思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

西の窓から

2005年04月14日 | Weblog
夕方、西の窓からの眺めが好きである。
といって格別のものがある訳ではないが、西日を受けて輝く白い建物群があり、更に西方は奈良県に境する生駒山系が地平となっている。
白いビル、ベージュのビル、アドバルーン、やたらに多い鉄塔、山並みの薄緑、建物が雑居している彼方の向こうの山の中腹にマンション群が見えたりする。

新しい建物も目に付く。雑然としているが活気に溢れた街である。
人が通勤し、商売し、バイクが騒音を立て、自転車をこぎ、ひとは恋もし、泥棒も働いている。

ここに住み着いて10年になる。
結婚して以来、転勤も含め10数回引越ししているが、多分ここが最後だろう。女房が変な気を起こさなければ。
生活空間としては、超便利空間で、10分以内には何でもそろっているといってもいい。

その気になれば、退屈しない人生であろうが、現実は徒然の日々である。

欲望の果てに

2005年04月14日 | Weblog
新聞・テレビ・週刊誌の話題には人間の欲望の成れの果てが渦巻いている。
金銭欲、権力欲、性欲など、人間の欲望は果てしが無い。
すべての人が持っている欲望であり、我々はそれから逃れることは出来ないと思う。社会的な規範を超えない限りにおいては、その欲望を勝ち得たものは一定の尊敬あるいは羨望の的になる。
法を越せば社会から葬り去られる。
贈収賄、性犯罪、強盗、戦争、麻薬、あらゆる不正は欲望の成れの果てか。

煩悩という言葉があるが、あらゆる欲望の塊のことと思う。
除夜の鐘で、毎年洗い流してはいるが、すぐ溜まる。
その人間のはかり知れない欲望がエネルギーとなって、文明を築いて前進させてきた。

原子力が潜水艦を動かし、電力エネルギーを生み出す、一方で原子爆弾として壊滅的な破壊をもたらすことも出来る。人間の欲望はそれに似ている。

法律と教育、人間愛が原子炉の制御棒である。
いずれも長く生きた年長の老人がOJTで、生きた教育として子や孫に伝えていくべきものだが、核家族、少子化社会、一人っ子社会でそれが失われつつある。
制御棒の無い環境で、すべての欲望を充足させつつ成長した子供は、辛抱したり、友人との付き合い、社会との関わり方、人を愛することなどを学べないままに大人になってしまう。
そしてごく僅かではあるが、制御し切れなかった狂気の人がとんでもない事件を引き起こす。
大義名分の無い単なる欲望のはけ口としての事件である。

そういった意味で今現在、日本社会は嘗て無い大転換期にさしかかっていると思う。
教育のあり方を時代に即したものに転換していかないと、大きな社会荒廃を招くような感じを受ける。