藤森照幸的「心」(最年少被爆者、アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

三角西港

2016-12-08 07:32:00 | しごとの思い出

「バカは風邪をひかぬ」と言われているが嘘であることは間違いない。

ここ一年半風邪をひかなかったが、ひどい風邪を引き込んでしまったようである。 鼻水に苦しまされている。

奥様は旅行の報告を先延ばしになさっているようなので、写真だけでもご覧いただこうと思って取り掛かってみたが、はたして・・・・・・・・。 鼻水に打ち勝てるかどうか。 ガンバッテご覧いただき  「ハックション」。

長崎の旅館の対応の悪さに嫌気がさした「ラフカディオ・ハーン」は、船で三角西港へと帰ってきたそうである。 そこで一軒の旅館に出会う。 「浦島屋」である。その旅館が近年、再建されたそうで拝見に訪れた。

三角西港は、明治10年に着工10年の歳月を要し完成したそうである。 宇城の町から向かう途中、カメラの放列に出くわした。 何かと見れば、新しく懸けられている「天草大橋」が今まさにつながろうとしていたので車を止めて写真に収めた。

結果は後ほどに。

港は明治の色合いを残しロマンあふれるところであった。 

浦島屋の再建は外見だけで内部は残念ながら・・・・・・・・。

明治の感性を十分に伝えてくれる。 何より素晴らしかったのが、当時の掘割や、裁判所、郡役所などがそのまま残っていることで、

おもわず裁判長席に座ってみた。

南国の香りがするソテツに囲まれてどこか異国情緒・・・・・・。

ガラス窓も当時のままでフロートガラスが残り、時代の流れが・・・・・・・・。

築港当時のままの掘割。 外部からの出入りが厳しく制限されていたらしいが、当時の日本人の正直さがうかがえる濠ではある。

説明不要の・・・・・・。

帰路あの天草大橋が再び切断されていた。 連結に失敗したのか・・・・・。 理由はわからずじまい。

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水俣(2)・・・徳富蘇峰・蘆花兄弟の故郷。

2016-12-06 07:22:58 | 日記・エッセイ・コラム

水俣といえば徳富蘇峰・蘆花兄弟を外すわけにはいかない。 市役所の一角に、蘇峰の記念館がある

蘇峰先生の銅像が町の中央を眺めている。がっちりとした体形、身長180センチを超したそうである。

ジャーナリストとしての名声もさることながら、近世日本の歴史を記録した功績は・・・・・。皆様のほうがよくご存じであろう。 記念館では職員がよほど暇と見えて、我々二人のそばから離れず、いろいろ解説してくれた。 

内容はそれくらいは知って出かけた我をれはいささかうざい存在であった。

ここが徳富兄弟の生家。 ここでも、管理人が付きまといいろいろ説明してくれるのだか、そんなこと知ってます・・・・の範囲である。 よほど暇なのであろうか。

それよりこの近くの浄土真宗のお寺に、薩摩藩から「抜け参り」に訪れたという部屋が存在し、興味をそそられた。 江戸時代薩摩藩は、浄土真宗を禁止していた。 そこで領民は、「抜け参り」をしたそうである。

 

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竜宮神社・・・・・長崎鼻・・・・・・たまてばこ温泉

2016-12-02 14:36:57 | 日記・エッセイ・コラム

この景色、絶景とはこのことでしょう。

長崎鼻の付け根にある山、「竹岳」?名前が少しおかしいかな・・・・。いずれにしても奇岩の山。

前日登った開聞岳が目の前に・・・・・・・。

長崎鼻、浦島太郎が帰り着いた場所と言われているそうですが、九州にはこの地とは別にいくつかの場所が・・・・。

浦島太郎を祭る小さな祠が、いつの間にか立派な神社になりました。 その名も「竜宮神社」。 普段着の乙姫様のお出ましです。

たまて箱温泉からの眺め。この日はこちらが女性用。

こちらがこの日の男風呂。 日帰り露天風呂部門で三年連続日本一の人気の野天風呂。 この下の浜辺には日本一の砂蒸し温泉がある。 向こうに見えるのが、「長崎鼻」と「開聞岳」。 さすが薩摩富士貫録十分。

すっかりご機嫌で、前日の疲れも取れました。

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特攻兵の遺書

2016-12-01 11:43:02 | 日記・エッセイ・コラム

阿部総理に読ませたい我が子にあてた「遺書」

久野 正信(愛知県) 享年29歳 昭和20年5月24日

正憲  紀代子へ

 父ハスガタコソミエザルモ イツデモオマエタチヲ見テイル。

ヨクオカアサンノイヒツケヲマモッテ オカアサンニシンパイカケナイヨウニシナサイ。 

ソシテオホキクナタレバ ジブンノスキナミチニスヽミ  リッパナニホンジンニナルコトデス。 

ヒトノオトウサンヲウラヤンデハイケマセンヨ。 

「マサノリ」「キヨコ」ノオトウサンハ カミサナニナッテフタリヲヂット見テイマス。

 フタリナカヨクベンキョウヲシテ オカアサンノシゴトヲテツダイナサイ。

オトウサンハ「マサノリ」「キヨコ」ノオウマニハナレマセンケレドモ フタリナカヨクシナサイヨ。

オトウサンハオホキナヂユウバクニノッテ テキヲゼンブヤッツケタ ゲンキナヒトデス。

オトウサンニマケナイヒトニナッテオトウサンノカタキヲウッテクダサイ。

マサノリ

      フタリヘ

キヨコ

幼い子供を妻に託して、特攻機に乗り込んだ父親の気持ちがどんなものか、子供のいない阿部ちゃんには解らないのだろう。

ふたたび日本人が銃を手にしたとき、世界を全て敵に回す覚悟があるのかみなさんに聞きたい思いです。

知覧の様な地を再び作ってはならない。

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水俣・・・・・・・・。

2016-12-01 09:12:44 | 日記・エッセイ・コラム

奥様、「長崎鼻」、「知覧」は頭の中に無いようです。 水俣の前に、「長崎鼻」、「知覧」に行きました。 「長崎鼻」では「玉手箱温泉」に入り、開聞岳登山の疲れを取りました。

知覧平和祈念館では、 十七歳から二十九歳までの若ものが空の彼方で散って行った現実は心を凍りつかせます。

全文カタカナで書かれた我が子への遺書。 涙があふれてきます。 久野 正信 中佐 享年29歳。

写真で乗せたいのですが、著作権のため・・・・・。 残念です。

我が奥様そこは飛ばして「水俣」へ・・・・・。

水俣資料館への案内板の不都合で団地の中に・・・・・。 山の頂上で出会ったのが

蝋ハゼの古木、見事な形と美しさ。 枝先にたわわに実る、蝋櫨の実。 思わず記念撮影。 早朝なので先に水俣の町を散策。 嘗て水俣は蝋燭が特産品であったそうだ。

広島は晩秋でしたが、水俣は初秋。 暑さに耐えかね半袖を求めることにしましたが、早朝のため・・・・。

車はいつしか「チッソ」の裏門へ出ました。

写真を撮っていると警備員がやってきた。

ぐるっと回って正門に。 私の背中の向こうに四人の警備員。 怪しい男が…テロと違うか?の形相で飛び出してきています。

この水路に水銀が垂れ流された。 この橋から左方向三十メートルにあった排水溝からだそうである。

正面を振り返ると、

ラッシュ時間の終わった水俣駅は、静かにたたずんでいました。

かつて水俣で取れたイワシを入れる籠が、駅の中に展示されていました。子供三、四人が十分遊べる大きさです。

そのあと、半袖三枚購入、暑さから解放されたのですが・・・・・・・・・。

徳富蘇峰、蘆花兄弟の資料館や生家では、・・・・・・・。顛末記は奥様のブログでご覧ください。

明日くらいにはその話が出てくるでしょう。

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