しゃりお @ 撮り鉄倶楽部

最近の鉄道撮影記録と懐かしい国鉄時代の写真を気ままに更新してます。

蔵出し写真から  工8380レ

2015-02-25 22:33:22 | 山陽本線
体調も幾分良くなったとは言え、相変わらずシャキッとしない毎日を送っております。
毎日なるべく早く寝ることを心掛けて深酒も厳禁であります(^^ゞ

ブログの更新もなかなか気分が乗らず、あと数回載せる予定の「あの頃の 山陽路の・・・」も手付かずであります。
こちらももう少し体調が良くなりましたらボチボチと残りを載せていきたいと思ってます。


さて、本日は少し前に撮影していてブログに載せ損ねた写真で繋いでおこうかと


工8380レ EF65-1132      ロングレールを降ろしたチキの返空回送
レール取り卸し(エプロン)の後ろには、ムカデの足のような空チキが続きます。

路線整備の専用貨物 毎日どこかでしっかりと安全輸送の為に点検・整備されているんですよね。

私のからだもこの機会に今後の為にもしっかりと点検・整備しておかないと・・・ 何せポンコツなオッチャンですから(大爆
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2/22  気分転換の久しぶりのチョイ鉄  EF66-24

2015-02-22 22:33:33 | 山陽本線
2週間ほど前に痛めた 腰の調子が思わしくなくここのところ体調も悪いです・・・
夜勤シフトから昼勤シフトに勤務も変えてもらい時間が取れれば病院通いが続いております。
先週の週末もでしたが、この週末も病院に行った以外はほとんど家で大人しくしておりました。

今朝は昨夜からの雨模様のお天気でした。
私の体調も思わしくなくて家でゆっくりとするつもりでしたが、子供の用事でどうしても出かける事がありましたので
ついでと言っては何ですが気分転換にチョイと撮り鉄

幸い雨は降ってはいなかったのでラッキーでしたが

1053レ EF66-24      私の体調と同じでモヤモヤとはっきりしないお天気の中やって来ました。
久しぶりの鉄分補給でしたが これ一枚撮影して終了
車に戻って走り始めたとたんに小雨が降って来ました。

痛めた腰も もうしばらく完治には時間もかかりそうですし歳もありますから、ここはジックリと治療しておかないと、と思っております。
しばらくは鉄分補給の撮影も体調を見ながらになりそうです。
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あの頃の  山陽路の優等列車たち  特急 うずしお ・ 夕月

2015-02-17 22:22:22 | 国鉄時代
本来なら今週は夜勤勤務の週なのですが、ぎっくり腰プラス アルファの腰痛のお蔭で今週は通常の昼勤勤務になりました。
仕事は忙しいのですが上司の配慮で定時で仕事あがりです。
無理の利かない年齢になってますから しばらく体に無理の無い程度にしておかないといけませんね。


さて、今回も引き続き 山陽新幹線 博多開業前の優等列車が数多く走っていた、山陽本線が栄華を極めていた時代の懐かしい国鉄時代の写真です。
しかしながら、今回はこれまでの山陽新幹線 博多開業で廃止された数々の優等列車とは少し年代と運用回数の少なかった臨時特急と言う二つの特急列車の写真から

まずは、山陽新幹線 岡山開業で廃止になった 特急「うずしお」大阪~宇野に3往復


151系 こだま型ボンネット車 特急 うずしお






下り寄り先頭車に151系 特急 こだま で登場したパーラーカーも連結されていました。
関西からの四国連絡特急として宇野線経由で走っていましたが 山陽新幹線 岡山開業の1972年(s.48年)3月に廃止されました。
1969年(s.44年)10月の改正で151系から485系への運用に変わっていますから掲載の写真はそれ以前の写真と言う事になります。

特急 うずしお は1988年4月の本四備讃線(瀬戸大橋線)の開通でJR四国の気動車特急として復活





余り知られていない臨時特急「夕月」
定期列車としての運用は無く、臨時特急として変則的に数回走っただけの珍しい列車です。


1971年の年末、1972の年始に485系で臨時特急として新大阪(下り)、大阪(上り)~大分 で夜行特急として運転されたようです。






1975年8月、1975年の年末、1976年の年始に臨時特急列車として583系で夜行特急として運転されたようです。   
臨時特急「夕月」岡山~宮崎
写真の583系 夕月は岡山駅で撮影されているようですが、この583系「夕月」にはイラスト入りマークが採用されているようです。
当時はまだイラストマークは電車特急には採用されていませんでしたから、詳細は不明ですが臨時列車故の試験的試みだったのでしょうか?


懐かしい国鉄時代の写真を紹介している「あの頃の・・・」
以前ご紹介した懐かしい国鉄時代の記事は、ブログカテゴリー「国鉄時代」からご覧になれます。
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あの頃の  山陽路の優等列車たち  特急 日向 ・ なは ・月光 ・ きりしま

2015-02-15 12:00:00 | 国鉄時代
懐かしい国鉄時代の写真を紹介している「あの頃の・・・」
今回も引き続き、山陽新幹線 博多開業前の優等列車が数多く走っていた、山陽本線が栄華を極めていた時代の懐かしい国鉄時代の写真です。

「あの頃の・・・」以前ご紹介した懐かしい国鉄時代の記事は、ブログカテゴリー「国鉄時代」からご覧になれます。


今回は、485系 特急「日向」、「なは」 そして581系・583系 電車寝台特急「月光」、「きりしま」

特急「日向」 大阪~宮崎に1往復

485系 特急 日向                                      大阪駅
日豊本線が宮崎まで電化される前はDC キハ82系の運転だったようですが、日豊本線宮崎電化完成後の1974年4月に電車化されて485系で運転されていたようです。
写真は大阪駅で撮影されておりますが、1975年3月10日の新幹線博多開業で廃止されるまで 485系電車での運転は僅か1年足らずだったんですね。
いったんは名称の消えた特急 日向 でしたが、2000年3月にJR九州 延岡~宮崎空港を結ぶ短距離特急として名称が復活しております。
しかしながらJR九州で復活した日向は漢字名称ではなく平仮名で「ひゅうが」です。





特急「なは」 大阪~西鹿児島に1往復

485系 ボンネット車 なは
当初は先にご紹介した特急「日向」と併結運転を行っていたDC特急 キハ82系で運転されていたようです。
DC特急時代は小倉駅で特急 日向と分割併合が行われていたようですが、73年10月改正で特急「なは」は485系に電車化されて特急 日向との併結運転は終了
1975年3月10日の新幹線博多開業時には他の優等列車が廃止される中、昼行特急列車から583系寝台電車を使用した夜行寝台特急に
その後は24系寝台客車に変わりブルートレインとして2008年3月の改正で廃止されました。





特急「月光」 岡山~博多・西鹿児島に2往復

583系 寝台特急 月光     世界初の寝台電車として運転開始、583系が「月光形」と呼ばれているのは有名なお話





特急「きりしま」 京都~西鹿児島に1往復

583系 寝台特急 きりしま
特急 きりしま の運転区間は京都~西鹿児島、時同じくして運転されていた 寝台列車「あかつき」は新大阪~西鹿児島と運転区間がほぼ被っているのです。
寝台電車特急と寝台列車と言う違いから名称を振り分けていたのでしょうか?

当時は私は小学生でしたから深夜に走る寝台列車なる特急は見る機会はなく、当時少ないお小遣いを貯めて買った鉄道雑誌を穴が開くほど眺めていた記憶があります。
しかしながら、当時 583系は昼間の昼行特急列車の運用にも入っている事がありましたから、時間は判らずとも沿線で行き交う列車を眺めているうちに見かける事がありました。
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あの頃の  山陽路の優等列車たち  特急 かもめ ・ みどり

2015-02-14 11:11:11 | 国鉄時代
朝から良いお天気でありますが、ぎっくり腰プラス アルファの痛みもありますし無理せず家でゆっくりとしております。

さて、今回も引き続き 山陽新幹線 博多開業前の優等列車が数多く走っていた、山陽本線が栄華を極めていた時代の懐かしい国鉄時代の写真です。

懐かしい国鉄時代の写真を紹介している「あの頃の・・・」
以前ご紹介した懐かしい国鉄時代の記事は、ブログカテゴリー「国鉄時代」からご覧になれます。

今回は山陽本線を走破したDC特急「かもめ」、485系「みどり」


新幹線 博多開業で廃止になるまでキハ82で山陽・九州を駆け抜けた特急「かもめ」 京都~長崎・佐世保に1往復


キハ82 特急 かもめ      特急 かもめ は京都~長崎・佐世保とDC特急としてはロングラン運転だったようです。
特急 かもめ は食堂車を含む堂々たる13両編成
京都~小倉間は併結で運転されて小倉駅で分離 1号車から6号車の6両は何と筑豊本線経由で佐世保へ、食堂車(キシ80)を含む7号車から13号車の7両が鹿児島本線 博多経由で長崎へ



特急「みどり」経路には色々と変更があったようですが、山陽新幹線博多開業で廃止になる1975年時点では
下り 大阪~大分、岡山~宮崎   上り 大分~岡山、宮崎~新大阪 を 2往復の何とも変則的な運用ですね。


485系 ボンネット車 特急 みどり
 





485系 特急 みどり       大阪駅での出発待ちと思われますオレンジ色の103系 大阪環状線の姿も


1975年(s.50年)3月10日の山陽新幹線 博多開業と共に山陽本線を走るその他の優等列車と共に廃止されました。
しかしながら、翌年1976年(s.51年)7月に長崎本線・佐世保線電化が完成して「かもめ」「みどり」は再び九州を走る特急として復活
特急「かもめ」小倉・博多~長崎   特急「みどり」小倉・博多~佐世保 
両車は小倉・博多~肥前山口間は併結運転されて肥前山口駅で分離されてそれぞれ長崎・佐世保へ
長崎本線・佐世保線電化が完成して「かもめ」「みどり」の併結運転が始まった頃のキャッチフレーズ「かもめはみどり」が懐かしい(笑
1979年(s.54年)頃に撮影した写真はこちら

今もJR九州で活躍する「かもめ」「みどり」すっかりその名称は九州で定着していますね。
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