小さな栗の木の下で

保護犬のミニチュア・ダックスを引き取り、
小型犬との暮らしは初めて!という生活の中で、感じたことを徒然に…。

そんな機能、必要か?

2012-01-01 | つぶやき

 便利なものには無駄も多いと思っていた。オール電化なんて、ちっともいいと思っていなかった。大震災後、原発事故後はさらにそういう思いを深めている。

 電気をジャカジャカ、水をジャカジャカ使って当たり前だと思う生活は慎まなければいかん。労力は惜しまず、無駄に電気を使っちゃいかん、食品ロスもなくしていかねばなるまいと常々同業の知人と意気投合していた。

 それなのに、である。その知人の家でトイレを借り、トイレの扉を開けたら、すうっと便器の蓋が開いた。ありゃりゃと思いながら用を済ますと、水を流すコックが見当たらない。キョロキョロしている間に、勝手に水が流れ、洗浄が終了していた。と同時に、蓋が音も立てずに閉まっていく。

 なんじゃ、こりゃ。これが高機能トイレというものらしい。フルオート便座、フルオート洗浄、いろいろな機能が搭載されている。そんなに必要か? 

 フルオート洗浄は確かに節水になるかもしれん。でも、節水ならほかの方法もあろう。便器の蓋を自動で開閉させる必要があるのか。「超節電」とかなんとかいいながらも電気は使う。
 そもそも便器の蓋はそんなに大事なものなのか。蓋の開閉が必要なら、手でやればいいじゃないか。

 だいたい高速道路のサービスエリアなど公共施設のすべてのトイレに、ウォシュレットが必要か?と、いつも首を傾げている。トイレだけでなく、無駄にエネルギーを使っているものが多過ぎるように思う。

 便利な暮らしに慣らされるとうまい宣伝文句にころっとやられ、言うこととやることのバラバラさ加減にも気付かなくなってしまうのか。「技術の進歩」というだけで、素晴らしいことだと手放しで受け入れていると、見えない弊害に思いを向けたり、本当に必要か否かを考える回路をなくしてしまうのかもしれない。

 それは怖いことだと思う。ひとたび事故が起きれば、これほどまでに翻弄される原発。原発に頼らない暮らしを実現させるには、どうしたらいいのだろうと考えているので、なおのことそれは怖いことだと思ったのだった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年が明けた

2012-01-01 | つぶやき

 ブナが快復したと思ったら、今度は実家の父がヨボヨボしてしまい、家業に支障が出ているとのこと。脊柱管狭窄(多分)で足腰がよたついていることに加え、長年の大量飲酒による弊害で日常生活もスムーズに行えない様子。納期が過ぎた機械の調整に手間取っているらしい。

 基盤とか電気系統には弱いけれど理化学機械の組み立てなら、指示さえあれば工具を使いこなしてやれないこともない。仕方ないので、先月20日から毎日のように妹と2人で父の仕事の手伝いに行っていた。
 
 そんなことをしていたため、自分の仕事の予定が大幅に狂ってしまった。なので、大晦日も元旦もお仕事であります。お正月休みはありません。

 年賀状を書くのも遅れ、今日、投函しに行ったついでに(「ついでに」なんて言ったら、バチが当たっちゃうけれど)、氏神様に初詣。
 と思って行ったら、お参りするのに行列ができていた。例年は正月2日に行っていたので、元旦の人手が分からなかったのである。行列が苦手な私はあっさり諦めて、出直すことにした。

 大晦日は年越しそばをゆで、「細く長く生きるのですよ」と言いながら、ブナとクリにも少しずつ与え、自分もすすり込んだけれど、年越しの感慨も希薄で何とも味気ない。

 夜中「朝まで生テレビ!元旦SP」をぼんやり眺めながら、「された質問に対して、的確に返答できる人って意外と少ないなあ」とぼんやり思った。「そうなのか」「そうでないのか」を聞かれてもそれには答えず、思いの丈だけを、自分の訴えたいことだけをしゃべってしまう人が多い。

 そこへいくと、独特の口調でのんびりとモタモタしているように聞こえるけれど、戦場カメラマンの渡辺さん(だっけ?)は、実にきちんと質問に対する答えを返しているなあと、ふと思ったのだった。

 そんなこんなで、妙な感想を持った2012年の幕開けでした。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする