しゃりお @ 撮り鉄倶楽部

最近の鉄道撮影記録と懐かしい国鉄時代の写真を気ままに更新してます。

あの頃の  修学旅行専用電車 155系  きぼう ・ わかば

2017-02-28 20:20:20 | 国鉄時代
懐かしい国鉄時代の「あの頃の・・・」
以前ご紹介した懐かしい国鉄時代の「あの頃の・・・」記事は、ブログカテゴリー「国鉄時代」からご覧になれます。


今回は国鉄時代の列車としては変わり種の修学旅行専用車両 155系電車

今では修学旅行は新幹線利用が当たり前になっていますが新幹線開通前には各地域には修学旅行専用電車なるものが旅行シーズンには活躍していました。


155系 修学旅行専用電車 「きぼう」


修学旅行専用車両色の黄色1号、朱色3号の専用色にHM



155系 修学旅行専用電車 「わかば」

写真は関西地区用修学旅行電車のようです。
他にも関東地区用には「きぼう」 中京地区用には「こまどり」など地域ごとに多くの修学旅行専用車が電車、気動車を使い走っていいたようです。

後に165系ベースの修学旅行用電車 167系も運用に加わり
山陽地区の修学旅行専用車両として小学生を対象とした「なかよし」、中学生を対象とした「友情」、高校生を対象とした「わこうど」として走っていました。
1975年の山陽新幹線博多開業で廃止、修学旅行列車は終焉をむかえました。

余談ではありますが、確か私が小学生時代の修学旅行時の年からか前年からだったか新幹線での旅行が開始されたと記憶しています。
当時は走り始めたばかりで目新しい新幹線に乗ることも嬉しかった思い出があります。
そんな新幹線での修学旅行、駅の停車時間が少ない新幹線に一度に多くの小学生が一斉に乗車するわけですから、当時は学校の運動場に先生方が新幹線の座席を模した絵を描いて生徒全員で素早く乗車する練習をしたのは懐かしい思い出・・・(笑
そんな話を私の子供にしたらば、昨年 修学旅行だった子供も同じ練習を学校でしたらしい・・・(爆
今でも同じような練習をしての楽しい修学旅行、今も昔もやっぱり楽しい思い出として心に残るのでしょう。
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あの頃の  山陽路の優等列車たち  急行 山陽

2017-02-26 14:00:00 | 国鉄時代
週末、夜勤明け慣れない夜勤で寝不足にも関わらず
一時間ほど仮眠をとっただけで週末 土曜日を乗り切っておりました(^^ゞ
夜 晩酌にちょっと贅沢なビール エビスビールを飲んだらば、寝不足からか 一気に酔いが回って落ちるように爆睡・・・(笑


さて、今回も引き続き山陽本線が栄華を極めていた時代の懐かしい国鉄時代の写真です。


急行「山陽」

153系 急行 山陽
山陽新幹線博多開業に合わせて高架駅として完成したばかりの福山駅へ停車中の急行 山陽
新幹線の博多開業で それまでの山陽本を走っていた特急、急行は一気に全廃されましたから、写真は新幹線開業を間近に控えた山陽急行全廃寸前の写真でしょう。
山陽新幹線岡山開業でそれまでの3往復の急行から岡山以西への連絡列車として岡山~広島、下関へ定期列車が下り8本、上り9本に多客期に臨時列車が下り4本、上り3本設定と山陽本線を走る急行の代表格となっていたようです。


多客期?には165系ベースの修学旅行用電車 167系も運用に入っていたようです。
写真としては、一枚目の福山駅の写真よりも年代が数年 古いでしょうね。
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あの頃の  山陽路の優等列車たち  急行 ながと ・ 安芸

2017-02-22 11:00:00 | 国鉄時代
昼間はだいぶ暖かくなってきましたが、やっぱり深夜から明け方は寒いです・・・

夜勤明け、本日も好きな焼酎のお湯割りを飲みながらの更新(^^ゞ


約二年振りの久々の更新となった懐かしい国鉄時代の「あの頃の・・・」
以前ご紹介した懐かしい国鉄時代の「あの頃の・・・」記事は、ブログカテゴリー「国鉄時代」からご覧になれます。


山陽新幹線開業前の山陽本線が栄華を極めていた時代の急行列車


急行「ながと」新大阪-下関 2往復+季節列車

153系 急行 ながと   写真は153系の低運転台車ですが165系での運用もあったようです。
由来はやはり 長門(山口県)からでしょうね(^^ゞ
山陽新幹線岡山開業と共に岡山始発の運用が被る急行「山陽」に編入されたようです。



急行「安芸」

153系 急行 安芸    定かではありませんが、当時の急行列車とは違ったデザインのヘッドマークのようです。 
急行安芸と言えば広島~東京間を呉線経由で走る HMの付いたC-62やC-59の大型蒸気機関車に牽引された10系寝台客車の姿が有名ですが
1970年に153系電車で赤穂線経由の大阪~呉間で運行され、1972年の山陽新幹線岡山開業と共に呉線経由の岡山~広島間で新幹線連絡急行として運行されましたが中途半端な距離と経由区間で客足は伸びずでした。
山陽新幹線博多開業後の1975年に20系寝台列車で特急 安芸として呉線経由の新大阪~下関間で運行され、その後25系寝台客車になりますが、やはり中途半端な運行区間と呉線経由と言うのが災いしてか結局 客足は伸びず1978年に「安芸」の名称は廃止となりました。
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あの頃の  山陽路の優等列車たち  急行 とも ・ 鷲羽

2017-02-20 12:00:00 | 国鉄時代
今夜から再び夜勤勤務
取りあえず昼から夜勤に備えて寝るために一杯飲みながらの更新ですが、今日は体調もあってチョット少なめの酒量(笑

昨日の日曜日は良いお天気の一日でした。、
私はと言えば、疲れが溜まっていたのか体調がイマイチで昼前に子供と買い物と昼食を食べに外に出たくらいで、あとは週明けからの夜勤もありますから体調回復に家でゆっくりとしておりました。

ここのところほとんど撮影にも出かけていませんから当然 ネタ切れ・・・(^^ゞ
いつもの如く 撮影したままブログに載せなかった「蔵出し写真から・・・」での更新もあったのですが、本日は久しぶりに懐かしい国鉄時代の写真を紹介している「あの頃の・・・」

約二年振りの更新になる「あの頃の・・・」

以前ご紹介した懐かしい国鉄時代の「あの頃の・・・」記事は、ブログカテゴリー「国鉄時代」からご覧になれます。


約二年前の更新では、山陽新幹線 博多開業前の優等列車が数多く走っていた、山陽本線が栄華を極めていた時代の特急列車を中心に紹介していましたが、今回は特急列車にも負けず劣らず本線を数多く走っていた「急行」列車

以前の記事でも書かせていただきましたが、山陽新幹線 (岡山~博多)の開業は1975年(s.50年) 3月 10日 私はまだ小学 4~5年生でした。
まだ写真撮影などはしておらず、暇と時間があれば当時住んでいた福塩線沿線や時には山陽本線沿線で頻繁にやって来る列車を飽きもせず眺めていたものです。
今回は私の撮影した懐かしい国鉄時代の写真ではありません。
私が中学1~2年生の頃、とある方から頂いた写真です。
頂いたのは今から約40年ほど前の私が中学生の頃ですから、残念ながら詳しい経緯はすでに記憶はありません。

また今回の写真は、約二年前の更新でご紹介した「特急列車」の記事を書く折にスキャナーでスキャンしたものですが、当時は10年モノの古いスキャナーを使っており、スキャナーの調子が悪くモアレ等のノイズが多くあり写真が少々見にくいです。

前置きが長くなってしまいました・・・(^^ゞ


山陽新幹線 博多開業以前の'70年代 山陽本線が栄華を極めた頃
特急列車と共に今ではほとんど無くなってしまった 急行列車も花形として本線を数多く走っていました。

今回は私の住む地元に由来する列車名 急行「とも」大阪(新大阪)~三原 を定期3往復+季節1往復

165系 急行 とも            1往復は赤穂線経由での運転があったようです。
名称の由来は 私の住む福山市の港町、今も江戸時代の町並みが残る港町(福山市鞆町)として有名な 鞆の浦 から
定期列車の運転としては1969年10月の時刻改正から70年10月の時刻改正までのわずか1年間だけの短い期間でした。
やはりと言いましょうか、大阪(新大阪)~三原間と言う中途半端な運行区間が災いしたのでしょうか?
定期列車の運転が無くなってからも季節列車の臨時としての運転が行われていたようですが、1972年 山陽新幹線岡山開業に伴い季節列車も廃止になたようです。






急行「鷲羽」大阪~宇野

165系 急行 鷲羽       関西から宇野を結んで四国へのアクセスという役割を持っていました。
山陽新幹線の岡山開業以前は本州と四国を結ぶ主力列車でした、そして宇野~高松の航路は宇高連絡船
名称の由来は岡山県児島にある鷲羽山(わしゅうざん)に由来していました。




急行 鷲羽   余剰になった153系が阪和色(新快速)になり、時には阪和色で急行 鷲羽にも運用に入っていたようです。

最盛期の1968年頃は153系により11往復が運転されていましたが、1972年の山陽新幹線岡山開業に伴い昼行急行が全廃され夜行急行の1往復のみになりました。
その後、時間帯の悪い夜行の急行 鷲羽は乗客が減少し、1980年9月30日に廃止になりました。
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あの頃の  山陽路の優等列車たち  特急 うずしお ・ 夕月

2015-02-17 22:22:22 | 国鉄時代
本来なら今週は夜勤勤務の週なのですが、ぎっくり腰プラス アルファの腰痛のお蔭で今週は通常の昼勤勤務になりました。
仕事は忙しいのですが上司の配慮で定時で仕事あがりです。
無理の利かない年齢になってますから しばらく体に無理の無い程度にしておかないといけませんね。


さて、今回も引き続き 山陽新幹線 博多開業前の優等列車が数多く走っていた、山陽本線が栄華を極めていた時代の懐かしい国鉄時代の写真です。
しかしながら、今回はこれまでの山陽新幹線 博多開業で廃止された数々の優等列車とは少し年代と運用回数の少なかった臨時特急と言う二つの特急列車の写真から

まずは、山陽新幹線 岡山開業で廃止になった 特急「うずしお」大阪~宇野に3往復


151系 こだま型ボンネット車 特急 うずしお






下り寄り先頭車に151系 特急 こだま で登場したパーラーカーも連結されていました。
関西からの四国連絡特急として宇野線経由で走っていましたが 山陽新幹線 岡山開業の1972年(s.48年)3月に廃止されました。
1969年(s.44年)10月の改正で151系から485系への運用に変わっていますから掲載の写真はそれ以前の写真と言う事になります。

特急 うずしお は1988年4月の本四備讃線(瀬戸大橋線)の開通でJR四国の気動車特急として復活





余り知られていない臨時特急「夕月」
定期列車としての運用は無く、臨時特急として変則的に数回走っただけの珍しい列車です。


1971年の年末、1972の年始に485系で臨時特急として新大阪(下り)、大阪(上り)~大分 で夜行特急として運転されたようです。






1975年8月、1975年の年末、1976年の年始に臨時特急列車として583系で夜行特急として運転されたようです。   
臨時特急「夕月」岡山~宮崎
写真の583系 夕月は岡山駅で撮影されているようですが、この583系「夕月」にはイラスト入りマークが採用されているようです。
当時はまだイラストマークは電車特急には採用されていませんでしたから、詳細は不明ですが臨時列車故の試験的試みだったのでしょうか?


懐かしい国鉄時代の写真を紹介している「あの頃の・・・」
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