今朝は夜勤を久しぶりに定時での上がりでした。
昨日からの雨も止んで深夜も気温が暖かかったせいか濃霧が発生しておりました。
帰りは夜明け前で真っ暗なのと濃霧で慎重に運転しての帰宅でした。
家に帰ってする事もなかったので、本日は早めのブログ更新であります (^^ゞ
懐かしい国鉄時代の写真を紹介している「あの頃の・・・」
私が中学生だった頃に、とある方から頂いた写真をご紹介しております。
今回は上野と東北の都市 杜の都 仙台を結んだ キハ82系 気動車特急時代の「ひばり」
撮影はおそらく定期化された1963年(s.38)~1965年(s.40)頃と思われます。 撮影は上野駅と思われます。
「ひばり」は、昭和36年10月にキハ82系の不定期特急として誕生、その後昭和38年10月に定期化。
昭和40年10月に483系交直両用電車に置き換えられされました。
電車特急としてのイメージが強かった「ひばり」
事実、上野から仙台までの電化は昭和36年に完了していましたが、当初はキハ82系の予備車をかき集めて編成されたいわゆる「架線化DC特急」だったようです。
キハ81系の改良型として登場したキハ82系 パノラミックウインドウが先進的でオシャレでしたが、急勾配区間が連続する地方の山岳路線には出力不足でその後開発された高出力のキハ181系が主流となったようです。
昨日からの雨も止んで深夜も気温が暖かかったせいか濃霧が発生しておりました。
帰りは夜明け前で真っ暗なのと濃霧で慎重に運転しての帰宅でした。
家に帰ってする事もなかったので、本日は早めのブログ更新であります (^^ゞ
懐かしい国鉄時代の写真を紹介している「あの頃の・・・」
私が中学生だった頃に、とある方から頂いた写真をご紹介しております。
今回は上野と東北の都市 杜の都 仙台を結んだ キハ82系 気動車特急時代の「ひばり」
撮影はおそらく定期化された1963年(s.38)~1965年(s.40)頃と思われます。 撮影は上野駅と思われます。
「ひばり」は、昭和36年10月にキハ82系の不定期特急として誕生、その後昭和38年10月に定期化。
昭和40年10月に483系交直両用電車に置き換えられされました。
電車特急としてのイメージが強かった「ひばり」
事実、上野から仙台までの電化は昭和36年に完了していましたが、当初はキハ82系の予備車をかき集めて編成されたいわゆる「架線化DC特急」だったようです。
キハ81系の改良型として登場したキハ82系 パノラミックウインドウが先進的でオシャレでしたが、急勾配区間が連続する地方の山岳路線には出力不足でその後開発された高出力のキハ181系が主流となったようです。