台風の雨が窓を叩きつけるように降っています。
風も少し荒っぽくなってきました。
こんな夕べに旅の思い出はうってつけのテーマかもしれませんね。
この歳になるまでたくさんの旅をしました。
国を飛び出して海外で暮らしたこともあります。
そんな私の初めてのインドひとり旅の思い出です。
自分はなぜインドに行きたいと思ったのか?
これまで考えたこともありませんでした。
何が私をインド・一人旅への想いをかきたてたのか?
それはまだみたこともない広大な景色への憧れか?
それとも
当時脚光を浴びていたインド音楽への興味だったのか?
偉大な建築物をこの目で見たかったのか?
その答えがこの頃になって初めて見えたきたような気がしています。
初めてインドに興味を持った時のことが
最近になってありありと思い出されたからです。
時は1970年代の終わり頃。
ある日私はインド帰りの知人に会いました。
彼はつい先ごろ一ヶ月のインド旅行からもだったばかりで
異国で経験した面白おかしい話をいっぱい話してくれました。
それはもうびっくりするやらおかしいやらで
私はその話にとても感動したものです。
その中でたったひとつだけ今も記憶に残っている逸話があります。
彼らが夜行列車に乗っている時真っ暗な中汽車が止まったそうです。
なかなか動き出さず乗客もガヤガヤと騒ぎ出し様子を見に行く人もあるので
彼らもついて行きました。
バッグから出した懐中電灯はこんな時のために携帯しています。
彼らが煌々と明るい日本製の懐中電灯を持って歩き出すと
乗客の関心は一斉にその懐中電灯に向けられたのです。
「なんだこの眩いばかりの光を放つマシーンは?」
「これが懐中電灯とは信じられない明るさだ」
口々に叫んで興味津々で彼らの周りに人垣ができたそうな。
列車の事故係でさえ下げているカンテラを置いてちょとそれを貸してくれ、と
日本製懐中電灯の光の下で見事問題解決し、列車はまた動き出したと言います。
なぜか私は何時間も聞いたはずの旅行の話の中たったひとつこの話だけを記憶しています。
私はこの話こそがインドに興味を持ったきっかけになったのではないかと思うのです
初めて見る日本製懐中電灯に夢中になるインドの人々そのものに
強烈な印象と興味を持ったのではなかったでしょうか。
そんな私の初めてのインドひとり旅はカルカッッタの町から始まりました。
初めての海外旅行だというのに出国の時のことなどすっかり忘れてしまいました。
でもカルカッタの空港について
飛行機から一歩外に出たその瞬間からの一連の出来事は
四十数年前のことなのにはっきりと覚えています。
カルチャーショックという言葉を当時ガイドブックなどでよく目にしましたが、
まさにその通り、初めの初めからハプニングの連発でした。
当時のカルカッタ空港はまだ飛行機から直接タラップを降りるスタイルです。
この頃から急激に飛行機と搭乗口が蛇腹式の通路で結ばれるようになったので
タラップを使って直接空港に降り立ったことはこの時以外にあったかどうか
覚えていないくらいです。
タラップを降りてその地に立つってなかなかロマンチックな経験でした。
飛行機をでたその瞬間に異国の空気を吸うのです。
初めて訪れたカルカッタの夕暮れ時は暑くて空気がムッとしていました。
遠くを眺めると空港内なのに野良犬が歩いて入るのが見え、
妙にインドに来たのだという実感がわきました。
その時に私の横に一人の白髪の婦人がいて、
なんとその人は日本画家の秋野不矩さんだったのです。
機内にいる時には気がつかなかったのですが、
タラップを一緒におりながら言葉を交わしました。
確か彼女は六十四歳といったと思いますが、
その歳で四回目のインドひとり旅だと聞きました。
すごいですね。
五十年近く前のことです。
その人が秋野さんだとはその時は知らなかったのですが、
後になってわかりました。
もう少し早く知り合って、
例えば機内でね、そしてもう少し色々なお話ができたら私の人生も少し変わっていたかもしれないな、
なんて思うのです。
袖すり合うも他生の縁などと言いますが、
本当にすれ違っただけのご縁の人でした。
人生の不思議を感じる思い出です。
静岡県浜松市天竜区に秋野不矩さんの美術館があります。
著名な方なのでお話ししたら影響されるところもあったでしょう。
少し残念な出会いでした。
たったそれだけの接点であとはお互い見も知らない別々の人生を歩んだのです。
風も少し荒っぽくなってきました。
こんな夕べに旅の思い出はうってつけのテーマかもしれませんね。
この歳になるまでたくさんの旅をしました。
国を飛び出して海外で暮らしたこともあります。
そんな私の初めてのインドひとり旅の思い出です。
自分はなぜインドに行きたいと思ったのか?
これまで考えたこともありませんでした。
何が私をインド・一人旅への想いをかきたてたのか?
それはまだみたこともない広大な景色への憧れか?
それとも
当時脚光を浴びていたインド音楽への興味だったのか?
偉大な建築物をこの目で見たかったのか?
その答えがこの頃になって初めて見えたきたような気がしています。
初めてインドに興味を持った時のことが
最近になってありありと思い出されたからです。
時は1970年代の終わり頃。
ある日私はインド帰りの知人に会いました。
彼はつい先ごろ一ヶ月のインド旅行からもだったばかりで
異国で経験した面白おかしい話をいっぱい話してくれました。
それはもうびっくりするやらおかしいやらで
私はその話にとても感動したものです。
その中でたったひとつだけ今も記憶に残っている逸話があります。
彼らが夜行列車に乗っている時真っ暗な中汽車が止まったそうです。
なかなか動き出さず乗客もガヤガヤと騒ぎ出し様子を見に行く人もあるので
彼らもついて行きました。
バッグから出した懐中電灯はこんな時のために携帯しています。
彼らが煌々と明るい日本製の懐中電灯を持って歩き出すと
乗客の関心は一斉にその懐中電灯に向けられたのです。
「なんだこの眩いばかりの光を放つマシーンは?」
「これが懐中電灯とは信じられない明るさだ」
口々に叫んで興味津々で彼らの周りに人垣ができたそうな。
列車の事故係でさえ下げているカンテラを置いてちょとそれを貸してくれ、と
日本製懐中電灯の光の下で見事問題解決し、列車はまた動き出したと言います。
なぜか私は何時間も聞いたはずの旅行の話の中たったひとつこの話だけを記憶しています。
私はこの話こそがインドに興味を持ったきっかけになったのではないかと思うのです
初めて見る日本製懐中電灯に夢中になるインドの人々そのものに
強烈な印象と興味を持ったのではなかったでしょうか。
そんな私の初めてのインドひとり旅はカルカッッタの町から始まりました。
初めての海外旅行だというのに出国の時のことなどすっかり忘れてしまいました。
でもカルカッタの空港について
飛行機から一歩外に出たその瞬間からの一連の出来事は
四十数年前のことなのにはっきりと覚えています。
カルチャーショックという言葉を当時ガイドブックなどでよく目にしましたが、
まさにその通り、初めの初めからハプニングの連発でした。
当時のカルカッタ空港はまだ飛行機から直接タラップを降りるスタイルです。
この頃から急激に飛行機と搭乗口が蛇腹式の通路で結ばれるようになったので
タラップを使って直接空港に降り立ったことはこの時以外にあったかどうか
覚えていないくらいです。
タラップを降りてその地に立つってなかなかロマンチックな経験でした。
飛行機をでたその瞬間に異国の空気を吸うのです。
初めて訪れたカルカッタの夕暮れ時は暑くて空気がムッとしていました。
遠くを眺めると空港内なのに野良犬が歩いて入るのが見え、
妙にインドに来たのだという実感がわきました。
その時に私の横に一人の白髪の婦人がいて、
なんとその人は日本画家の秋野不矩さんだったのです。
機内にいる時には気がつかなかったのですが、
タラップを一緒におりながら言葉を交わしました。
確か彼女は六十四歳といったと思いますが、
その歳で四回目のインドひとり旅だと聞きました。
すごいですね。
五十年近く前のことです。
その人が秋野さんだとはその時は知らなかったのですが、
後になってわかりました。
もう少し早く知り合って、
例えば機内でね、そしてもう少し色々なお話ができたら私の人生も少し変わっていたかもしれないな、
なんて思うのです。
袖すり合うも他生の縁などと言いますが、
本当にすれ違っただけのご縁の人でした。
人生の不思議を感じる思い出です。
静岡県浜松市天竜区に秋野不矩さんの美術館があります。
著名な方なのでお話ししたら影響されるところもあったでしょう。
少し残念な出会いでした。
たったそれだけの接点であとはお互い見も知らない別々の人生を歩んだのです。