しゃりお @ 撮り鉄倶楽部

最近の鉄道撮影記録と懐かしい国鉄時代の写真を気ままに更新してます。

あの頃の  山陽路の優等列車たち  特急 日向 ・ なは ・月光 ・ きりしま

2015-02-15 12:00:00 | 国鉄時代
懐かしい国鉄時代の写真を紹介している「あの頃の・・・」
今回も引き続き、山陽新幹線 博多開業前の優等列車が数多く走っていた、山陽本線が栄華を極めていた時代の懐かしい国鉄時代の写真です。

「あの頃の・・・」以前ご紹介した懐かしい国鉄時代の記事は、ブログカテゴリー「国鉄時代」からご覧になれます。


今回は、485系 特急「日向」、「なは」 そして581系・583系 電車寝台特急「月光」、「きりしま」

特急「日向」 大阪~宮崎に1往復

485系 特急 日向                                      大阪駅
日豊本線が宮崎まで電化される前はDC キハ82系の運転だったようですが、日豊本線宮崎電化完成後の1974年4月に電車化されて485系で運転されていたようです。
写真は大阪駅で撮影されておりますが、1975年3月10日の新幹線博多開業で廃止されるまで 485系電車での運転は僅か1年足らずだったんですね。
いったんは名称の消えた特急 日向 でしたが、2000年3月にJR九州 延岡~宮崎空港を結ぶ短距離特急として名称が復活しております。
しかしながらJR九州で復活した日向は漢字名称ではなく平仮名で「ひゅうが」です。





特急「なは」 大阪~西鹿児島に1往復

485系 ボンネット車 なは
当初は先にご紹介した特急「日向」と併結運転を行っていたDC特急 キハ82系で運転されていたようです。
DC特急時代は小倉駅で特急 日向と分割併合が行われていたようですが、73年10月改正で特急「なは」は485系に電車化されて特急 日向との併結運転は終了
1975年3月10日の新幹線博多開業時には他の優等列車が廃止される中、昼行特急列車から583系寝台電車を使用した夜行寝台特急に
その後は24系寝台客車に変わりブルートレインとして2008年3月の改正で廃止されました。





特急「月光」 岡山~博多・西鹿児島に2往復

583系 寝台特急 月光     世界初の寝台電車として運転開始、583系が「月光形」と呼ばれているのは有名なお話





特急「きりしま」 京都~西鹿児島に1往復

583系 寝台特急 きりしま
特急 きりしま の運転区間は京都~西鹿児島、時同じくして運転されていた 寝台列車「あかつき」は新大阪~西鹿児島と運転区間がほぼ被っているのです。
寝台電車特急と寝台列車と言う違いから名称を振り分けていたのでしょうか?

当時は私は小学生でしたから深夜に走る寝台列車なる特急は見る機会はなく、当時少ないお小遣いを貯めて買った鉄道雑誌を穴が開くほど眺めていた記憶があります。
しかしながら、当時 583系は昼間の昼行特急列車の運用にも入っている事がありましたから、時間は判らずとも沿線で行き交う列車を眺めているうちに見かける事がありました。
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あの頃の  山陽路の優等列車たち  特急 かもめ ・ みどり

2015-02-14 11:11:11 | 国鉄時代
朝から良いお天気でありますが、ぎっくり腰プラス アルファの痛みもありますし無理せず家でゆっくりとしております。

さて、今回も引き続き 山陽新幹線 博多開業前の優等列車が数多く走っていた、山陽本線が栄華を極めていた時代の懐かしい国鉄時代の写真です。

懐かしい国鉄時代の写真を紹介している「あの頃の・・・」
以前ご紹介した懐かしい国鉄時代の記事は、ブログカテゴリー「国鉄時代」からご覧になれます。

今回は山陽本線を走破したDC特急「かもめ」、485系「みどり」


新幹線 博多開業で廃止になるまでキハ82で山陽・九州を駆け抜けた特急「かもめ」 京都~長崎・佐世保に1往復


キハ82 特急 かもめ      特急 かもめ は京都~長崎・佐世保とDC特急としてはロングラン運転だったようです。
特急 かもめ は食堂車を含む堂々たる13両編成
京都~小倉間は併結で運転されて小倉駅で分離 1号車から6号車の6両は何と筑豊本線経由で佐世保へ、食堂車(キシ80)を含む7号車から13号車の7両が鹿児島本線 博多経由で長崎へ



特急「みどり」経路には色々と変更があったようですが、山陽新幹線博多開業で廃止になる1975年時点では
下り 大阪~大分、岡山~宮崎   上り 大分~岡山、宮崎~新大阪 を 2往復の何とも変則的な運用ですね。


485系 ボンネット車 特急 みどり
 





485系 特急 みどり       大阪駅での出発待ちと思われますオレンジ色の103系 大阪環状線の姿も


1975年(s.50年)3月10日の山陽新幹線 博多開業と共に山陽本線を走るその他の優等列車と共に廃止されました。
しかしながら、翌年1976年(s.51年)7月に長崎本線・佐世保線電化が完成して「かもめ」「みどり」は再び九州を走る特急として復活
特急「かもめ」小倉・博多~長崎   特急「みどり」小倉・博多~佐世保 
両車は小倉・博多~肥前山口間は併結運転されて肥前山口駅で分離されてそれぞれ長崎・佐世保へ
長崎本線・佐世保線電化が完成して「かもめ」「みどり」の併結運転が始まった頃のキャッチフレーズ「かもめはみどり」が懐かしい(笑
1979年(s.54年)頃に撮影した写真はこちら

今もJR九州で活躍する「かもめ」「みどり」すっかりその名称は九州で定着していますね。
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あの頃の  山陽路の優等列車たち  特急 つばめ ・ はと

2015-02-13 10:10:10 | 国鉄時代
懐かしい国鉄時代の写真を紹介している「あの頃の・・・」
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今回の「あの頃の・・・」は、私が中学生だった頃に、とある方から頂いた写真をご紹介しております。
山陽新幹線 博多開業前の優等列車が数多く走っていた、山陽本線が栄華を極めていた時代

今回は、日本を代表する名門列車として名を馳せた 特急「つばめ」と特急「はと」

1972年(s.47年)3月の山陽新幹線岡山開業に伴い、特急「つばめ」は岡山~博多3往復・熊本4往復、後に西鹿児島まで1往復が増発延長


583系 特急 つばめ                       福山駅
写真隅に福塩線ホームに停車している旧型国電クモハが見えます。






485系 ボンネット車 特急 つばめ                福山駅

 
この写真を掲載するにあたってちょっと調べてみますと
1973年(s.48年)8月5日に新幹線3階、在来線2階という福山駅二重高架工事の一部工事が完成して在来線上りが使用を開始
翌年の1974年(s.49年)9月24日に下り線高架化が完成して山陽本線 福山駅二重高架工事が完成しています。

583系 特急 つばめ の写真は下りホームでの撮影のようですから、福山駅二重高架工事も終わって下り線を使用し始めた直後の撮影だと思われます。
485系 特急 つばめ は上り線のホーム端からの撮影の様です。
福山駅の新幹線3階、在来線2階という福山駅二重高架工事も完了して、1975年(s.50年)3月10日の山陽新幹線 博多間開業を控えた、間もなく山陽本線を走る優等列車たちが終焉を向かえるのも近づいた頃の写真のようです。


特急「はと」は岡山~下関間を4往復


583系 特急 はと






485系 ボンネット車 特急 はと


1975年(s.50年)3月10日の山陽新幹線 博多間開業と共に名門列車として名を馳せた「つばめ」「はと」は名称・列車とも廃止されました。
1992年7月、JR九州 鹿児島本線の特急 つばめ として名称がが復活、その後 九州新幹線の開業で主に800系新幹線に「つばめ」の名称は受け継がれておりますね。
しかしながら「はと」の名称は現在のところ復活していません、今後この名称が復活する事はあるのでしょか?
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あの頃の  山陽路の優等列車たち  特急 しおじ

2015-02-12 12:12:12 | 国鉄時代
一昨日からの ぎっくり腰プラス アルファの痛み
今朝は何とか座薬の痛み止めのお世話にならずに済んでおりますが、前屈みになるのが結構 辛いです・・・
会社の上司からの勧めもあって、今週いっぱい無理をせず会社を休ませてもらう事にしました。

さて、腰の痛みで余り動き回らず、なるべく安静にしておく訳で、寝ているだけでこれと言って何もする事が無いのでこの機会を利用して
以前から準備はしていたものの更新に至らずじまいだった記事の更新を進めていこうかと。

その更新に至らずじまいだった記事とは
久々の更新となります 懐かしい国鉄時代の写真を紹介している「あの頃の・・・」

今回は、山陽新幹線 博多開業前の山陽本線を走っていた優等列車を中心に数回に分けて写真を載せていこうかと
ただ、山陽新幹線 (岡山~博多)の開業は1975年(s.50年) 3月 10日 私はまだ小学 4~5年生でした。
まだ写真撮影などはしておらず、暇と時間があれば当時住んでいた福塩線沿線や時には山陽本線沿線でやって来る列車を飽きもせず眺めていたものです。
今回は私の撮影した懐かしい国鉄時代の写真ではありません。
私が中学1~2年生の頃、とある方から頂いた写真です。
頂いたのは今から37~38年ほど前の私が中学生の頃ですから、残念ながら詳しい経緯はすでに記憶はありません。

その方からいただいた写真の多くは当時のアルバムに入れて保存していたのですが、私の撮影した写真やフィルムと共に その多くが残念ながら行方不明のままです。
ただ、幸いな事に少なからず今まで「あの頃の・・・」でご紹介した 当時私が撮影した写真やフィルムと共に幾らか手元に残っておりました。
先人にいただいた貴重な写真に感謝しつつ、拙い文章でご紹介していくことをお許しいただきたい。

今回その写真をスキャンしておりますが、私の使っている10年モノの古いスキャナーの調子が悪くモアレ等のノイズが多くありますので悪しからず。

山陽新幹線 博多開業以前の'70年代 山陽本線が栄華を極めた頃
最初のご紹介は 山陽本線を走っていた優等列車の中でも何故か私の記憶の中で一番印象に残っている 特急「しおじ」

新大阪~広島・下関間の昼行電車特急で東海道新幹線開業と同時に新幹線接続特急として関西から広島・下関の山陽方面を結ぶ特急として人気を集めました。


151系 こだま型ボンネット車の「しおじ」 
1959年7月に東海道本線 島田~藤枝間で行われた高速度試験の世界最高速度である163km/hを記録した記念のチャンピオンマークプレートが付いている車両






485系 






485系



特急「しおじ」は5往復の運転の内、1往復は581・583系の12連で広島行で運転されていたようです。


581系         
隣に停車している153系電車 当時の急行HMが付いていますが列車名ではなく斜線 普通列車か何かの運用の為でしょうか?





581系

山陽新幹線 博多開業前、福山の街に遊びに行った帰り 地上駅から高架駅化工事中の福山駅で次々にやって来る優等列車を眺めながら、高架化が先に完成した山陽本線上り線ホームと福塩線のホームから古い紺色の旧型国電のクモハに揺られて帰るのが毎回楽しみでした。

懐かしい国鉄時代の写真をご紹介している「あの頃の・・・」以前の記事は、ブログカテゴリー「国鉄時代」からご覧になれます。
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あの頃の  クモヤ443系  福塩線検測

2014-11-17 11:22:33 | 国鉄時代
今夜から夜勤勤務、深夜から明け方は寒そうです。  暖かくしておかないと・・・

午前中1053レでゼロ 36号機がやって来てますが 気分がのらず本日はパス、相変わらず一杯飲みながらの更新です。

久しぶりに古い写真を見返しておりましたら、1981年(s.56年) 福塩線を検測中の懐かしいクモヤ443系の写真が出て来ました。

と、言う事で久方ぶりに「あの頃の・・・」の更新であります。

懐かしい国鉄時代の写真を紹介している「あの頃の・・・」
以前、紹介した懐かしい国鉄時代の記事は、ブログカテゴリー「国鉄時代」からご覧になれます。


福塩線を検測中の クモヤ443系               神辺 ~ 横尾        1981(s.56年).1.19
写真は白黒フィルムでの撮影ですが、私にしたは偶然にもしっかりと撮影日は記録していたようです(笑
前日に雪でも降ったのでしょうか線路脇などには雪が残っていますね、この辺りの記憶は忘れてしまっております(^^ゞ

写真をよく見て見ますと、運転席上の整備用?の手摺りが当時は無い事や側窓が現在の仕様と違っているようです。
そんな中、現在との大きな違いは架線検測用のパンタグラフが当時は2機装備されていたようです。
現在は車体中央寄りの検測用のパンタグラフは撤去されていますね






現在では写真手前 雑草の生えている場所には、川南排水機場の建物が建てられて撮影は難しくなっています。
この辺りの風景は今でも余り変わっていないように見えますが、遠くに見える国道182号線の陸橋付近は建物も増えて、今後風景も変わってしまいそうです。

当時は、特急型電車のスタイルをしたモダンな車体と交直流電車の あずき色とクリーム色の車体が福塩線に入線したのを偶然見かけてかなり興奮して撮影したのを覚えています。
あの頃の私たちは、私の住む地方では見る事の出来ない特急型のスタイルにかなりの憧れを持っておりましたから こんなモダンな車体がド田舎のローカル線を走るだけで本当にワクワクしたものです。

この写真を撮影して三十数年経っておりますが、今だ現役で西日本各地を検測中のクモヤ443系
新造からすでに40年選手 車体のくたびれ具合もかなりのもので引退の噂は絶えないものの、鉄道の安全運行の為にまだまだ頑張って走り続けて欲しいです。
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