産してきたというのが戦後教育の実態であろう。
髪の毛の色などどうでもいい事に気付かない教育者は慰安婦の前に土下座させ、日本人としての誇りを破壊し、自衛隊を人殺しと教える。
繰り返すが伝統と多様性の問題はまた別の機会に話したい。
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