枕上書 番外編より
従者は 軽くため息をついた。「もし帝君が
本気で天下を取るつもりなら 強大な 戦将と軍隊を
とっくに持っているでしょう。もし帝君に充分な
兵力があったら、魔族を抑えて 神族も諍いのない世
となるのに数千年もかける必要はなかった。
墨淵上神がいた時には 墨淵上神が神王にふさわしい
と帝君は認めていたので それらの事に手出しする
必要も感じていなかったのです。墨淵上神は父神の
嫡子、天地の正統者です。承服しない者はいない。
しかし、墨淵上神は失踪してしまった。この新世紀
の誕生は墨淵上神と少かん神が 心血を注いだ賜物。
彼らがせっかくここまで築き上げた物なのに
凡庸な者たちにみすみす崩されてしまうなど
もったいない事ではないですか」
鳳九「私が帝君を知るのは 二十六万年も経って
から・・・既に 太晨宮に隠居していて、 過去
百戦百勝の無敵な人物であった事は 史籍の中に
書かれているだけ・・・それでも、帝君は
何でも いとも簡単にやってのけるし できない事など
ないと 私は思っていたわ。けれど、実は これほどの
忍耐と思索を重ね、 周到で緻密な計算をして 事に
当たっているのだと知ったわ」
従「この度の事は 何と言っても確かに難易度が高い
事ですからね」
従者と語りあった事について 鳳九は帝君に
何も言わなかったが、 少なくとも 今の帝君に
自分は心配をかけたり煩わせる事をしてはならない
と 密かに決心した。
帝君は今 大事に当たって準備をしている最中なの
だ。手伝う事は出来なくとも、側に付き添う自分
はもっと優しく気遣いをしなければならない と。
その為、帝君が 水沼澤に行くにあたっても
本当は一緒に行って好奇心を満たしたかったが
我慢して 言わなかった。
しかし、帝君の方から 道中 身の回りの世話をして
もらいたいから 一緒に行って欲しいと言い出した。
鳳九はその要請を断われないし、何より 自分が
生まれた時にはすでに東海の底に沈んでいた
その神秘な学宮を 実際に見てみたかった。
結果として 彼らは水沼澤で 失踪している墨淵に
遭遇した。しかし、帝君はその事に驚いている様子
が無いように見えた。
墨淵上神は 鳳九の姑姑 白浅の師父である。その為
墨淵上神が東皇鐘封印後、七万年の眠りから目覚めた
後、鳳九はこの尊神に 何度か会った事がある。
その頃の尊神は 極めて落ち着いて穏やかで
一目見ただけで崇敬の念を抱く 超越した存在だった。
しかし、水沼澤で会った墨淵は、容貌こそ同じでも
身体に纏うオーラが全く違っていた。
二十六万年後の墨淵が 落ち着きと穏やかさを備えた
古い玉だとすると 今ここにいる墨淵は 血に染まった
刃のよう。闘争心は無く 倦怠感をもって鋭さを隠す
もしくは 血に染まった蘭のよう。世俗の外に身を置き
心はさながら 無間地獄・・・
鳳九が習った史籍では 墨淵が新世紀を作った後の
失踪理由については 記述がない。
その為、この件が 少かん神と関係している事を
鳳九は知らない。墨淵上神の今の様子を見た
鳳九は、帝君に尋ねたくて 好奇心が
うずうずしたが、今はそのタイミングではない。
幸い 墨淵上神は 世界に興味を持たなくなって
いても 帝君の要望には すぐに応じた。
蔵書閣の中をしばらく探すと、やがて 玉で作られた
精巧な箱を出してきて、陣法図は この中に
入っている、と言った。
箱は 少かん神が作ったものではなく、祖てい神から
贈られた物だったようで
蓋の右下の隅に 祖てい神の名前が描いてあるのが
見えた。
帝君が箱を開けて陣法図を取り出した後、
鳳九は 箱のあまりの美しさに惹かれて
手に取って じっくり見たいと思った。
そうして 手を伸ばして箱に触れた瞬間
箱から、目が眩むほどの激しい閃光が
放たれ 鳳九は反応する間もなくそれに
巻き込まれて 意識を失った。
そして 目が覚めたら現世に戻っていた。