久々に近くの長屋門を2件知り合いと歩き案内をました。
江戸時代の長屋門は上級武士の住宅の表門の形式として広く利用されてました。
明治になってからは富農家が作るようになりました。
両側部分は使用人の住居・納屋・作業所などに利用されました。横浜にはたくん残っているようです。
近くの竹林を通って歩くと1軒目の横山家長屋門がありました。
大正時代に建てら、関東大震災でもびくともしなかったと伝えられています。
立派ですがこれは使用人の住居で、門の中にこの門の主の家が広がって見えました。
ここから1直線に10分ぐらい歩くと中丸家長屋門があります。
新橋は瀬谷と並び養蚕・製紙の地で中丸家は養蚕で地域産業を担ってきました。
ここの長屋門は明治17~18年ごろに建築されたもので横浜の歴史的建造物にも認定されています。
門前を阿久和川が流れています。
門の中を見ると人力車があり、孫達は小さい時これに乗って写真を撮りました。
橋の向こう側の家の前に狭い道と、橋の手前にも自動車が通れるぐらいの幅の歩く道があります。
パソコンで長屋門を探すと近い所に幾つかあります。
一昨年、昨年は境川沿いのさば神社巡りで全部の11社に行きました。
季節の良くて天気のよい日に、長屋門探しをやってみたいです。