沢ガニの飼育は、毎日水を替えてやらなければいけないので、金魚より手がかかる。庭から葉っぱを取って来て、毎日入れ替えてあげ、ザリガニのエサも残らない程度に気を使ってやっていた。
砂利と手頃な大きさの石を拾って来て消毒し、身を潜める小さな植木鉢も入れてやった。彼らはその家を大変気に入ったようである。よしよし。
哀しいことに1週間くらいして、1匹お亡くなりになりまして、庭に埋葬することに。私は魚釣りをしても、むんずと魚をつかむことができるし、魚がお亡くなりになってすぐにさばくこともできるのに、死んでしまった沢ガニを素手で触ることに躊躇してしまった。一体、この感覚はなんだろう。
よく観察していると、1匹めっぽう気性の荒いヤツがいて、ケース越しでもこちらが指を動かしたりすると、必ず仁王立ちになり、両方のハサミをぱっこりと広げる。「いつでもかかってきんしゃい! はさんでやるかんね!」と戦闘意欲満々である。強気なので「大将」という名前をつけてやった。
水を替えるために洗面器に一度彼らを移すときなんぞ、気をつけなければ、いつも大将に指をはさまれて、痛い思いをするのだ。ハサミを片方失くした色の薄いカニは「薄次郎」、一番小さくて色鮮やかなカニは「チビ太」、チビ太よりちょっぴり大きいのが「チビ太2号」。
「名前なんか付けちゃったら、もう唐揚げにはできないね」
「うん、もうそれはできない」
ということで、約2カ月、三日坊主の私が毎日ちゃんと水替えや草替えをして、可愛がってきた。9月に入ってまた1匹、特徴を探せず、名前もつけられなかったカニが死んでしまい、庭の木の根元に埋葬した。残るは大将、チビ太、チビ太2号と薄次郎の4匹。
調べると、なんと沢ガニは長くて10年くらい生きると書いてある。しかも冬眠するとも書いてあるではないか。こんなプラケースでは冬眠させてやれないし、大将だって、チビ太だって、薄次郎だって、自然の中でのびのびとしたかろうと想う。
そこで私は、ノエホタ母のセカンドハウスを訪ねた際、手頃な沢に放してやろうと考えたのであった。プラケースごと車に積んで持って行き、ノエホタ母に「沢ガニを放してやる、いい場所はないか」と聞いたら、「すぐ近くに蛍が舞う水場があるわよ。私たちはまだ蛍を見たことはないけれどね」と言う。「そこなら」と思い、4匹をビニール袋に入れ変えて、ブナとクリを連れて沢ガニを放しに行ったのである。
その近くの側溝には沢ガニの死骸があったので、きっと辺りには仲間がいるはずである。「房総の沢ガニたちよ、天竜生まれの沢ガニを仲間に入れてやっておくれね。薄次郎、片腕でも頑張るのよ! みんなぁ、天寿を全うするのよ~」と祈りながら4匹を放したのだった。
自然に帰っていく「大将」。最後まで反抗的だった
けど、気骨のあるヤツだったなあ。さよなら、大将
家にプラケースを持ち帰って洗いながら、ちょっぴり淋しくなってしまった。飼っていたのはたった2カ月程度だったのに、靴箱の上がさっぱりしてしまい、物足りない景色。ああ、何も入っていないプラケースを片付けなくては……。また何か飼ってしまいそうだ。
7月末、天竜茶の生産者さんを訪ねたときのこと。茶畑での取材中に小雨が降り出し、店舗に戻る途中の山道のあちこちで、沢ガニを見かけた。沢ガニには雨が降ると、出歩く習性があるらしい。
生産者のオオタさんは「踏んづけちゃっちゃあ、可哀想だ」と言いながら、ときどきぴゃっとハンドルを切る。そして「沢ガニの唐揚げは旨いだよ。この沢ガニだって、浜松の料亭で食べりゃ1匹500円もするんだから。近所のお母ちゃんたちはみんなして、山に捕りに来るだよ」。踏んづけるのは可哀想だけど、食べるのは「あり」なのだ。これが正しい食物連鎖というものなのですね。
と、突然車を停めて、ビニール袋を取り出したかと思えば、緑濃い小枝を手折ってその中に入れ、道路を横断している沢ガニを手際良く捕まえた。その日のカメラマンは、べっぴんカメラマンのえりちゃん。オオタさんはえりちゃんに食べさせてやりたかったに違いない。
「ほれ、持って帰って、うちで唐揚げにしな」
えりちゃんは目をまん丸にしながら、「はあ、ありがとうございます」と言って受け取った。ビニールの中に赤い甲羅がいくつも見えた。
編集のゆうさんの運転で東京に戻る車の後部座席で、沢ガニたちはときどきガサゴソ音を立てている。この旅の友を唐揚げにする勇気はだれも持ち合わせていなくて、口々に「とてもじゃないけど、揚げものになんてできないよ~」と言い合った。えりちゃんは自分に手渡されてしまった手前「洗面器で飼えばいいのかしら」などと困っている。
結局「じゃあ、私が持って帰って飼うよ」ということになり、私はカバンの中に沢ガニをしのばせて、家に帰ったのであった。
沢ガニは大小合わせて6匹。甲羅の色が薄く、大ぶりな1匹だけ、左のハサミがなくて、痛々しい。
翌日、ホームセンターに行き、カブトムシを飼育するような小さなプラスチックケースを買った。はて、沢ガニは何を食べるのかしら。
小動物の飼育グッズコーナーに行くと、カメのエサや金魚のエサが並ぶ棚にザリガニのエサを見つけた。同じカニだからいいのではないかと商品説明を読んでみると、沢ガニにもOKだと書いてある。
やっぱり沢ガニを飼いたくなる子どももいるんだな。さっそくそれを買い求めて、家に帰って、洗面器から沢ガニを新居に移してやった。
ボッチがいたずらをすると困るので、ボッチが気付かない靴箱の上が彼らの置き場所となった。夜、玄関の方でガサゴソする音にドキリとするが、なかなか癒される景色である。