●風に吹かれるままに、ギターの音に乗ってブログ<閉伊川河口水門設置…どうしてだろう…>へのコメント
その通りだと思います。とってつけたような閉伊川河口水門は役に立たないと思います。宮古橋も将来は八戸の橋や室蘭の橋のような架け替えが必要になると思います。
2012/2/16(コーケやん)
●岩手県 宮古ジャーナル<閉伊川水門の説明会(後編)>へのコメント
県庁のシミュレーションを信じますか?
(コーケやん)2月13日
今次津波による宮古市一帯の浸水地帯の水深図面から防潮堤なり水門閉鎖の高さ10.4mを引き算して再び図面に落としたらこうなったというのが県庁の示すシミュレーションです。(現実の津波のエネルギー、破壊力、凶暴性についての、また現実的な防災、避難のシミュレーションについては思いが及ばない、もともと幼稚な試み。本当の津波の恐ろしさは別に書きたいと思いますがしばらく県庁の軽薄さにつきあいましょう)。まずおかしいと思いませんか? 盛岡のやまごの考える津波のように、津波は下の方からじわりじわりとせり上がって来て、海岸線の障害物を順々にこえて市街地にしずかに浸水してくるのですか? もし、そうであれば、心配性の人にとってはこのシミュレーションもよろこばしい現実に見えるかもしれません。(盛岡の洪水ではあるまいしそんな津波はありません)。なあーんだ、10.4mの壁をはりめぐらせば市街地のほとんどは大丈夫ではないか、壁を立てれば津波はぜんぜん心配ないんだ、ということになります。(これも県庁の意図するところ)。浸水してもせいぜい一番濃い青色に塗られた範囲の1m未満の浅さである。(2mで家が倒壊し、30センチで人が倒れる津波の本当の姿はもうここにはない)。そうであれば閉伊川河口水門の是非はどっちに転んでも大した事ではないのである。(これがシミュレーションで県が言いたい事だった。とんでもない事です!)。小山田も、南町も、宮高校庭も、磯鶏も、藤原も、津軽石も、心配して騒ぐほどの浸水ではないというのだ。どこもかしこも宮古全体が心配ないという。鍬ヶ崎などは港町にちょろちょろ塩水がしみだすだけでなにも心配がない。だから経費的に水門がいい。(なんと言う欺瞞にみちたシミュレーション!! 宮古市民を最初からごまかす目的のシミュレーションではないか?!)。多くのひとが気付いていると思うが県庁のシミュレーションにはそれ自体と、発表の仕方、活用の仕方に耐えられない多くの疑惑がある。(褒め言葉でないが土建不夜城と言われるだけの事はある)。例えばそこに採用している宮古湾の潮位は-0.46mから+0.69mを採用しているがその上限下限については触れていない。そんなせまい範囲で潮位は動いていないのだ、ましてや津波がその潮位の範囲で襲撃してくるとはかぎらないべ。そして住民=宮古市民に対しては見ばえのする-0.46m潮位のシミュレーションを多用して示している。このシミュレーションの説明を聞いた市民は津波を煩うことはなにもないのだ、と思う。避難行動もいらない。安心は県庁のシミュレーションのおかげだと感激した宮古市長は意見を言いに行った人に「黙れ宮古市民!」と開き直ったという。
●漁師の徒然なるブログ<閉伊川河口の水門説明会>(2月12日)へのコメント
このようにして決まったらおかしなことになる。
(コーケやん)2012-02-13 00:31:53
県庁の役人と宮古市の役人が自分たちの都合だけで閉伊川水門を決定した。宮古市長がそれに待ったを言えないのも情けない話である。地域住民に選ばれたはずの市会議員も立法権を行使できないでただおろおろしている。首長や議員の優柔不断と、役人の思い上がり、住民不在の官僚政治というものである。
しかし、そのようなことで物事が決まることはない。住民の意志がそのように定まっていないのに突然のように閉伊川水門が決まったらおかしいことになる。
こうなると住民の意志決定だけが頼みです。市役所大ホールからあふれた市民も一つの意志表現でした。「生の意見を出せばシナリオだって変わります」。この問題は白紙に戻るか、延長戦になるのでは? 住民投票も賛成です。