自信とは、自らを信ずることである。そのためには、学問の世界であれば知識量、スポーツの世界であれば練習量のように、自らを信ずることができるような裏付けが必要である。
自信は努力の量により形成され、どれだけ集中し継続して取り組むかにより自信を持つことが出来るのである。一方、過信とは価値や力量などを実際よりも高くみて自分を高く評価することで、自信過剰になっては困るのである。
先日、三男が道路で転んで頭を切って三針縫ったそうだ。道路に新雪が降って滑りやすかったとはいえ、高校・大学時代にラグビーをやっていたので、過信があったのだろう。次男が転べばスキンヘッドなので、もっと縫っていたであろう。なお、次男は大学のアメリカンフットボール部でラインバッカ―をしていた。
自信を持つことは良いことであるが、一部の人は自信過剰でないだろうか。だから、謙虚になって本当の人間にならなければならないのである。アイヌ語で人間らしい人間のことを、 “アイヌ ネノアン アイヌ”というそうである。私に自信があるとすればアイヌに関することであるが、上には上がいて、私の知人のアイヌ作家はアイヌに関する本を14冊も書いている。
ところで、“乾坤一擲(けんこんいってき)”とは、運を天にまかせて、のるかそるかの大勝負をすることである。全国的に新型コロナが蔓延しており、まさに乾坤一擲といえよう。
人生は、福島第一原発事故を見れば分かるとおり安全第一が原則であるが、勝負する時も必要であると思っている。確かに、石橋を叩いて渡ることも大切であるが、リスクを取ることも必要であろう。
障害者の老人がリハビリのためにはリスクは付き物といっていたが、私もそのように思っている。この場合のリスクとは、いま以上の高い目標のことである。ただ、リスクがどのように自分に振りかぶってくるかは分からないので、運を天に任せて頑張るほかはない。
人生は、失敗してもリスタートできる仕組みになっている。人生は終わってみないと分からないので、「天国で満足できる人生だった」と思うような人生を歩みたいものである。
「十勝の活性化を考える会」会員