“チャシ”はアイヌ語で、アイヌが築いた施設であって高い場所に築かれ、壕や崖などで周囲と切り離された施設である。アイヌの城やとりでとして利用されていたとされる。チャシはアイヌ文化の中でも重要な位置を占めているが、アイヌによる文献史料が存在しないため、詳しいことが分かっていない。
チャシの総数は不明であるが、北海道のチャシ跡は約500カ所が確認されており、チャシの分布は道南や道東に多く、特に根室・釧路・十勝・、日高地方に集中している。その理由は江戸時代前期のアイヌ部族の首長であったシャクシャインらが和人と戦う中で、多くのチャシが築かれたのではないかと推測されている。なお、十勝のチャシ数は、72箇所が確認されている。
ところで、日本の城というと「武士の城」をイメージする人が多いだろう。しかし、南北に長い日本列島の城を、「武士の城」だけを思い浮かべてはいけない。北東北から北海道、そして北方領土には、アイヌの人々が築いたもう一つの城「チャシ」があり、沖縄には琉球の人々が築いた「グスク」がある。
グスクとは、奄美群島から八重山諸島地域にかけて多数存在する遺跡。本土の戦国時代の武士の城とは異なり戦いに備えた建築物とは限らず、館や拝所であったと考えられるものもあり、地域や時期により形態や呼び方に違いがある。
琉球王国のグスク及び関連遺産群は、沖縄本島南部を中心に点在するグスクなどの琉球王国の史跡群から構成される「世界文化遺産」である。2000年に、日本で11件目の世界遺産として登録されている。これら三つの城は、少なくとも16世紀から18世紀にかけて併存したという。これほど多様な城がひとつの国に同時にあったのは珍しいそうである。
日本の城は、武士の城・チャ・グスクからできた複合的なものであった。武士の城を代表する姫路城と沖縄のグスクがそれぞれ世界遺産に登録されているのに対して、アイヌの人々のチャシだけが、世界遺産になっていないのは問題ではないかと思う。ウポポイ(民族共生象徴空間)には、チャシをイメージした迷路があったが、国立博物館であるので、アイヌの歴史や文化を知らしめるために、もっと来店客に説明すべきだろう。
「十勝の活性化を考える会」会員