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妙高山大光寺・御詠歌

2020-08-12 23:29:35 | 之波太:柴田
 先日、我が家の墓所の草取りに菩提寺の妙高山大光寺に出かけました。
気温30℃超えの真夏日でした。もっと気温が低い日が何日もあったのに・・・
草取りや墓石を拭いたりとお盆の準備を済ませ、帰る途中、山門越しに本堂を
見たところ見慣れない石碑がありました。

山門

本堂の右となり

妙高山大光寺
柴田郡三十三所観音霊場 第九番子安観世音菩薩

御詠歌 こころにもかかるうきよのくもはれて
みょうこうざんにつきぞのぼれる


 2年程前、お寺に用事があり行った際、柴田郡三十三観音霊場の
第九番札所の御詠歌の石碑の建立の提案をしました。
柴田郡柴田町では、槻木白幡の東禅寺、中名生の徳成寺、船岡の恵林寺に
御詠歌の石碑が建立されています。
2年かかって建立されました。石碑を見ていたところ、住職夫人から御詠歌の石碑の
建立がお盆に間に合ってよかった。もう1基、石段のところに建立予定ということでした。
 大光寺さんには、もう1カ所解説板の設置をお願いしたいと思っています。

柴田郡三十三観音霊場を創始され御詠歌を詠まれたのは、槻木白幡曹洞宗衣関山
東禅寺第十九世内嶋大哲師です。
大哲師が昭和五年郡内三十三観音霊場巡拝を発願されて「柴田郡三十三所観音
霊場巡拝記」を昭和九年に発刊されました。
 全国に多くある観音霊場ですが、観音信仰が日本に伝わったのは飛鳥時代と
いわれて、この信仰が全国各地に伝播し、西国観音霊場が平安時代の末に霊場
として成立したのを期に地方の観音信仰もそれに習って霊場を作るようになったと
いわれます。
 東北地方における霊場も征夷大将軍坂上田村麻呂と慈覚大師による勧請布教
によるところが多く、東北各地に「三十三観音霊場」の札所が定められています。
宮城県南の観音霊場
 刈田三十三観音、伊具三十三観音、柴田郡三十三観音、名取三十三観音

 観音霊場めぐりは、観音様が三十三の姿に化身して人々を救うという観音信仰
から生まれた。御詠歌という仏教歌謡を唱えながら、巡礼を楽しんだ。
「三十三」と観音様の関係
三十三種類の姿に変じて衆生を救うと説かれる観音様。京都・三十三間堂の仏の
数が三万三千三十三体といわれるように、観音様と「三十三」の数字は縁が深いのだ。


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