長野県は南北に長い県です。
私の住んでいるのは南部になりますが、
実は南部は二つの地方に分かれています。
一つは有名な木曾地方。
そして今ひとつが伊那谷です。
伊那谷は諏訪湖を源とした天竜川沿いの谷間で、
木曾は木曽川沿いの険しい谷沿いに発達した町なみです。
今日行った富貴の森ホテルは木曽側ですが
二つの谷の間の山奥にあります。
伊那谷側からは昼神温泉街を抜け清内路村の坂を登って
峠を越えるともう木曽地方です。
そこでたっぷりとお湯を楽しんだ後
お腹が空いた私たちは
峠を下って最初に目についた十割そばの旗に惹かれて一軒のレストランに入りました。
お店の名前は
「掘割」です。
駐車場に車を止めてふと前方に目をやると
少し先に大きな岩が見えました。
二つに割れています。
私たちは店に入って注文をすると、すぐにその岩を見に行きました。
裏から見るとこんな風です。
お店の方から草ボーボーになった道を歩いて岩に近づくと
岩の向こう側に古いガードレールが見えました。
「ガードレールがあるってことはここが道だったの?」と
Gちゃんが言いました。
どうもそのようです。
岩の間を抜けて向こう側に行くと
別の次元にタイムスリップしたような不思議な気持ちになりました。
古いガードレール越しに下を覗くと
遥か下の方に澄んだ水の流れる渓流が見えます。
川まで行くには急峻な山道を下りなければなりませんので
とても行く気にはなりません。
道にこんな大きな石が落ちていました。
見上げると
大岩には割れ目が走っていて落ちてきた石が元いた場所がわかるのでした。
この岩を掘ったから掘割?
自然にこの質問が頭に浮かびました。
帰ってから調べてみると
どうもそのようです。
木曽地方とつながるために
この村の人が
総出で岩を掘り道を切り開いたのです。
機械のない時代にですよ。
全部手で掘ったのだそうです。
道を開きたい一心で
コツコツと岩を削ったのです。
なんて人たちでしょう。
昔の人って本当にすごいですよね。
尊敬します。
いつごろかははっきり知りませんが、
傍に国道ができるまではここは村人の生活道路だった道です。
この細い道一本で伊那谷と木曽が繋がっていた時代がありました。
その時代に行ってみたいわ。。。。。
人々がこの道を開けなければ二つの谷はお互いの間深い山々に阻まれて
交流することもなかったのかもしれません。
そう考えると道を開いた先人のパワーに感謝の気持ちを抱きます。
Gちゃんに誘われて久しぶりのお出かけ、
とても楽しい一日でした。
帰りに彼女の住む村のスーパーに立ち寄ったら
さらに嬉しいことがありました。
桃が、
こんなに安いのにびっくり。
同じ地方に住んでいるのにうちの近くじゃ
こんなに安い桃は並びませんね。
いいな、安くて。。。。
安い桃も手に入りますます満足な私です。
明日もいい日になるといいな〜
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