木村秋則さんの本の中に
月3000円の生活費 というのがあった
奥さんは それでも 文句も言わず
おかずなども工夫してだまって支えてくれたという
私などには、とうていできない事だ
それで、子供の頃の極貧を思いだした
でも、食事は 日に3度与えてもらったので
極貧ではなく 貧だけ?
朝ご飯は ご飯と 味噌汁 漬物
味噌汁は 出汁が入っていなかったので
私らは 飲み込むのも一苦労だった
漬物は たいてい白菜の漬物か ぬか漬けだった
母の好物だった
たまに、田舎から送られてくる金時豆を煮豆にしてくれた
それがとてもおいしかったけど
母は 豆がきらいだったと のちに知った
夜は たいていイワシ・・・めざしだったり
煮魚だったり
さんまやアジも定番だった
母が イワシが大嫌いだったというのも 後で知った
さんまは 半分に切って 一人半切れだったので
頭部分としっぽ部分 どちらをとるかで兄弟げんか
夜のおかずは一品で 漬物がついていた
今思うと 給食がなかったら
私らは 確実に 栄養失調だったと思う
私が着る服は だれかのお下がりをもらったものだった
靴は 底にあながあくまで履いたし、
いつもみすぼらしかった
お風呂は銭湯だったが
なかなか連れて行ってもらえず
これが一番こたえた
やがて 家を建てて 風呂もついたが
やはりなかなかわかしてもらえなかった
母の節約は 家が欲しいためのものだった
私らは 塾も通えず 進学も 早く働くためのものでしかなかった
両親の哲学は
「まじめに働き、だれにも迷惑をかけず、独立して家庭をめいめいが持ち
その後、両親の老後も子供がきっちり面倒をみる」
というものだった
無駄遣いは言語道断で それは今も続いている
父の節約ぶりは 超人の域に達している
私らにはとうていまねできないし
する気もない
老齢になったのと 私に配偶者がついている事もあって
子供時代のように強要されないので
なんとか一緒に暮らせている
それでも 私なりに贅沢は一切していないが
父は「おまえさんを見ていると 浪費もはなはだしい」だそうで
世代のギャップを感じる
子供のころ思ったのは
貧乏はかまわない
でも もうちょっと 「愛情あふれる貧乏」が良かったと
いつもギスギスと節約をまくしたてられ
何かやる度に 非難をあびせられた事は 心の傷になっている
「おまえたちには 苦労をかけるね。ほかの子と違う生活に
苦しむこともあるだろうけど、節約の先に、こんな家を建てる
と考えているんだよ。お前たちも協力者だよ。」
とかなんとか 言えなかったものかな
「誰に食わしてもらってるんだ。さっさと金をかせげるようになれ!
働かない人間は屑だ。かせげるようになってから文句を言え!」
「塾?、進学?どこの金持ちだ。うちはそんな金はない!
他人ばかりうらやむような見栄張りに育てた覚えはない」
・・・まあ、当時はかなり恨んだけど
今にして思えば 両親は みずからにもこの哲学をしっかり
あてはめていたので、今一緒に暮らすこともできたのだと思う。
私たちに迷惑はかけない。娘夫婦の問題には口出ししない
それはもう 徹底している
だから ありがたい親だったと 今は 感謝している
「ビバ!貧乏!」
月3000円の生活費 というのがあった
奥さんは それでも 文句も言わず
おかずなども工夫してだまって支えてくれたという
私などには、とうていできない事だ
それで、子供の頃の極貧を思いだした
でも、食事は 日に3度与えてもらったので
極貧ではなく 貧だけ?
朝ご飯は ご飯と 味噌汁 漬物
味噌汁は 出汁が入っていなかったので
私らは 飲み込むのも一苦労だった
漬物は たいてい白菜の漬物か ぬか漬けだった
母の好物だった
たまに、田舎から送られてくる金時豆を煮豆にしてくれた
それがとてもおいしかったけど
母は 豆がきらいだったと のちに知った
夜は たいていイワシ・・・めざしだったり
煮魚だったり
さんまやアジも定番だった
母が イワシが大嫌いだったというのも 後で知った
さんまは 半分に切って 一人半切れだったので
頭部分としっぽ部分 どちらをとるかで兄弟げんか
夜のおかずは一品で 漬物がついていた
今思うと 給食がなかったら
私らは 確実に 栄養失調だったと思う
私が着る服は だれかのお下がりをもらったものだった
靴は 底にあながあくまで履いたし、
いつもみすぼらしかった
お風呂は銭湯だったが
なかなか連れて行ってもらえず
これが一番こたえた
やがて 家を建てて 風呂もついたが
やはりなかなかわかしてもらえなかった
母の節約は 家が欲しいためのものだった
私らは 塾も通えず 進学も 早く働くためのものでしかなかった
両親の哲学は
「まじめに働き、だれにも迷惑をかけず、独立して家庭をめいめいが持ち
その後、両親の老後も子供がきっちり面倒をみる」
というものだった
無駄遣いは言語道断で それは今も続いている
父の節約ぶりは 超人の域に達している
私らにはとうていまねできないし
する気もない
老齢になったのと 私に配偶者がついている事もあって
子供時代のように強要されないので
なんとか一緒に暮らせている
それでも 私なりに贅沢は一切していないが
父は「おまえさんを見ていると 浪費もはなはだしい」だそうで
世代のギャップを感じる
子供のころ思ったのは
貧乏はかまわない
でも もうちょっと 「愛情あふれる貧乏」が良かったと
いつもギスギスと節約をまくしたてられ
何かやる度に 非難をあびせられた事は 心の傷になっている
「おまえたちには 苦労をかけるね。ほかの子と違う生活に
苦しむこともあるだろうけど、節約の先に、こんな家を建てる
と考えているんだよ。お前たちも協力者だよ。」
とかなんとか 言えなかったものかな
「誰に食わしてもらってるんだ。さっさと金をかせげるようになれ!
働かない人間は屑だ。かせげるようになってから文句を言え!」
「塾?、進学?どこの金持ちだ。うちはそんな金はない!
他人ばかりうらやむような見栄張りに育てた覚えはない」
・・・まあ、当時はかなり恨んだけど
今にして思えば 両親は みずからにもこの哲学をしっかり
あてはめていたので、今一緒に暮らすこともできたのだと思う。
私たちに迷惑はかけない。娘夫婦の問題には口出ししない
それはもう 徹底している
だから ありがたい親だったと 今は 感謝している
「ビバ!貧乏!」