昨日の東京新聞に「お年寄り 金拒み海守る」と題して、山口県の上関原発建設計画に反対し続けている祝島の島民の暮らしぶりが、2年前に広島県から移住した女性を通して語られていた。
この記事が素晴らしかった。祝島の生活は、お金を出せば何でもすぐ手に入る、経済効率重視の都市部の生活とはかけ離れたもので、便利さを手に入れた者には不便そうに見えるけれど、実は生き物としての人間が基本的な力や思いやりを発揮できる、なんと豊かなところだろうかと思った。
北海道電力泊原発を抱える北海道泊村では、村が受け取った2011年度の原発関連の固定資産税は約27億円で、電源立地地域対策交付金は約5億4千万円。一般会計の約8割が原発マネーで、それが村にばらまかれているのだという。
「住宅新築で200万円までの奨励金、結婚と出産で各10万円の祝い金がもらえる。65歳以上には原価700円の弁当が100円で毎日、自宅に届く。各戸にパソコン1台が無償貸与され、インターネット回線も無料」だそうだ。
何もせずに楽な暮らしやお金を手にし続けると、まっとうな思考能力もなくなっていくのだろうか。村の幹部たちは「原発が止まっても、廃炉になるまでの何十年間は、国も北電もそれなりの補償をするはず」と思っているらしい。
泊村では村民の多くが原発関連の仕事に就いているから、原発がなくなると困るという構造になっている。それは福島も同じ。本当に原発マネーは、一度手にしたら縁を切ることができなくなる麻薬だ。
「貧しい地域は都市の犠牲になりやすい」と東京新聞のデスクメモにあった。都市部で暮らす私たちは、原発を抱えた地域の問題を自分たちのこととして考えていかなくてはいけないのだと思う。