ペンギンのひとりごと。

とにかく何事にも好奇心旺盛なペンギンのひとりごと。

2011年12月、大雪の道北へ(その4)帰りも・・・。

2012-01-20 17:30:22 | 北海道
しっかしまいったな。
ついに東京も雪で、なんだかこっちのほうが寒い気がするなあ。

さて、私は傷心の友人とともにサンピラーに宿泊した。
名寄温泉サンピラーは、名寄市中心部からクルマで15分ほどの場所にある温泉ホテル。
パークゴルフ場やひまわり畑があるサンピラーパークから、さらに奥に入った、ピヤシリスキー場の麓にある。
手前にはジャンプ台もあり、この日はジャンプの選手達が合宿を行っていた。
私たちはゆっくりと温泉につかって、トラブル続きの身体を癒したかった。

次の日、友人宅に戻ると、間もなくして水道工事屋さんが到着。
シャワーの栓はもちろん、あちこちを見てもらうと、
さらにキッチンの排水もおかしいとのことで、
シンクを外すなどの大工事となってしまった。
それでも1時間ほどで完了し、ようやく水が使える状況になった。
やれやれ、これで今夜はこの家に泊まれるんだな。
と思ったが天気予報を検索すると、これからまた雪が降り続く模様。
ううむ。
私は明日早朝の汽車で帰らなければならないのだ。

結局、今回の旅のトラブル続きの状況を考え、
先手を打たなければならぬということで、
この日の晩に旭川のホテルに泊まることにした。
午後、ちょっとだけ所用をすませイオンで食事をとった後は汽車で旭川へ。
ついに友人宅には1泊もできず。
なんだかさびしい旅になっちまったぜ。

旭川の宿は2日前に泊まったホテルパコ。
いやあ、ここのホテルはいいわあ。
部屋の広さはそれほどでもないけど、アンティーク風の家具に眺望もまずまず。
最上階の展望レストランでのモーニングビュッフェは品数も多く味も良し。
さらに広々とした温泉。
洗い場も広くて仕切りがちゃんとついてるし、数も多いからラクラク。
しかもめっちゃ安いんだ。
って、なんだか今回の旅はこのホテルに泊まるために来たみたいだなあ・・・。

次の日は飛行機がやはり30分ほど遅れていたが、
無事東京に到着することができた。

ということで、今回の旅は何をしに行ったんだか。
北海道の雪の脅威をイヤといやというほど味わった旅でした。
(画像はホテルパコの部屋から。曇った窓ごしなのでソフトフィルターをかけたみたい)




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2011年12月、大雪の道北へ(その3)まさかそんなところが!

2012-01-16 18:23:06 | 北海道
ひゃあ、しっかし今年は寒いな。
東京でも最高気温6度だもんな。
この間北海道へ行ったときと同じ格好でちょうどいいよ。

さてさて、特急が運休してバス代行になり、3時間かけてようやく名寄に着いたんだった。
その後は友人宅へ向かった。

友人宅はひと月ほど留守になっていたため、ほぼ雪に埋もれていたが、
わずかに、道路から玄関までの幅50センチほどと、ガレージの前が除雪されている。
あらかじめ友人が市の関係者に依頼していたのだ。
しかし今日積もった雪で、そのわずかなスペースもぼんやりとしてきている。

久々に帰ってきた友人とともに家の中に入ると、
さすがの極寒仕様の室内も相当冷えている。
特に床は凍り付くように寒い。
今まで来たときは必ず床暖房が入っていたのだと、この時にはっきりと気がついた。
さっそくすべての暖房を入れる。
その後は水道だ。
市役所に連絡をして係の人に元栓を開けてもらう。

水道はこの地では最も警戒すべきインフラで、
留守にするときはすべての栓から水を抜かなければ凍ってしまう。
もちろん友人は留守にするときにそれを行ったはずだ。

十分ほど部屋の中にいたがまだ部屋は暖まらず、身体の芯までが凍りそうだ。
それならと、雪かきをすることにした。

シャベル、ダンプ他、名前のわからないものまで、
さすがにいろいろな雪かきグッズがあったが、
しばらく放置してあった雪はだいぶ硬くなっており、
シャベルで少しずつ崩してゆくことにする。
20分ほど作業をしただろうか、50センチだった幅が80センチに拡がる頃、
身体がようやく温まってきた。

やがて市役所の人が到着したので、元栓を開けてもらい家の中に入ってみる。
部屋の中はようやく暖かくなり、水も出る。

しかし数分後、悲劇は風呂場で起こった。
ザーッという音とともに、大量の水が流れ出した。
シャワーが破裂したのだ。
うわーっ!
友人は必死に水を止めようとするがまったく止まる気配はなく、
風呂場の床に見る間に水が溜まっていく。
排水口もちゃんと機能していないのか。
友人は溜まった水をタライで風呂桶に流し続けている。
スペースが狭いため、私はただそれを眺めているしかなかった。

その後は、たった今帰ったばかりの市役所の人にまた来てもらい、
元栓を閉めてもらうしかなかった。
この日は日曜ですでに夕方。工事は明日になる。
風呂はもちろん、キッチンもトイレも使えないのだ。

結局、この晩はサンピラーホテルに泊まることになった。
(画像は翌日のサンピラーからの帰り道)








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2011年12月、大雪の道北へ(その2)バス旅は大変!

2012-01-09 16:09:01 | 北海道
ふぁあ、あけましておめれとうございましゅ。

あっという間に新年も10日が過ぎ、北海道での試練の記憶が薄れてきちゃった。
でもなんとか思い出しながら書いてみよう。

前日、羽田から旭川行きに搭乗するはずが、雪の影響で新千歳行きに乗り換え、
さらに特急でようやく旭川に宿泊することができた。(旭川泊は予定通り)

次の日は名寄での午前10:00すぎからの用事に間に合うようにと、
旭川駅発9:12のスーパー宗谷1号に乗車するためホテルを出た。
旭川の天気は曇り時々雪で寒さはそれほど感じなかった。

旭川駅に着くと、切符売り場付近にちょっとした人混みができており、瞬間的にいやーな予感がした。
でもまだ何もわからないので切符を買いホームに向かう。
うっすらと雪の積もるホームにはまだ誰もおらず、
寒いのでエスカレータ出口付近にとどまることにする。
隣のホームを見ると札幌方面に向かう汽車が来ないようで、だんだん乗客が増えてくる。
そのうち放送があり、深川だか砂川あたりの雪の影響のため上下線とも遅れが出ており、
我がスーパー宗谷も40分ほど遅れるらしい。

ホームにいてもしょうがないのでとりあえず1階のコンコースへ移動し、様子を見ることにした。
駅構内は次第に人が溢れてくる。
そろそろかなとホームに上がってみると、
札幌方面行きのホームには特急が到着しており超満員。
こちらのホームにもようやくスーパー宗谷が到着した。50分遅れか。
やれやれ、もう10:00には間に合わないなあ。
ま、しょうがない。
しかし、スーパー宗谷はそれから10分たっても動かなかった。

やがて車内放送があり、和寒あたりで雪のため、
8時台に発車した普通列車が旭川方面にバックしているとのこと。
ええーっ!!!
さらにその後また放送があり、スーパー宗谷は運転を中止しバス3台による代行になるので、
乗客はエスタ前のバスに乗り換えてくださいとのこと。
ええーっ!!!

私はとうにこのトラブルを楽しむ心境になっており、
それは下川裕治さんの著作にあるように、
アジアの辺境の崖っぷちの道路を何時間もバスに揺られる旅に、
イヤだイヤだといいながら何度も行ってしまう、
怖いモノみたさのような心理なのだろう。

さて、バスは40号線を北に向かって出発した。
なにしろ高速道路も不通になってしまっているのだ。

市街地を抜け自衛隊の基地を過ぎるとしだいに雪が激しくなってきた。
それにしてもバス車内は振動が凄い。震度4から5ぐらいだろうか。
道路の除雪が行われていないため、自らのタイヤで雪を固めながら走らなければならないのだ。
窓はすべて曇り、外はほとんど見えない。
1時間半ほど走ってようやく塩狩峠を通過し、振動はややおだやかになった。
やがて市街地が見え、和寒に到着。

その後は士別にも停車した後、14:00すぎにようやく名寄駅に到着。
ふぅー着いたぁ。。。
バスには3時間ほど乗っていたことになる。

空腹の私はたまらずに駅前の三星食堂へ。
ラーメンがとてもおいしかった。

だがこの後、さらなる試練が待ち受けているとは知るよしもなかった。
(画像はバスの車窓からかろうじて見えた風景)










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