藤森照幸的「心」(最年少被爆者、アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

何を食べてもおいしい。

2015-01-20 19:52:01 | 日記・エッセイ・コラム

 本日午前八時半、私の口の中の異物(手術用糸)が全て取り除かれた。朝食抜き。 帰宅するや昨夜の夕食の残りで昼食を済ませたが、気分がさえず布団の中で「グズグズ」。 この二ヶ月間「歯磨き」が十分に出来なかった分、手入れをしていただいたのが、裏目に出た。 痛みに耐えるため「肩、首に力が入り」首が回らなくなった。 「頭痛は続くどこまでも」になってしまった。

 奥様は本日、お仲間と、八本松の山に登山へ出かけられた。 病院から帰ってみたら、玄関の扉の鍵はかけてなく、「ドロボーさんいらしゃー」状態。 まあ「貧乏所帯」には、泥棒も近づかない。 考えてみると鍵など必要ないように感じてきた。

 明治時期の「英語」教育について調べていたら、際限なく嵌り始めて「井伏鱒二」の「ジョン万次郎漂流記」を読み始めたが、活字が小さく疲れてしまう。 ネットで中古の本を探したら「191円」プラス運送賃「257円」なので注文したら、本日送られてきた。新刊本の半額以下だ。

 

今夜からゆっくり読んでみる。 学生時代とは違う感覚で読める気がする。

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年を越しての大掃除

2015-01-19 09:28:26 | 日記・エッセイ・コラム

 新年早々の大掃除を敢行した。 年末は体調不良のため中止。 都合性体調不良だ。 二階の洋間八畳を独り占めしている。 奥様のTVの音が大きく、同じ寝室での寝起きが「夫婦喧嘩の種」であったが、私が二階に逃げ出したことで解決している。 

 昨日は掃除機を二回懸け、窓のガラスの拭き掃除や、壁板の水拭き・・・・・。 疲れたーーー。 パソコンの位置も大移動。 ベットの上から操作出来るようにと一台移動。 机を南向きから西向きに変えて、もう一台のパソコンのキーボードと画面だけを卓上に置き、「書見台」を設置。 形だけは読書できる体制になった。 左を向けば、向かいの団地の「虹山団地」が見える。

 一日昼食を挟み十時間近く、のらりくらりと作業をこなしたが、万歩計のカロリー計算は驚くほどの消費カロリーを示していた。 今更ながら、主婦の労働の激しさが実感できた一日であった。

 厚生労働大臣が、南泉地区を訪れて「石綿被害者」に謝罪したようである。 そんな時間があるのなら、「石綿」が原因で発病したときの、「国家補償」制度の構築に全力を挙げるべきである。 どうせ、「地元自民党国会議員」の顔を立てての、訪問であろう事は想像だつく。 「労災補償」、「石綿救済法」 プラス 「石綿国家賠償法」の制定を急ぎ、「石綿」に因る症状が現れたときには、「医療費の免除」や、「一時金の支給」を行うべく法制化すべきだ。

 「水俣病被害者」の様に、長く被害者を苦しめてはならない。 「PCB」、「劣化ウラン」の触媒としての使用禁止も然ることながら、その保管場所の選定を急がないと大変な状況が訪れるであろう。 もちろん「使用済み核燃料」含めてである。 軍事費の割り増しで、「劣化ウラン弾」でも作ろうなんて魂胆は、「阿部内閣」は持ちはしまいかと疑ってしまう昨今である。

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一人飯

2015-01-17 10:43:09 | しごとの思い出

目覚めると、周囲の山の頂上は雪を冠っている。 例年には無い光景だ。 

昨日の夕食は、久しぶりの「やもめ暮らし」の食事となった。

「鰯の刺身」を十年ぶりに食した。 近頃なかなか手に入らない、生きの良い「鰯」をスーパーの鮮魚部のお兄さんが手に入れて、私に声をかけてくれた。 このお兄さんとは、私が「何でも鑑定団」に出演したとき、この店の「鰹」を使って「タタキ」を作った事が放映されて以来の仲良しである。 ブランデーのお湯割りを少しいただいた。

TVに大リーガーの黒田が出てきて、広島に帰ってくることを自ら報告していた。 ここまでは普通のニュースだったが、この夏の広島の水害の時、アメリカから帰国して広島の被災地を見舞っていたという。 その時、本人の要望で、そのことは伏せられたという。 理由は、「全ての被災地に足を運べないから、今回の訪問は放映しないでほしい」との事であったらっしい。 その時「ボランティア」皆から、歓声と拍手が沸き起こったそうでる。 そのときの場面を放映していた。 十三億円の大リーグを断って、三億円の広島カープへ帰る決心をその時したそうだ。 自分を育ててくれた「広島」で、残りの野球人生を過ごそうと決心したそうである。  思わず私の目に涙があふれてきた。 年を取ると涙腺が緩くなる。どうもそれだけが理由の涙ではない気がしてならない。 「恩を仇で返す」人は昨今多い。 そんな世中まんざらでもなさそうである。

締めには赤飯を取り出して食した。 今年の「広島カープ」は、日本一になる予感がする。

 たまには「一人飯」も良いものだ。

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口腔手術から一夜明けた。

2015-01-16 17:03:07 | 日記・エッセイ・コラム

口の中が爽やかなのは幾日振りだろうか。 インターネットで取り寄せた本を、ベット脇の棚に載せてみた。

古事記に関する本から、下関市の民俗資料までやたらめったら、英語辞書まである。 

  

「奥様に引かれて 広島ラフカディオ・ハーンの会」となったわが身の性で、小泉八雲について調べ始めたら切り無く古本漁りとなっている。

「小泉八雲」は底知れぬ魅力に満ちている。 二十代に一度嵌ったが、当時私の関心事である民俗学的見地からの「八雲」像は誰も理解してくれなかった。 この会の主催者である、私の母校の大先輩の「風呂」先生は実に見事に「民俗学的見地」や、「音律」、「英文の形態」、「翻訳日本語」に至るまで考証される講義は、毎回私の好奇心を満足させてくれる。 その結果が古本の山となっている。 辞書は別として、この本を今朝から読み始めた。

口の中が調子良いと、読書も進む。 三度の食事当番も、心なしか浮かれ気分で出来た。 今夕のおかずは、「しめ鯖」だ。 奥様はその半分を持って、先ほど義理の妹の所に出掛けて行った。 義理の妹は「やもめ暮らし十三年」になる。 私の弟が無くなって、早十三回忌である。

そんなこんなで、今夕食は私が「やもめ」となった。 久しぶりに、安物のブランディでも少しいただこうかと思っている。

夕食を一人でとりながらTVを見ていたら涙があふれてきた。 事の顛末は明日報告したい。

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十一月以来苦しんだ結末。

2015-01-15 22:18:04 | 日記・エッセイ・コラム

十一月初めから右上歯三本に泣かされている。 当初は、私の歯茎に巣くう特殊な「菌」が原因であったが、その後二ヶ月にわたって、口の中が「攪乱」を起こしていた。 暖かいものや、唐辛子、強い塩分、ようするに刺激の強い食べ物を口が拒否してきた。 一週間前 前触れもなく突然に、抜歯痕から一片の「骨片」が出てきた。 長さ八ミリ、幅七ミリ、厚さ六ミリ。 その後が大変であった。 大きな穴が開いたままで、先ずは化膿を止めるのに一週間かかって、今朝八時半から一時間の手術を受けた。 抜歯の時に、上あごの骨が割れてその割れたものが一つは「自然排出」されたが、今一個は周りの骨に阻害され、歯茎の中で腐敗し始めているらしかった。 骨粗しょう症の人には起こる症状だが、私の場合 原因が良く解らないそうである。 医者に解らない事が私に解るはずは無い。 医者に問題が在るのだろうか?・・・・・いささか疑問を覚えた。 切開手術で骨片を取り出したらすっきりした。 長さ十三ミリ、厚さ四ミリ、幅八ミリ。 結構大きなものが出てきた。 この骨片を体外に押し出そうと、この二ヶ月の間 上あごは努力し続けていたらしい。 全快まで後 幾日かかるのであろうか。 この騒動で、インターネットで取り寄せた「古事記」、「出雲風土記」など古本十数冊が、枕元に高く積みあがっている。 明日からはこれらの本を読まねばならない。 奥様に「つんどく」ですかと皮肉の一つでも言われそうであるから。

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