昨日の東京新聞に、野田首相の大飯原発再稼働についての演説に対する識者のコメントが掲載されていた。
法政大学の田中優子教授が「原稿を書いた官僚が『優秀なのは自分たちだけ。それ以外の人間はバカだから、この程度の内容でだませる』と思ったんでしょうね」と述べていたが、本当に役人は国民をバカだと見下している節があるのだ。
ある省庁の広報誌の制作に関わっているから、本当によく分かる。
昨年、異動になって広報班の担当になった役人が、まあ姑息な人間で、まったく国民を小馬鹿にしているのです。い税金を使って、何千万円もかけて作っている冊子は「広報誌」とは名ばかりで、その担当者のおかげで「省内機関誌」、あるいは単なる「白書」のような面白くも何とないものになり下がってしまっている。
それまでの担当者は少なくともわざわざ入札をして外部の出版社(編集制作専門業者)に依頼している意味を理解しており、国民にいかに伝えるかをともに考えてくれていた。もちろん役人チックではあったけど。
今の担当者は国民に理解してもらうための広報誌を作る気などさらさらないのだ。
わざわざ取材しているのに、その内容を「これは本当か。要確認」と毎回校正紙に赤字を入れてくるので、不愉快極まりない。「ホームページには書いていない」とか「インターネットでは探せなかった」などと平気でいう。何のために取材に行き、生の声を聞いていると思っているのか。
省に都合の悪いことなら、100歩譲って、まだ分かる。彼が入れてくる赤字や取材した相手の発言などを勝手に書き替えてくるのは、上の立場の役人や原課(それぞれの担当部署)から、少しでも何か言われることを避けるための、彼の保身でしかない。
発言者が最も言いたい部分を勝手に削除したりするので、しかも特段、省にとってNGワードでも何でもないのに書き換えきたので異議を申し立てたら、その役人がメールで、
「ライターさんの立場としては、不服な部分もあるでしょう。しかし、私は「××省の広報誌」として、文章はプロのライターさんが消費者の立場に立って書いたものを元に、××省が内容を担保できるかできないかで見ている」と書いてきた。
担保って何よ? 省の担保より自分の立場の担保じゃない!と、校正時には毎月不毛な気持ちになるのです。
今日もそうだった。月刊の省内機関誌の校了がかかっていたのでパソコンに張り付いていたら、なんと大飯原発再稼働に対する抗議集会で、首相官邸前に7000人以上の人達が集まったというではありませんか! 校正待ちでぼやぼやしていたなら、出かけて行くべきであった。
大飯原発再稼働の推進を含め、政治家や役人の民意を無視する傲慢さ、理不尽な現状に、国民は「NO」を突き付けているのです。よく聞くがいい。