十勝の活性化を考える会

     
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“野火“の本

2023-01-19 05:00:00 | 投稿

 

先日、大岡昇平著“野火”の本を読んだ。この本はフィリピン戦争のことを書いたもので、いまウクライナ戦争が行なわれているのでとても現実感があった。フィリピンでは、日本兵が飢餓をしのぐために人間の肉を食べていたらしい。極端であるが、戦争とはそういうものであろう。

1941年12月に始まった太平洋戦争日本軍は米領フィリピンに進攻し、アメリカ軍を駆逐してマニラに入城した。しかし1944年、アメリカ軍機によりマニラ市内は激しい空爆にさらされ、第二次世界大戦によって110万人のフィリピン人が犠牲となったという。

元陸軍少尉だった小野田寛郎氏は、太平洋戦争の終了後もフィリピンのジャングルに潜み、戦後29年目に発見され生還を果たした。昭和17年、徴兵検査を受け現役兵として入隊、その後、選抜され陸軍中野学校に入校。任務は島にいる守備隊を指導し、ゲリラ戦を展開することだった。

陸軍中野学校は、東京中野区にあったスパイ学校といってよいほど外国語に堪能な人材がいたらしい。1941年には参謀本部直轄の軍学校へ転身し、その存在は陸軍内でも極秘とされていた。

日本政府は、小野田さんが潜伏中に発見された1972年10月、大捜索隊をルバング島に送りこんだ。その際に通訳を担当したのは元朝日新聞マニラ支局長の大野拓司さんであった。大野さんは、次のように語っている。

私は当時、マニラの大学院の留学生でした。捜索隊と一緒に、2カ月半ぐらい山中を捜しまわった。その時は、小野田さんを見つけられなかったのです。」 と。発見されたのは、それから1年半後のことだった。

小野田陸軍少尉のことを長々と書いたが、“野火”の本を読んでいたら思い出したからである。私も30年前に、フィリピンに行ったことがある。イメルダ夫人が住んでいたといわれるマラカニアン宮殿や外人墓地などを見にいった。当時のフィリピンは今のような発展を遂げておらず、有名なゴミ山をあさる“ストリートチルドレン”や身長が低い少数民族の人たちがいた思い出がある。なおフィリピンは、7千以上の島々からなるで、総人口は1億人。首都ルソン島にあるマニラ市で、面積は日本の約8割である。

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