いやあ、たまげたたまげた。なんと“キオスク”にレジが鎮座していたのである。本日、私は某JR駅のホームにある“キオスク”の前でうろうろと雑誌(の表紙)を見ていた。私は活字中毒者であり、もちろん鞄の中には3冊ほどの文庫が入っているのだが、それらは電車の中で読むもので、ホームで読むのはもったいないのだ。“キオスク”には雑誌や新聞が売るほどあり、それらの表紙を彩る大量の興味深い活字にどうしても目がいってしまう。と、そのうちサラリーマンが雑誌を買おうと店員のおばさんに手渡した。するとおばさんは雑誌を裏返し、POSのスキャナー(コンビニでおなじみの「ピッ」というやつです)をあてるではないか。で、その先を見ると売場中央の、これまでは釣り銭が整理してあった場所に、いかにも場違いな大きさのレジがどーんと鎮座していたのだ。しかもそれらはまだ導入されたばかりで、おばさんはやり方がよくわからないらしく、「あれっ」「どうだっけ」と言いつつ、隣のおばさんに聞きながら3度目のスキャンで、ようやく作業(販売)を終了したのだった。サラリーマンが雑誌を手渡してから1分近くはかかっただろうか・・・。ちょっと前まで“キオスク”には大抵、職人的なおばさんがおり、一度に数人の客をそれぞれ瞬間的にさばいていたり、常連客が何を買っていくのか(タバコの銘柄など)を記憶し、お釣りを持って待っている人さえいたのだ。数年前、ホームにコンビニ風の売店ができたときから危惧していたのだが、なんと買い物のしにくくなったことか・・・。恐らく“キオスク”の売り上げ効率は相当落ち込んでいるのはないだろうか。職人芸の復活を望む。
私は読書と同じぐらい音楽を聴くことが好きだ。読書と同じようにこれまでウン十年、相当な数の音楽を聴いてきた。がしかし、レビューを書いたことは一度も無く、その感想は脳味噌にため込んであるだけだ。歳を重ね脳味噌の空き容量が残り少なくなったこともあり、書評とともに音楽についてもこのスペースに書いてみようと思う。私の好きなジャンルはおもに洋楽・邦楽を問わずジャズ・ロック・ソウルと、大きな声では言えないがJ-POPも少々。あらかじめお断りしておくが最近のものはあまり聴かないのでよく分からない(最近とは90年代以降を指す・・・古すぎか・・・。)。で、記念すべき第一回は、「Who is This Bitch,Anyway」Marlena Shaw。先日、吉祥寺のライブレストランでバンドが最初に演奏した曲が、このアルバムに収録されている“Feel Like Makin' Love”(元はロバータ・フラック)だったので、いきなり、「おおっ」と感激してしまった。発売は1975年。当時私はアマチュアバンドでドラムを担当しており、レコードを購入する際の基準は、アルバムの制作者本人というよりは、バックのドラムは誰か?ということだった。私の目当てはハービー・メイソン、バーナード・パーディーなど。同僚のベーシストも同じように、チャック・レイニーなどが参加している作品を、それこそ目を皿のようにして探していたものだ。(その後ハービーにはとてもかなわないと悟り脱退)本作はそんな中で見つけたものだったのだが、マリーナの表現力とともにバックの演奏はもちろんのこと、アルバム全体が素晴らしく、今聴いても全然古さがない。“音楽的空間”の広さと“間”の余裕が、聴く者を心地よく癒してくれるのだ。マリーナが来日した際サインをいただいたレコードもあるのだが、もったいなくて聴けず、CDも購入してしまった。「無人島に持っていきたいCDを3つあげよ」などという質問があれば、まず最初に選ぶだろう。
ふぁあ、飲んだ飲んだ。なんだかまだ宇宙遊泳をしているような感じだ。(したことないけど)さて、昨夜は、5月から世界一周に出掛ける友人の壮行会を催した。場所は東急裏に数ヶ月前オープンしたソウルライブレストラン“チャチャハウス”。以前は普通のレストランだった所が改装され、食事をしながらライブを楽しめる店になったのだ。壮行会の参加メンバーは、以前書いたソウルバーのマスターと友人数人。いずれも十年以上のつき合いで、みんな音楽が大好きだ。出演バンドはいわゆる“ハウスバンド”だったが、ベース・ギター(ともにヴォーカル兼)・ドラムが黒人で、もうひとりのギターがN氏という、業界ではけっこう名が通っている人。さらに女性のヴォーカル兼キーボードの5人編成。マリーナ・ショウの「フィール・ライク・メイキン・ラブ」をスタートに、徐々にアップテンポの曲となり、「ホワッツ・ゴーイン・オン」が始まる頃にはついには踊り出す人も・・・。さすがにネイティブブラックが唄うソウルは濃厚だ。こちらは壮行会とは名ばかりで、世界一周の詳細を聞くこともなく(本人も旅の詳細なんか考えていないのだ)、世間話をしながら飲んで食べて飲んで食べてといつもと同様。マスターが店の知り合いだったこともあり、泡盛の差し入れをいただきさらに盛り上がり、最後には全員で踊りまくった・・・。世界“半周”で帰ってくるなよ。
私は飛行機に乗るのが大好きだ。しかも“魔の時間帯”といわれる離陸時が最も好きなのである。飛行機がゆっくりと誘導路からメイン滑走路の端にたどりつき、いったん停止。次の瞬間、エンジン出力を最大に上げ一気に加速、そしてフワっと上昇・・・。あの加速感がたまらない。最近のクルマにも絶対スピードでは同じようなものがあるが、あれだけの巨体がフル加速し空中に浮くのである。上空での巡航スピードは900kmを越え、眼下にはパノラマのような日本列島が見える。宇宙にはまだ行ったことはないが、「神」の領域に近づけるような気がするのだ。もちろんその飛行機は現代の最先端科学の粋を集めて作られ、最新のシステムによって運行されているはずだ・・・。と思っていたらそうでもないのである。「99.9%は仮説」によれば冒頭から“飛行機はなぜ飛ぶのか・・・実はよくわかってない。”というのだ。著者の竹内氏は東大理学部出身の科学作家であり、世の中のさまざまな現象は仮説に過ぎないと科学者の立場から訴える。頭の柔らかい人はその仮説を疑い、さらなる仮説を構築してゆくのに対し、頭の固い人はその仮説を、真実として思いこんでしまうのだ、と。ちょっと前に養老先生の「バカの壁」がベストセラーになったが、主旨としては大いに通じるものがあるだろう・・・。あ、いかん、これを書いていたら頭が固く凝ってきた。
みなさんが小さい頃、一番最初に描いた「お花」はなんだったでしょう?すみれ?たんぽぽ?ひまわり?まさかグラジオラスとか菊なんかを描いた人はあんまりいないでしょうね。じゃ、チューリップを描いた人「はーい!」というわけで、今回はチューリップです。チューリップは形がシンプルで、色も赤や黄色など原色系が多く、小さな子供にもわかりやすい(描きやすい)花なんですね。そのチューリップが見渡す限り咲いているというおまつりがあったんです。場所は前回の「みこしの川入」と同じ青梅線「羽村」です。というか、「みこしの川入」が行われた多摩川、「羽村の堰」の500m上流の畑。前回一緒に見ておけばよかった、と後悔しつつ再び行ってきました。奥多摩街道からの細い道を下るとそこは一面のチューリップ畑。500m×500mかそれ以上に広い畑には色とりどりのチューリップが満開で、一瞬ここはオランダ?なあんて思ったりするほどです。(かなり大げさ)観客も大勢来ており、特に小さな子供連れの家族が目立ちます。お父さんがカメラやビデオを構え、チュリーップをバックに奥様と子供の写真を撮っていました。“平和”というのはこういうことなのだなあ・・・。周辺には焼きそばやたこ焼きの売店、なぜかお囃子などもいてにぎやかです。今日あたり、あの子供たちは幼稚園や学校で、昨日見たチューリップのお絵かきをしているに違いありません。
都心ではすでに桜が散り終わろうとする昨日、東京は西の郊外、羽村(はむら)にて行われた「みこしの川入り」を観てきました。羽村市は東京駅から中央線を西へ進み、立川で青梅線に乗り換え8駅目(東京から直通もあります)。玉川上水の取水口「羽村の堰」がある町で、「はむらさくらまつり」はその「羽村の堰」がある多摩川沿いの土手で行われています。「みこしの川入り」はその付近にある八雲神社の春祭の一環として江戸時代から行われているようです。快晴で暖かな日差しの中、お昼前に羽村駅西口を下車し西へ進むこと10分、多摩川が作り出した巨大な河岸段丘による坂を下りると「はむらさくらまつり」の会場です。桜はここでも散り始めていましたが、まだまだ観られます。土手を降り河原に出るともうすでにかなりの観客が集まっていました。しばらく待つと、まず、子供のみこしがやってきて川に入りました。5,6年生ぐらいの男の子が十数人、浅瀬をそろりそろり、転ばないようにゆっくりと渡り終えました。さらに20分後、今度はメインの大人のみこしが登場です。こちらは20代から30代の男性が十数人、最初は浅瀬を進みながら徐々に川の中央へ、暖かいとは言えまだ冷たい水の中をさらに深みへ進み、ついに胸まで浸かったところでかけ声とともにみこしを揺らします。さらに川の中を練り歩き10分後、大歓声とともに水から上がりました。みこしはその後、土手の上に来て待機していた「山車」と合流し、祭は終わりました。ローカルな小規模の祭でしたが、その分近距離で観られて大変面白かったです。来年もまたこよっと。
ワンセグだかなんだか知らないがケータイがまた進化した。カメラを始めとしてお財布だのGPSだの留まることがない。そのうちひげ剃りやドライヤー、空気清浄機なども組み込まれるに違いない・・・。だが私はそういう貧乏くさい複合機能は必要ないのだ。複合機能が付帯するおかげでデザインがどうしようもないうえ若者向けばかりで、あとはおじいさん向けの「超簡単携帯」になってしまう。ケータイはせいぜい通話とメールができれば充分。だいいち壊れたらどうする?なくしたらどうする?ほとんどの機種に付いてしまっているカメラだってまったく必要ない。撮影ならデジカメを持っているし、画質や機能など比べるべくもない・・・。最近あらゆる場所でケータイをかざし撮影する人々が滅茶苦茶うざいのだ・・・。さて、昨晩、三鷹のY電機のサッカーグラウンド横を通るとナイター練習が行われており、水銀灯に照らされた桜が美しいのなんのって、思わずケータイで撮影してしまいました。いやあ、ケータイって便利だなあ・・・。
昨晩は吉祥寺のソウルバーでくつろいだ。(先日、気分を変えて頑張ろうなんて行ったくせに月曜からもう飲んでるか)そこは中心部からちょっとはずれた八幡様の近くの“R”。開店以来十数年、ほとんど変わらぬ店内には、70年代を中心とするソウルがゆるやかに流れ、ゆったりと酒を楽しめる。ソウル・ロック・ジャズなどの音楽に「進化」というものがあったなら、それは70年代で完結してしまったのではないだろうか?70年代はこれらの音楽がジャズを中心にクロスオーバーし始めた時代であり、それ以後の音楽は、すべてこの時代に作られたものに影響を受けているといっても過言ではないだろう。自らがその時代に思春期を過ごしたからそう感じるのだろうか?この時代の音楽は常にずっと、いつ聴いても心地よいのだ・・・。暫くして、仕事も女も捨て長い旅に出る友人も合流。写真や本や旅、そして音楽の話で盛り上がった。
いやあ、しっかしすごい人でしたあ・・・。再び東京郊外のお花見のメッカ井の頭公園へ行ってきました。先日行ったときはまだ2部咲きだったのがもう満開。しかも明日は雨との予報なのでお花見客が殺到したみたいです。駅近くからいつもよりだいぶ多い人混みにたじろぎ、メインストリートである「七井橋通り」は避け一本東側の通りへ、しかしこっちも混んでいる。階段を下りるともうそこは人の海です。池の中央を横切る「七井橋」はアメ横状態で、いまにも沈没しそう。でも根性でその中をかき分け渡りきると、ボート乗り場には長蛇の列で数百人は並んでいるでしょうか?何時間待ちなのでしょう。テレビ局のクルーもちらほらいて、かぶりものをしているお花見客を取材しています。今夜のニュースで流れるのかもしれません。お花見が過ぎると春も一段落、新年度が始まります。気分を変えてまた頑張ろっと。