山崎山公園の墓石 - 星・宙・標石・之波太(しばた) (goo.ne.jp)
船岡・山崎山公園内に墓石があります。
昭和12年、船岡村に海軍火薬廠が進出するにあたり、農地・宅地・山林等が買収されました。
火薬廠予定地内の民家も強制移転されました。
期限を決められていたため、慌ただしく移転しています。
山崎山公園も宿舎用地が不足することから、公園敷地が軍用地として接収されました。
藩政時代からこの山崎山公園は船岡の飯淵家の墓所でした。
慌ただしく墓所が移転したため、見逃された墓石があったと思われます。
昭和55年、山崎山公園一体は「こどもの森」として、遊歩道や東屋が整備されました。
その際、残されていた墓石が見つかり、六地蔵周辺に集められました。
このことを飯淵家の方にお話ししたところ、移転先の角田市神次郎の妙立寺の住職と相談し、
墓石に戒名が刻まれていたので、過去帳を調べていただきました。
妙立寺へ移転することになり、7月中旬、墓石の心抜きが執り行われました。
移転は秋の彼岸が過ぎてからということでした。
10月26日、墓石の移転作業が行われました。管理人が立ち会いました。
山崎山公園の墓石群
この墓石群を神次郎の妙立寺に運びました。
妙立寺の移転先
移転後の墓石
山崎山公園の墓石群の移転後、少し整地し作業完了
妙立寺には、山崎山公園から移転した、船岡村長等を歴任した飯淵七三郎の墓もあります。
墓石には「大正十五年四月二十日没 飯淵七三郎 行年八十一」と刻まれています。
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