思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

埋葬

2005年11月12日 | Weblog
私の兄弟の末の女の子は生まれてまもなく死亡した。
当時山村に住んでいたが、山のほうに行列を作って亡骸を運び、木を積み重ねた上で火をつけ死体を焼いていた記憶がうっすらと残っている。

そんな風景は今では見られないが、ほんの少し前はそんな風景は時代に溶け込んでいた。

昨日の古今集講座で、埋葬方法として「風葬」というのが平安時代はまだ残っていたらしい。
人が死んだらそのまま白い布で覆い山に放置する。衣笠山なんかも風葬の埋葬地だったらしい。
当時の人々は人が死んだら霊は地に帰る、山に還ると信じられていたらしい。
火葬に付されるようになったのは仏教の伝来と共に広がった新しい習慣らしい。
そして死後の霊は二上山に行くといわれていた。
人は死と隣り合って生きる、死は身近なものだった。

疫病でも多くの人が死んだ。はしか・天然痘などで命を落とす人は多かったらしい。
その二上山と当麻寺に、この講座で訪れる予定になっている。
この地は、日本古代文明の発祥地とされている。平安時代も聖なる地としてあがめられ、多くの古代の陵があるという。

お月様

2005年11月12日 | Weblog
西の空にポッカリと月が浮かんでいる。少し大きめに見える月は表面に複雑な模様を描いている。うさぎが餅つきをしているように見えたことは1度も無いな。

月が自転しながら地球の周りを公転する天体だと人類が知ったのはほんの僅か前だ。
私の両親の両親のそのまた両親と辿れるほどの何世代か前の時代は、あれは何だと思っていたのだろう。
望遠鏡が発明され、物理科学が進み、瞬く間に月面に人類の足跡を刻んだ。

恐るべきスピートで科学文明が突き進んでいる。
我々は既に10年世代間のギャップを理解できないようなスピードの中で生活している。
そして嘗ては自然界で起こらなかったような出来事も人類は次々に手を染めてきた。

地中に何万年も何億年もかけて埋蔵された原油を僅か100年もかからずに汲みつくそうとしている。
地表の森林を瞬く間に焼き尽くし伐採してしまおうとしている。
水を瞬く間に汚染しつくして、海を死の危機に曝し続けている。

絶滅種が増加し続ける。
やがて海洋生物は食用に適さないものになってしまうだろう。
そのうちに人類は全ての食物を解毒しないと口に出来なくなる時代が、我々の何世代か後にはやってきそうな気がする。

やがては国家も人類の危機に直面して世界的な環境保護の国際法が施行されることになる。人類が生き延びるために。
環境保護法を犯した国家および個人は極刑で処罰される。
タバコのポイ捨てなんて当然死刑だ。

いつでも後手に回る。
間に合うだろうか。