十勝の活性化を考える会

     
 勉強会や講演会を開催し十勝の歴史及び現状などを学ぶことを通じて十勝の課題とその解決策を議論しましょう

13歳の作文

2021-12-26 05:00:00 | 投稿

先日、「北海道新聞」の令和3129日付け夕刊『今日の話題』欄に、以下のようにアイヌの差別が載っていた。

『(前略) 高校時代に受けた日本史の授業が鮮明に残っている。教師は教室に入ってくるなり、「きょうは最後の授業なので伝えておきたいことがある」と言い、隣町に住む13歳のアイヌ民族の少女が書いた作文を読み始めた。それから、40年近い時が流れた。 (中略)

中学1年の時に「差別」という題の作文で、釧路人権擁護委員連合会などが主催する作文コンクールで最優秀賞になった。小学生の頃から、いじめに遭っていた。でも両親には心配かけまいと話さなかった。毎日学校から帰ると、その日にあったことを新聞のチラシの裏に書くことで何とか自分を保とうとした。

だが、6年生のある日、とうとう親の前で大声で泣いた。下校途中に男子から差別的な言葉を浴びせられ、明日も学校で繰り返されると思うと抑えきれなかった。少女は悔しさの中から言葉を絞り出す。「私はいじめられる苦しさ、悲しさを知っている。だから人のことも考えてあげられる』と。

アイヌの差別は、今でも続いている。差別は、相手を思いやる心を持てないからであろう。ただ、当たり前であるが、相手を思いやる心があっても同じ環境に置かれなければ、その人の本当の気持ちは分からないと思う。この記事を読んで、そのように思った。

先日、部落問題を扱った映画“橋のない川”のDVDを、帯広図書館で見てきた。この映画でも部落民に対する偏見がひどく、明治4年に制定された四民平等は有名無実で、穢多非人の差別は続いていた。

差別とは、人に“差”をつけ、自分とは “別”の存在(グループ)として一種の排除をすることである。人間には、能力や外見などの合理的あるいは非合理的な様々な違いや差があることは否定できない。大切なことはその事実を認めたうえで、その違いや差によって人を排除しないことである。

このような人種差別は日本だけではなく、少数民族であるウイグル族への差別や弾圧に見られるように世界中にある。南アフリカ共和国で人種隔離政策(アパルトヘイト)があったが、今はどうなっているのだろう。新型コロナで貧富の拡大が進んでいるが、人種差別の拡大に繋がらなければよいと思っている。

「十勝の活性化を考える会」会員

 

 


アイヌ神謡集:獺(かわうそ)が自ら歌った謡

2021-12-25 05:00:00 | 投稿

獺(かわうそ)が自ら歌った謡

「カッパレウレウカッパ」

 Esaman yaieyukar,
“Kappa reureu kappa"

 

カッパレウレウカッパ
ある日に,流れに沿うて遊びながら
泳いで下りサマユンクルの
水汲路のところに来ると,


サマユンクルの妹が神の様な美しい容子で
片手に手桶を持ち片手に
蒲の束を持って来ているので
川の縁に私は頭だけ出し,
「お父様をお持ちですか?
 お母様をお持ちですか?」と云うと,
娘さんは驚いて眼をきょろきょろさせ

私を見つけると,怒の色を顔に現して,
「まあ,にくらしい扁平頭,悪い扁平頭が
人をばかにして.犬たちよ,ココ……」
と言うと,大きな犬どもが
駈け出して来て,私を見ると牙を鳴ら
している.私はビックリして川の底へ
潜り込んで直ぐそのまま川底を通って
逃げ下った.


そうして,オキキリムイの水汲路の
川口へ頭だけだして
見ると,オキキリムイの妹が
神の様に美しい様子で片手に手桶を持ち片手に蒲の束を持って
来たので私のいうことには,
「御父様をお持ちですか?
御母様をお持ちですか?」というと,
娘さんは驚いて眼をきょろきょろさせ
私を見ると,怒りの色を顔に表して,
「まあ,にくらしい扁平頭,悪い扁平頭が人をばかにして.

犬たちよ,ココ……」
と言うと大きな犬どもが駈け出して来た.
それを見て私は先刻の事を思い出し
駈け出して来て,私を見ると牙を鳴ら
している.私はビックリして川の底へ
潜り込んで直ぐそのまま川底を通って
逃げ下った.
そうして,オキキリムイの水汲路の
川口へ頭だけだして
見ると,オキキリムイの妹が
神の様に美しい様子で片手に手桶を持ち
片手に蒲の束を持って
来たので私のいうことには,
「御父様をお持ちですか?
御母様をお持ちですか?」というと,
娘さんは驚いて眼をきょろきょろさせ
私を見ると,怒りの色を顔に表して,
「まあ,にくらしい扁平頭,悪い扁平頭が人をばかにして.

犬たちよ,ココ……」
と言うと大きな犬どもが駈け出して来た.
それを見て私は先刻の事を思い出し
可笑しく思いながら川の底へ
潜りこんで逃げようとしたら,
まさか犬たちがそんな事をしようとは
思わなかったのに,牙を鳴らしながら
川の底まで私に飛び付き
睦へ私を引き摺り上げ,私の頭も私の体も
噛みつかれ噛みむしられて,しまいに
どうなったかわからなくなってしまった.
ふと気が付いて見ると,
大きな獺の耳と耳の間に私はすわっていた.
サマユンクルもオキキリムイも
父もなく母もないのを私は知って
あんな悪戯をしたので罰を当てられ
オキキリムイの犬どもに殺され
つまらない死方,悪い死方をするのです.
これからの獺たちよ,決して悪戯をしなさるな.
  と,獺が物語った.

Tewano okai esamanutar itekki irara yan.
  arl esaman yaleyukar.

 

「十勝の活性化を考える会」会員 K

写真提供:「十勝の活性化を考える会」会員 S

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映画“橋のない川”

2021-12-24 05:00:00 | 投稿

先日、部落問題を扱った映画“橋のない川のDVDを、帯広市図書館で見てきた。明治末年、奈良県小森村は奈良盆地の隅にある貧しい被差別の部落であった。映画では、部落民に対する偏見がひどく、明治4年の穢多非人の称を廃するという解放令は有名無実で、穢多非人の差別は続いていた。

アイヌに関しても、差別は今でも続いている。差別とは、人に“差”をつけ、自分とは “別”の存在(グループ)として一種の排除をすることである。人間には、能力や外見などの合理的あるいは非合理的な様々な違いや差があることは否定できない。大切なことはその事実を認めたうえで、その違いや差によって人を排除しないことである。

差別には人種差別、男女差別、宗教差別、身分差別、障害者差別、学歴差別、職業差別、思想差別、コロナ差別、性的少数者(LGBT)差別、老人差別など多数ある。イジメやパワハラも差別の一種であり、差別はいけないのでなくそう。

差別や排除は、相手を思いやる心を持てないからであろう。ただ当たり前であるが、相手を思いやる心があっても同じ環境に置かれなければ、その人の本当の気持ちは分からない。この映画を見ていて、そのように思った。

教育者ではないので分からないが、学校のイジメが問題になっている。この映画にもイジメはあった。友人によるとイジメは、大和朝廷の時代からあったそうである。イジメは、権力を持つ者や大多数の者などが権力を維持するために行なわれる。

権力を持つ者が良い方向に持っていくのであれば良いが、この映画では、弱い部落民が団結して戦っていた。世の中を見渡すと、今でも民族同士の戦いや国同士の戦いが続いている。なお、中国では大小50あまりの民族がおり、そのうち少数民族のウイグル族は約1千万人と言われ、差別や弾圧を受けている。 

 「十勝の活性化を考える会」会員

 

 

 


アイヌ神謡集:小オキキリムイが自ら歌った謡

2021-12-23 05:00:00 | 投稿

小オキキリムイが自ら歌った謡 
「クツニサクトンクトン」

Pon Okikirmui yaieyukar,
 “Kutnisa kutunkutun"

 

 

クツニサ クトンクトン
ある日に水源の方へ遊びに
出かけたら,水源に一人の小男が
胡桃の木の簗(やな)をたてるため杭を打つのに
腰を曲げ曲げしている.
私を見ると,いう事には,
「誰だ?私の甥よ,私に手伝ってお呉れ.」という.
見ると,胡桃の簗
なものだから,胡桃の水,濁った水
が流れて来て鮭どもが
上って来ると胡桃の水が嫌なので
泣きながら帰ってゆく.

私は腹が立ったので
小男の持っている杭を打つ槌を
引ったくり小男の腰の央を
私がたたく音がポンと響いた.小男の
腰の央を折ってしまって殺してしまい
地獄へ踏み落してやった.彼の胡桃の杭を
揺り動かして見ると六つの地獄の
(そこには種々な悪魔が住んでいます.)
彼方まで届いている様だ.
それから,私は腰の力,からだ中の力を
出して,その杭を根本から
折ってしまい,地獄へ踏み落してしまった.
水源から清い風,清い水が
流れて来て,泣きながら帰って行った
鮭どもは清い風,清い水に
気を恢復して,大さわぎ大笑いして遊び
ながら,パチャパチャと
上って来た.私はそれを見て,安心をし
流れに沿うて帰って来た.と
  小さいオキキリムイが物語った.


Kamuicheputar pirka rera pirka wakka
eyaitemka wenminahau wenshinothau
pepunitara kor hemeshpa shiri
chopopatki. Chinukar wa chierameshinne
petesoro hoshippaash. ari
  Pon Okikirmui isoitak.

「十勝の活性化を考える会」会員 K

写真提供:「十勝の活性化を考える会」会員 S

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 “夏草や兵どもが夢の跡”

2021-12-22 05:00:00 | 投稿

 

夏草や 兵どもが 夢の跡』の俳句は、江戸時代の有名な松尾芭蕉が、岩手県平泉で藤原三代の栄華のはかなさを詠んだ俳句である。奥州藤原氏の租である藤原清衡氏はエミシ(アイヌ)と言われており、兵どももエミシのことであろう。

芭蕉は伊賀の国で生まれ「俳聖」といわれた伝説的な俳人。小林一茶や与謝蕪村と並ぶ江戸時代の三代俳人の一人で、明治時代の正岡子規などにも影響を与えたとされている。芭蕉は旅を愛し多くの紀行文を書き残しており、その中で最も有名なのが、「奥の細道」。

芭蕉は、1889年に江戸を経ち2年間で2400キロ、約150日間を歩き、1日15キロほども歩いて江戸にもどっている。芭蕉が目指した俳句は、わび、さび、細み、軽みなどで、五七五の17音の中に自然の情景や心情を詠んだ俳句は、まさに日本の文化といってよいだろう。

先月、ある俳句会に入会したが、言葉の大切さを思ったからである。故三島由紀夫氏は、言葉は“言霊(こころ)”が大切であるといっていたが、今の政治家に言ってやりたい言葉である。幽玄閑寂の境地をめざした俳句は、和歌・連歌にならぶ芸術性の高いものであった。日本三景の一つに数えられる松島では、芭蕉はその美しい風景に感動するあまりに俳句を詠めず、随伴した河合曾良が、「松島や 鶴に身をかれ ほととぎす」と詠んでいる

また平泉の金色堂では、五月雨を 降り残して 光堂 』という俳句を残している。光堂とは金色堂のことである。金色堂が建てられてから数百年、五月雨は平泉でも毎年降ったであろうが、朽ちることなく美しい輝きを放つ光堂に芭蕉は感動したのである。

 そして芭蕉は、出羽国(今の山形県)に入り、立石寺に参詣した際に詠んだ俳句、『閑(しずか)さや 岩にしみ入る 蝉の声』の句を残し、 日本三大急流のひとつに数えられる最上川を下っている。他の二つは、富士川と記憶に新しい球磨川である。

 五月雨を 集めてはやし 最上川 』 

最上川 は、山形県 を流れる1級河川で、五月雨とは梅雨のことである。 流路延長229 km は、ひとつの都府県のみを流域 とする河川として国内最長である。新潟県出雲崎では、『荒波や 佐渡に横たふ 天の川』という日本海の荒波の情景を詠んでいる。荒れ狂う日本海の向こうには佐渡島があり、佐渡島は金が取れる島であったが、日蓮や世阿弥が島流しの刑になるなど罪人の島でもあった。芭蕉はさらに南下して富山金沢福井を経て岐阜県大垣で、奥の細道は終わっている。なお、芭蕉は1644年に生まれて1694年に没している(享年51歳)。

「奥の細道」が書かれた時期は、元禄文化の時期である。元禄文化は町人文化であることが強調されすぎて、そこに武士のはたらきがあったことは比較的に軽視されてきた。身分制社会ではありながら職業を通じて社会の役に立ち、一定の役割を果たしていた点では、人間は対等であるという人間観が元禄文化期にすでに成立していたのである。元禄文化期に職業文化人ともいえる人々がいたことは、その後の社会や文化にとって画期的な意味を有していた。江戸時代は、公家文化が庶民に向けて開放された時代でもあったのである。

芭蕉が亡くなる4日前に詠んだ俳句、『旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる』は、辞世の句といってよいだろう。         「十勝の活性化を考える会」会員