トンサンの別荘

初代iMacが壊れ、本宅「マック鈴木家へようこそ」が更新できなくなったので、2010年9月27日よりこちらで情報発信。

整体師が来た。

2011年02月10日 23時57分06秒 | 日記

2月10日(木)
病院まで    走行距離12.67km  積算距離5246.8km
病院までの往復ではなかなか距離は伸びない。

病院で 14:50 ~ 16:20
病院に着くとオヤジさんは起きていた。「寒いなぁ」・・・室温は24℃でいつもと同じ。自転車で行ったトンサンは暑くて、いつも1枚脱ぐ。
肩まで毛布と布団をかけてやる。
病室は一人患者が増えて3人になっていた。娘か孫か若い女性が付き添っていた。

オヤジさんが「どうしてこれ(ミトン)をするのかなぁ」と言うので答えてやった。もう何度も言っているのだが。
「鼻から管を通しているけれど、無意識に抜いちゃうからだよ」
看護師さんが「オヤジさんは自分で管を抜かない」と思えば外してくれるのだが。
「何も食わしてくれない」・・・いつもパンが食べたいという。
隣のおじいさんの「かあさーん、かあさーん」が始まった。

15:30 整体師(女性)が来る。オヤジさんに「リハビリできますか? 両手をあげられますか?」と聞いている。オヤジさんは「足が痛いんだよ~」と言って動かない。
痛い左足の様子を整体師と一緒に靴下を脱がせて見てみた。
親指を触られて「痛てーよー。痛たたたた」と声を上げる。
整体師が「良く見えないので、上をむけないかな」と言うが、横を向いたまま。
親指の付け根あたりが少し紫色になっているようだ。鈴木家に来た時は右足全体が紫色ではれ上がっていた。今右足は触っても痛くないらしい。見ても異常なし。
ずーっと寝ているのになぜ左足の親指が痛くなるのだろうか? どこかにぶつけたとは思えないが。
おかあは「腎臓病で手足の末端が痛むのではないか?」と言う。
そういうことがあるのか図書館で借りてきた本で調べてみよう。

風邪をひいたらしく、鼻が出るので「ティッシュをくれ」と言う。ミトンをしているので自分では鼻をかめないので、ティッシュで拭いてやる。鼻水が出ている。
3回拭いてやったが、病室を出る前に「ティッシュを1枚置いといてくれ」と言うので鼻の下に当ててやった。
ミトンが取れず、起き上がれず、食事も食べられなければ健康な人でも病気になっちゃうね。

15:50 介護補助員が来てオヤジさんのひげをそってくれた。
 オヤジさんは介護補助員がいると思ってか「おーい、おーい」と呼ぶ。
16:15 オヤジさんは「鈴木さんまだいるのか? 寒いから帰っていいよ」と言う。
今日は買物もあるので「また明日来るね」と言って部屋を出た。


家系図を作る

2011年02月10日 07時52分01秒 | 日記
2月10日(木)
先日 八王子に住んでいる娘が帰ってきたとき、先祖の話になり「八王子から出てきたらしい」と聞いておかあと二人で座間市役所へ戸籍を調べに行った。


除籍謄本・・・除籍謄本の保存期間は150年。以前の保存期間は80年らしい。


トンサンが結婚した当初、家系図を作ろうとしてみたが、母方の家系が良くわからず、そのままになっていた。
去年親戚で法事があった時に、今聞いておかないとわからなくなると思い、はとこの家を訪ねた。
はとことトンサンの関係を知りたかったためだ。
そこで見せてもらったのは、台湾帰りの90何歳の遠い親せきのおじいさんからもらったという葉書だ。
それによると鈴木家の先祖は八王子に住んでいて、事業に失敗して座間に移ってきたらしい。
そして江戸から明治に移る頃、浅草に住んでいた著名な人とも関係があるという。

トンサンは子供のころ、錆びついた刀(日本刀)の20cmばかりの元の部分が、家の道具箱に入っていたので先祖はサムライかなとかってに思っていた。


トンサンが生まれた家(厚木市中町)で。縁側に立っているのがトンサン。
この写真はホームページ・ブログを通して初公開。

ここでどこまでわかったかと言うと、トンサンのひいおじいさんとひいおばあさん(嘉永4年生まれ)、そしてひいおばあさんの父親の名前までわかった。葉書に載っていた名前も出てきた。
そして明治32年に八王子から座間へ移ってきたこともわかった。

パソコンで縦系図を作ろうと思うのだが、どんなソフトを使ったらよいのかわからず、まだ作っていない。